高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします








男の役割と女の役割 - 2 ・・・・・ 釈尊の教えから





 
1.原始キリスト教団と原始仏教教団の共通性
 2.釈尊は男女夫婦のあり方をこう説かれた
 3.釈尊は恋愛の純粋性について説かれた
 4.釈尊の教えから ・・・ 1
 5.霊の段階の高い人はより多く奉仕しなければならない
 6.性と結婚
 7.釈尊の教えから ・・・ 2
 8.妻のあり方
 9.永遠の父性と永遠の母性
10.なぜ「おっ母さん」といって死ぬのかなぜ「瞼の母」というのか
11.夫がなぜ自分の妻を「かあちゃん」とよぶのか






 1.原始キリスト教団と原始仏教教団の共通性

 新年号と二月号に於いて、聖書の中に示されている男女、夫婦のあり方を書いた。キリストは独身者であったが、正法神理を悟られた方であったから男女夫婦のあり方も正しく説いていられるのである。

 およそ人間というものは、男と女という区別があり、その男と女は大部分が結婚をして子供を生むのであり、人間的に生きるということは、男か女か、また結婚をして生きるのであり、男でもなければ女でもないどちらでもないとう生き方は出来ないのであり、その、人として生きる道を説かれると使命を持たれた方が男女夫婦の道を説かれるのは当然であり、説かれなかったと考える方がおかしい訳である。しかし、現在、教会において牧師が聖書の中に示されてある男女夫婦の道を説くことはほとんどない。そればかりか「性欲は罪悪である」と説いている。私の青春時代の悩みの大部分は
「なぜ性欲が罪悪なのであるか、性欲が罪悪であるならば、なぜ神は人間が性欲を持たず罪を犯すことがないようにつくられなかったのであるか」という煩悩に費やされたのであった。

 キリストは未亡人について次のように説いていられる。

「夫と別れた妻は、夫への貞淑さを守ってその子供を正しく育てることである。もし、その妻が、性の問題を処理し切れないならば姦通の罪を犯さないように再婚すべきである」

このようにキリストは親切に愛深く教えていられる。

 二月号「高橋信次先生随聞記、大日如来と卑弥呼」の所に書いたように、釈尊が強く説かれなかった「愛」を正しく説くために大日如来が出現され、さらにキリストを出して愛を説かしめられることになったというのであり、聖書の中には男女夫婦のあり方も正しく説かれているのであるのに、なぜ教会の牧師はそれを説かなかったのであるか。それは「潔くなければ神は救い給わない」と考えた聖職者達が性いうものを罪悪視して独身であったために、性の問題で苦悩し性の純潔を守るために必死であった男女夫婦のあり方にまで心を及ぼすことが出来なかったのが原因だとしか考えられない。

 しかし、聖書には、はっきりとその道が残されているのであるから、たとえ聖職者であってもキリストが説かれたことを正しく伝えようとした人があったわけである。正しくそのように伝えた人があっても、現在、教会ではそのことについて説かれていないのは、その間の聖職者達が敢えてそこは見ぬふりをしてか或いは全く見逃して歪めて説いてきたとしか考えられない。

 中世期、トルコがキリストの聖地エルサレムを占領した。その聖地奪還の戦争がローマ法王によって計画された。それが十字軍戦争である。ヨーロッパからの遠征軍はことごとく敗れた。最後にローマ法王が考え出したことは、「大人は性によって汚れているから神が味方されなかったのである。だから性の汚れを知らない十才から十五才位の少年をやったら、その少年達を神が祝福されて必ず戦いは勝つであろう」ということで少年十字軍が送られたのである。そういう少年達がトルコの勇敢な大人の軍隊に勝つはずがない。見事に敗れ去った。
この時にヨーロッパのキリスト教徒達はローマ法王の間違いに気付き、歪められたキリスト教の教えに気付かなければならなかったのである。歴代のローマ法王自身もこのことについては反省しなかった。少年十字軍を遠征させた原因は「性は罪悪だ。神は純潔を尊ばれる」とローマ法王が考えたことにあったのであるが、依然としてその考え方の間違いは修正されずに、牧師は独身であることが定められ、キリストに全てを捧げる修道女の制度がつくられた。性生活の経験者は道を説き道に奉仕することは出来ないという訳である。
性というものがこのように罪悪視されることになったのは、キリストが独身であったために、そのキリストにあやかりキリストに学びたいという気持ちがあったと同時に、その当時の社会状態が性に対しては非常にルーズであり、性に対して超然とした姿勢を持つ者でないと大衆から尊敬されなかったという事情もある。

 これと同じ状態が原始釈迦教団の中でもあった訳である。

 釈尊は出家された。インドには五千年前から出家して法を求めるという習慣があった。菩提樹の下で悟りを開かれた釈尊は、妻やショダラと一子ラフラを迎え入れようと考えられたこともあったがしかしそれは出来られなかった。釈尊の下に帰依する人達が次第に多くなり、独身者ばかりの釈迦教団がつくられていった。そのうちに釈迦の育ての母親パジャパテー外カピラの女性達が帰依して比丘尼の集団が出来た。出家したとはいえ男の集団と女の集団が同じ所にいれば、当然男女関係が生まれてくる。その度に厳しい戒律がつくられて行った。戒律は最初からつくられたのでなかった。問題が起こる度に釈迦教団全体の統制を保つために後からつくられて行ったのである。だから最初から間違いがなければ戒律など必要はないのである。

「たとえ毒蛇の口の中に男子の性器を入れても、女の陰部にそれを入れてはならぬ」ということを釈尊が言われたのは、余程目に余るような比丘と比丘尼の交際があったからである。そう言われてその迷いの源を断つといって自分の性器を切り取った比丘もあったのである。

 釈尊自身がカピラ城内での自分を取巻く女性達の確執を見られ、その煩悩の浅ましさを感じられ、釈迦教団のそういう状態があり、また当時の社会情勢が性的に乱れている中においては、性に関して、性に関して、男女夫婦のあり方については極力説くことをされなかったことは充分に考えられる。

 また独身の弟子達が、各地に散って法を説くという場合、男女夫婦のあり方について説くと言う事になれば当然、性の問題に触れなければならないことになるし、禁欲の生活をしている弟子達がそのことを説くと言う事になればこれまた当然、そのことについて心が怪しく揺れ動くであろうし、常に心の安らかさをモットーとしている者としては極力そのことには触れまいとすることもまた無理からぬことである。

 
そうして代々、法を説く者は釈尊に倣(なら)って出家した。日本の坊さんも本来は出家であった。この出家の禁を破ったのが親鸞聖人であった。今でも禅宗の坊さんは独身が多い。スリランカ、タイの坊さんは出家である。
キリスト教の牧師が独身であると同じように坊さんも独身であるのが伝統であった。だから教会で男女夫婦のあり方が説かれなかったと同じように、日本のお寺でも説かれなかった。それだけでなく「女はおなごといって、男よりも女は業が深いのである」とか「女人禁制」といって女は汚れたものとして扱われて来た。

 原始仏教教団の僧達は女は救われざるものとして説いてきた為に、大乗仏教時代になるとさすがにこの誤りに気付き、それを修正しようとして「女は女のままでは救われない。女は一ぺん男に生まれ変わってからでないと救われない」という「変成男子」ということが言われるようになった。しかしこの「変成男子」という考え方の中にはやはり女は救われないという女性蔑視の考えが潜んでいる。


 釈迦教団と原始キリスト教団のあり方を比較してみると、同じ過ちを犯している事がよくわかるが、そうしたあり方をしないとその当時にはそうでないと受け入れられなかったという社会的背景を考えなければいけない。

 そのことを考えると、
正法が説かれるには正法が説かれるに相応しい時代があるということを考えさせられる。だからといって釈尊が男女夫婦のあり方について説かれなかった訳ではない。キリストがその道を説かれたと同じように釈尊もその道を説かれているのである。ただその彼の弟子達が説かなかっただけのことである。

 
私が「男の役割と女の役割」について書こうと思ったのは、単にその各々の役割を説こうというだけではなく、釈尊もキリストも同じ正法神理を説いていられるのであるということを知ってもらうためでもある。
神理は一つである神理が二つだとしたらもはやそれは神理ではない。

 私はこのことを書きながら思うことは ・・・
 あの思春期に「性」ということについて、「恋愛と結婚」について、血の浸むような悩みを持って教会へ行き、聖書を読み、またいろいろな坊さんお話を聞いたのも、結局は今になって「釈尊・キリストは説かれたことは同じ一つの神理であった」ということを知るための準備であったということをつくづくと思わされるのである。

 この頃、栄養がよくなったために、小学校五年生の女の子が初潮を見るという。ある若いお母さんから聞いたことであるが、五年生になると生理の教育があり、どうして子供が生まれるかを教えられるという。だから今の子供は昔の子供と違うというのである。ある日、兄の男の子供と一緒に風呂に入れたら、その男の子の一物をしげしげと眺めながら「あんたのはりっぱね」とその女の子が言ったというのである。それでその若い母親はびっくりしてそれ以来、男の子とも、父親とも一緒に風呂に入れるということはしないようにしたと言うことであった。

 まだ一人前に知性も理性も持たない子供に、教えればいいからということで唯単に生理的にのみ教えるから、それに興味を持って不純異性交遊に走る中学生達が出てくるのである。そうした事件を起こしている中学生達は恐らくそういう事がいけないことだという道徳的判断は全くなく、そうすることがなぜいけないのかという反省などをするということも全くないのではないかと思う。

 だから教育というものは、子供の精神と肉体の発達のバランスを考えて、教えなければならない。また教えてはならないことと時があるということも知らなければならないのである。

 
男女夫婦生活の秩序ということを教えられずに、単に生理的にのみ機械的にのみ性行為の結果、子供が生まれることを教えられた子供達が、男女の秩序を全く考えずに乱交をしても、それに対しては全く罪の意識を持たないのは当然である。だから「人は、教育によってのみ人となり得る」ということが言えるのである。

子供に性教育をする場合は、

 1.宇宙創造の原理、天地陰陽の理(ことわり)
 2.男の役割と女の役割
 3.結婚の意義、夫婦生活の秩序
 4.子供の誕生は神の計画と天上界の計画による

 ということを教え、その神理と秩序に反した時にそれを「悪」「不道徳」といい、その責任を負わなければならないという事を教えるべきである。

 このような点において、テレビのメロドラマの害毒もまた大だと言わなければならない。だから、子供の健全な生育を願う親達はテレビのメロドラマは見てはならないし、メロドラマを放送するスポンサーの販売する商品は買わないという良識を示すべきである。商品は買って儲けさせて、その上に子供の精神的な発達を妨害されて、それでもなお喜んでいるという親はよほど頭がどうかしているのではないかと思わざるを得ない。

 前にも書いて置いたが、ユダヤ教徒は小さな男の子供に「割礼」の儀式を施して包皮を切り取る。男の子供は小便をするたびに自分のものを見、手に触れて、「これは神さまから授けられたものである。正しい関係においてのみ行使すべきものである」と親から教えられたことを何時も思い出すように躾けられてあるのである。これはユダヤ民族が神の選民であることを自覚し、神の子たるに相応しい秩序ある生活を営むために考え出した何千年来のユダヤ民族の智慧なのである。

 中・高校生の不純異性交遊がもっと多くなり、男女の性の秩序がもっと乱れて来るようになると、そのうちに日本でも男の子供に割礼を施したらどうだろうかという意見が出されるようになって来るかもしれない。

 私が「男の役割と女の役割」を書くことにしたのは、今の日本の現状を見て、何とかこれを修正しなければいけないと思ったからでもある。


 
新年号に、女が生まれつきなぜ長い髪の毛を持つようになったのか、ということについてキリストがいわれたことは、女の子が小学校一年生になったら教えられることである。

「○○ちゃん、入学おめでとう。あなた誰と一緒に座ることになったの。同じクラスに幼稚園で一緒だった男の子がいる?ところで、男の子は髪をのばしているといっても、女の子よりは短いでしょう。大人になると、お父さんの髪の毛は、お母さんの髪の毛よりもうんと短いでしょう。どうして男の人は髪の毛が短くて、女の人は長いのでしょうね。日本人だけでなくて、アメリカもフランスも、中国も、世界中の人達がみんなそうよ。あなたそのことをふしぎだとおもわない?」
そう話しかけて、
「それはね、神さまが人間を男と女とにつくられたの。そうして男の役割と女の役割が決められたの。その時、神さまが、「男の頭は神なり、女の頭は男なり・・・・・・と教えて下さったの。そのことの印として女は大昔から長い髪を大事にするようになったの。だから、おうちでも、お母さんは「お父さん、お父さん」とお父さんを大事にしているでしょう。あなたが学校へ行けるのも、みんなああして、お父さんが毎日元気で会社で働いて下さるお陰よ。だから、お母さんはいつもお父さんに感謝しているの」
そう教えればいいのである。


「だから、あなたもお父さんに感謝してね」とか「しましょうね」ということは絶対に言わないことである。そこは子ども自身に考えさせないといけないのである。母親が、子供が考えなければならない所まで先に言ってしまうから、頭の回転のきかない子供に育ってしまうのである。こうして女の子は自然に、女のあり方、妻のあり方、母としてのあり方を勉強させられ、躾られて行くのである。
(聖書では、男の頭はキリストなり、キリストの頭は神なり、といっているが、これはキリストの弟子達がキリストを神の一人子であるとして言った事であって「男の頭はキリストなり」ということは必要ないのである。キリストも我々と同じ人であって、ただ我々に比べてより深く神の心を知っていられる光の大指導霊であるという方であって、神の子であるという霊の本質においてはキリストも我々も平等である。)




 2.釈尊は男女夫婦のあり方をこう説かれた

 さて、釈尊はどのように説かれたか。中村元著「原始仏教、その思想と生活」の中から書いてみよう。とかく仏教学者の文は難しく判りにくい点が多いので判り易く解説したい。

 「原始仏教、その思想と生活 ・・・ 性の倫理と結婚生活」 中村元著
原始仏教では出家した者に対しては、異性との交渉は全て断つように規定したが、在家の人々に対しては正しい性の倫理が説かれた。

 
「知者は淫行を回避せよ。誰も赤熱した炭火の坑(あな・土中の穴の意)の中に入って行く者はなかろう。人々はそこを避ける。それと同じように不倫な性行為をするな。正しく魂の修行をしようとして出家した者が、その不倫な男女関係を避けることが出来なければ在家となって結婚をせよ。結婚した者の心得るべきことは他人の妻を犯してはならないことである」

 この釈尊の考えは、キリストが未亡人に対して「
性生活に対する執着があるならば、むしろ再婚をして心を安らかにすることである」と説かれたことと同じである。正法即ち正しい信仰の道は、心を安らかにすることなのであるから、表面上、夫に操を立てて貞節を尽くしているように見えていても、心の中であれこれと性のことが煩悩となって心を乱しているようであったらそれはいけないのである。それよりは再婚をしてそのことについて思い煩うことがないようにして生きて行くことが大事であると教えていられる。さらに、先夫との間に子供があって再婚する場合は、自分が性について悩まなくなった代償として子供のことで悩むことになるのはやむをえない事であると言っていられる。

 だからキリストはいっていられるのである。

 「されど、わが心にては、夫を亡くした妻は、夫を守るべし。
      されば汝の子は清く直(なお・真っ直ぐ、素直の意)からん」
と。

 私達は周囲に、夫を亡くした後、きれいに身を守り、夫を立てて、苦労した末に子供達がみな素晴らしくなって、安心して老後を送るようになった人も見ているし、再婚して経済的には安定していても子供のために泣いているという人をも見ている。しかしまた、先夫や先妻の子供も、また再婚した人との間に生まれた子供も、それぞれ立派に育てていられる人もまた知っている。そういう人はまたそれなりの努力をしていられるわけである。

 釈尊もキリストも、人間のあり方の全てを知られて教えを説いていられるから、私は仏典を読み聖書を読むとその愛の心の深さに泣かされるのである。

 「貞婦は二夫に見(まみ)えず」という儒教の道徳に縛られて表面上は夫に操を立てているように世間体を繕いながら、陰に隠れて浮気をしている女の人を見ているとかわいそうで気の毒でしようがない。道徳観の犠牲、これまでの日本の習俗の犠牲になって心を苦しめているのである。そういう人にはキリストの言葉を、釈尊の言葉を教えてあげて再婚をすすめた方がよい。

 高橋信次先生が
「道徳では人は救えない」といわれたのはもっともである。

 夫に先立たれた女が再婚するのを軽蔑する風習がこれまであったのは、日本が儒教の道徳観を中心してきたからである。心を安らかにしてこの人生を生きて行くために再婚する人があったら、我々はその人を祝福すべきであるし、夫を守って女一人で強く生きて行こうという人があったら、尚のことその人を祝福し協力できる立場にあって、助けを求められたら喜んで協力してあげるべきである。

 再婚する女に子供があり、その子供が大きかったら子供を納得させるべきであり、子供が小さくて話してもわからなかったら、その子供が大きくなってから充分に話をすべきである。夫たる者が妻を亡くして後妻をもらう場合でも、妻が夫を亡くして再婚する場合でも、子供は親に純潔であってほしいと願って反対する場合がある。その子供を無視し気付かずに再婚をすると、子供達は自分の父、また母は不貞を働いた、いやらしい、不潔だという見方をするのである。年頃の子供がいて再婚する場合は、よくこの事に気を付けて充分に子供と話し合って再婚の必要性を認めてもらうということをしないと、再婚したとたんに子供が親に反抗的な態度に出たりするものである。
だから
キリストは再婚をする場合でも「主にありてせよ」と言っていられる。主にありてするということは、真理正法に則ってせよということで、この人生は魂の修行のためにあるのであり、そのために夫と妻とは一体となって協力すべきであり、単に性の満足のためにだけ、すべきではないということである。


 私は恋染めし頃、自分の全てを彼女に捧げたいと思った。彼女は私にとっては理想の女性であった。自分はその理想の女性にふさわしい理想の男性でありたいと願いそのための努力をした。そうして彼女に、この世界の他のどの男性と結婚するよりも「あなたと結婚した方が幸せです」と思って喜んでもらいたいと思った。彼女との間で性的な関係を持つことは彼女の魂の純粋さを汚すものだと考えた。清浄な神聖な彼女にふさわしい男性でありたいと私は願った。そうは思っても性の疼きを感じない訳にはゆかなかった。霊と肉との闘いに悩んだ。このような心理的な体験を得ることによって愛するものは一体となり、そこに理想と現実との一致を見出してゆくのである。夫婦となることによって人はみな、そこに理想と現実、霊と肉との一致を見出して心を安らかにして行かなければならないのである。それが神が定められた人の道なのである。
 しかし、そう思いながらもなお心で苦しまざるを得なかったのは、お寺でも教会でも「性は罪悪だ、煩悩だ」と教えていたからそれを信じていた私は、愛する者が一体となり夫婦となることは自然であり素晴らしいことであると思いながら、一方では夫婦となって罪を犯したくはないという心があって霊と肉との不一致に悩んだ。

 仏教もキリスト教も、実に永い間間違った事を説いてきたものである。正式の夫婦の間における性生活すらも罪悪だというのであったら、釈尊やキリストが夫婦生活の在り方について説くようなことはされなかったはずである。男と女は絶対に結婚してはならないと説かれたはずである。しかし、夫婦の在り方、愛する者の在り方について説いていられる。ということは
愛する者の間における性生活は神聖で正しいものだと考えていられた証拠である。




 3.釈尊は恋愛の純粋性について説かれた


 
「愛する者がだれであろうと、例え賎民の子であろうとも、すべての人は平等である。愛に差別なし」

 
如何なる階級に属する人でも、愛が純粋であればそれは尊ばなければならないと言って結婚生活を承認していられる。そうして夫婦以外の男女関係はいけないと言っていられる。

 
「己が妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる。それは破滅に至る道である」
また

 
「女に溺れ、酒にひたり、賭博にふけり、得たものを得るたびに失う人がある。これは破滅への門である」
と説いていられる。
また

 
「盛年を過ぎた男が、盛り上がった乳房のある若い女を誘(ひ)き入れて、彼女への嫉妬の思いで夜も眠られぬ。これも破滅への門である」と。


 この言葉は年甲斐もない老年の男が、若い女を求めてさまよう愚かさを警告していられるのである。台湾、フィリピン、韓国などに国際的な××ツアーに参加する男たちに聞かせたい言葉である。
釈尊は、人間生活の在り方のすべてを知っていられたのである。大乗仏典に現わされている釈尊は、人間世界を全く超越した悟り澄ました礼拝の対象のみの釈尊であって人間味は全く感じられない。しかし、多くの人が求めているのは人間味豊かな釈尊であろう。

 ヴエーダ聖典の抒情詩には「妻子は自分の身体である」と説かれている。インドには古来そのような考え方があった。それは正しいのであるから釈尊は「妻は最上の友である」と説かれている。

 
宗教的に「愛」ということを心理学的には「相手に対する全面帰投」という。全面帰投とは前に書いたように愛する人に自分のすべてを投げ出したいという純粋な思いである。

 真に愛する者はただ相手に自分を捧げたいとのみ思うものであって、相手を自分に奪う、相手を自分に奉仕させたいとは絶対に思わないものである。真に愛する者は、愛する人の喜びのためにはどんなつらいと思われることであっても、つらいと思わずに愛する人を喜ばせようとするものである。

 「夫を独占したい」とか「夫を奉仕させたい」と言っている若い妻達があることを聞いたが、それは単なる功利主義、自己中心主義であって愛でもなんでもない。現在ほど「愛」と言う言葉が混乱している時代はないのではないのか。大恋愛の末、結婚した人達が簡単に別れて行くのは、それは真の恋愛ではなかったのである。
今、若い人達に強く教えなければならないことは、「愛とは相手に対する全面帰投である」ということである。子を愛する親は、子供の喜びのためには何の苦しみもいとわない。親を愛する子供は、親の喜びのためにはどんな苦労でも忍ぶものである。それと同じように夫を愛する妻は、夫のためにはどんな苦労も惜しまないし、妻を愛する夫は、妻の喜びのためにはどんな苦労もするものである。

 私が事業に失敗して宗教家として報いを求めない伝道活動に入ろうとした時、私を勇気づけたのは妻の「あなたが乞食されるなら、私も子供の手を引いて一緒に乞食します」と言う言葉であった。生長の家の本部講師になって初めてボーナスをもらった時、そのボーナスの半分を投げ出して私は妻のオーバーを買った。そうして子供の物を買った。「妻子は最上の友である」と言う釈尊の言葉を私はそのまま実践していたのであった。
夫が苦境に立った時、夫と苦しみを共にしようとしない妻は夫を愛していないのである。夫を失望させている妻が幸福になることは絶対にない。夫婦は愛の故に一体となるべきであって単に経済的な安定のためにだけ一体となるべきではない。

 釈尊はまた次のように説いていられる。
「もしも妻が貞節であって、他人の威しに屈することなく、夫の願うことに従順で愛(いと)しくあるならば、良いことも、悪いことも、妻を誉めることも、また妻に反省を求めることも、どんな秘密なことでも妻に打ち明けることである」と。

 ということは、夫婦は良く話し合うべきであってお互いに秘密を持ってはならない。妻は夫から何でも打ち明けられるような信頼される妻でなければならないということである。もし、夫は私に何も話してくれないと、夫を責めている妻があったとしたら、私は夫から何でも打ち明けられる程信頼されていないのではないか、ということを反省してみなければいけないのである。しかし、妻を愛し信頼している夫が、すべてを妻に打ち明けない場合がある。それは成功すると思っていたことが思わぬ失敗となり、その失敗の事実をそのまま妻に話をすればどんなに妻が苦しむであろうかと思うと、妻を愛するが故に事実を話さず、その苦しみは自分一人の胸にしまって自分一人が苦しめばいいと思う場合である。そういう場合は賢明な妻は夫の心に感謝し、なぜ夫が自分に話してくれないのかと夫を責めないことである。

 以上のように釈尊は結婚生活の在り方も説かれた。性生活は罪悪だから、結婚しても性生活はしてはならないとはどこにも説いていられない。

 これまで正式な夫婦の性生活まで煩悩であると説いてきた日本の坊さん達は、釈尊の教えを間違って説いて来たことを反省しなければならないのである。

また釈尊は、夫の役割と妻の役割が違うことも説いていられる。




 4.釈尊の教えから ・・・ 1


 これまで日本の仏教は、大乗仏教であって女は救われ難いものであるという取扱いしかして来なかった私達が子供の頃、お寺に行って話を聞いていた時でも、「女はおなご・・・・・・と言うてな、業が深いもんじゃ」という説教をしていられたし、比叡山・高野山が女人禁制であったことから、一般的に女は業が深いものとして説かれて、女はこのように生きなければならぬという説法は全くしていなかった。
 人間は、男と女から成り立っているのであるのに、インドから中国を経て日本にまで仏教が伝わって来ている間に、男が救われる道は説いてあるのに、女はかくしなければならないというような女の道が説かれてないことに疑問を持つ人はなかったのであろうかと不思議に思わざるを得ない。現在でも坊さん達の説法は、人間一般としては説いても、男と女の役割について説くことはしなかった。大乗仏教のそのような説き方が間違いであることは、原始経典である阿含経こそが釈尊の最も根本の、一番最初の教えであるということに気づくまでは誰も気づかなかったのである。阿含経に最も根本的な教えが書かれてあるということが仏教学者の間で意見が一致し認められた最後の年が昭和五十年なのである。

 明治維新以前の日本人は、お釈迦さまとは、もう一切人間味を超越した、人間世界と関わりのない宇宙の本仏として教えられて来たのである。生々しいドロドロした人間的な悩みを自ら悩みながら悟られた方だとは誰も思っていなかったのである。しかし、実際は我々普通の人間が悩むような悩みも体験されたのであるということがはっきりなったのは極最近のことなのである。
 そういう時期に高橋信次先生が出て来られて「人間釈迦」を書かれたから読む人が多く出て来たのであるが、もしこの出版が終戦前であったとしたら、恐らく、この本は釈迦を汚しているといって誰も読む人はなかったであろうと思う。私はこのことを思う時、つくづくといい時期に生まれ合わせたと思うのである。

 以上のような次第であるから、私がここに書くことは「阿含経」と「人間釈迦」の中からの要約である。

 お釈迦さまは結婚もし、子供もありまた、自分を取巻く女官達が多くいたのであるから、性の経験もあるし、自分を取巻く女達の嫉妬の争いも充分に見、聞きしていられる訳である。また、出家されてからでも、そうしたことについて在家の人々から指導を求められたことも多かったであろうことを考えない訳にゆかない。
 キリストが「死別した女が再婚する方がいいのは、性の問題を処理し切れなくなった時だ」と言っていられるが、亡き夫に誠を捧げて独りで生きるということは、性に関係なく生きるということでる。性に関係なく生きるということは釈迦教団の出家した人達もそうである。お釈迦さまが出家した弟子達に説いていられることと、キリストが説かれたことは同じである。

「智者は淫行を回避せよ。誰も赤熱した炭火の坑の中に入って行く者はなかろう。人々はそこを避ける。それと同じように出家修行者は女を裂けよ。もし、そうすることが出来ないならば在家になって結婚し、わが妻を求めよ。他人の妻を犯してはならない。」

 古代エジプトの時代からこの方、いつの時代、
どこの国においても姦通が罪とされて来たのは何故であるか。

 妻は夫の所有物であって、その妻を盗むということは物を盗むのと同じだという考え方をしていた時代があるがそれは正しくない。
夫と妻とは完全一体となって神の子として霊を向上して行かなければならないし、そのことを約束して夫婦となったのである。その愛の結びつきが、男が他の妻に心を移し、また妻が他の男に心を移すことは、愛の一体性が破壊され心に大きな悩みと曇りをつくり、人間がこの世に生まれたその使命と目的に反することになるからである。

 
「愛とは全面的な自己帰投である」と言う言葉がある。「惜しみなく愛は奪う」という言葉は、その全面的な自己帰投を裏返しに言った言葉である。全面的な自己帰投とは「愛する人に自分の全てを捧げ、愛する人が欲する通りにしたい。自分のことはなんにも考えない、自分の身も心も、すべて愛する人に捧げて何の悔いもない」という状態である。だから愛する人に捧げてお互いに相手が自分の欲する通りになってくれることを求めるのである。妻を愛する夫は、妻が自分の欲する通りになってくれることを求める。その時、妻は、心に何の抵抗も持たずに夫の言いなりになった時に初めて夫は「妻の愛を得た」と心が全面的に満足するのである。

 そういう時に妻が全面的な自己帰投せずに、自我意識が強く自己主張ばかりをして夫のいいなりにならない時、夫は「妻は自分を愛していない」と感じて心さびしく、悲しくなるのである。妻が全面的な自己帰投をし,夫が妻の愛を確認することが出来るとまた、夫も妻も全面的な自己帰投をして妻のいいなりになるのである。だからして、夫が自分の言うことを聞いてくれないと嘆いている妻は、その前に自分が夫に全面帰投していないのではないか、ということを反省しなければならないのである。

 
その全面帰投は双方から行わなければならないのであって、夫が妻にだけ全面帰投を要求するのも片寄っているし、夫が夫としての主体性をなくし全ての実権を妻が握り、夫だけが妻に全面帰投をするのも間違いである。

 終戦前は、夫が一方的に妻に全面帰投を要求することが多かった(封建性)し、戦後は女性上位で妻が夫に全面帰投を要求することが多いようである。海外への新婚旅行の添乗員をしている人が言っていられたが、最近は、十組の内七組までが女上位で男が優しいということであった。女上位で女を大事にし、女の言いなりになってくれる男は女にとって好ましいことであるかも分からないが、そういう男は、若いうちにこそ好ましいと思うかもわからないが、男としてたいした仕事も出来ず、中年以上になって女にべたべたして主体性を持たない男を女は好ましいと思うであろうか、私の言いなりになってくれる優しい夫を持ったと喜んでいる若い妻達が、今のその喜びが一生続くものであるかどうかは、後少なくとも三十年の評価を待たなければならないと思うのである。可もなく不可もなく、ただ食って生きて死ねばそれでいいと思っている人はそれでいいと思っている人はそれでいいともいえるが、しかし、人生のある時期に「自分に人生はこれで良かったのか?」という自分の生き方に対する疑問が怒って来たとしたらその人生は失敗だといえる。色々失敗もし苦労もあったが、しかし自分の人生はやはり生き甲斐があったといえるような生の充実感のある人生であってこそ、その生活は霊の向上のための生活、即ち人生であったといえるのである。

 そういう人生を送るために夫婦という者はお互いに良きパートナーとならなければいけないので、一方が一方の犠牲になったり、自我意識を助長させるような生活であってはいけないのである。




 5.霊の段階の高い人はより多く奉仕しなければならない

 夫婦生活や集団生活その他、人間関係において我々が心得て置かなければならないことは、
霊の段階の高い者は低い者に比して多く働き多く奉仕しなければならないということである。

 あなた方は小学校か中学校があるいは高等学校等で、或いは集団で、何か協同で仕事をしたという時に「ああいつも自分は損をする、あの人達はいつも遊んでいるのに何で自分だけが何時もこんなに働かなければならないのだろうか」と思う人があったとしたらあなたは喜びなさい。それはあなたが高級霊である証拠である。そう思って「よし、この次は自分も働かないぞ、いつも自分は損をする」と思うことはあっても、いざ又何か仕事をするとなると、そう思っているのに「また、あの人は遊んでいる」と思ってもあなたは遊んでいることは出来ないのである。また一生懸命仕事せずにはいられないのである。夫婦喧嘩をして、自分は悪くないのにいつも先に謝るのは自分だ、と思う人も霊の段階の高い人である。

 
高橋信次先生が正しさの基準は心にある、といっていられた。霊の段階の高いという人は低い人よりも善悪に対する判断が厳しいし、心の中に何時までもこだわりを持ってはいられないのである。そうして赦すということの大事さを知っている。だから、もういい、いつまでもこんなことにこだわってはいられないと思うのである。
 また、霊の段階が高いということは、その人は人よりも多く輪廻転生の経験を積んで智慧が豊かであるのであるから、色々な事に良く気が付くのである。低い段階の人は過去の経験が少ないからそれだけ物の道理も分からず自己本位で気が付かないのである。低い段階の人が気が付かないようなことでも高い段階の人は良く気が付く。低い段階の人は別に怠けている訳ではなくそれでいいと思っているが、高い段階の人から見るとそれは欠点として悪として見えるのである。夫婦というものは、必ず一方が高くて一方が低いものである。低い段階の者は高い段階の者に学んで自分も早くそのようになるように努力することによって霊は向上するのであるし、高い段階の者は低い段階の欠点を責めることなくそれを赦して、その者が早く成長するように手を貸してやらなければいけないのである。


 男女平等と言う言葉の魔術に引っ掛かって霊の次元の低いものが、自分よりも高い段階の者を自分の次元まで引きずり降ろそうとするような生活態度を取ると夫婦喧嘩に発展する場合が多い。
 ともかく霊の段階の高い者は、より多く赦し、より多く人のために働き、食べるものも少ない。いざとなると仕事をしないで遊んでいることは出来ない。人よりも多く仕事をしてしまうという人は、自分の心を低い段階の人に合わせないように、そうある自分を自分で喜びとして益々霊の向上に励むことである。霊の段階の高い者は心に安らかさの基準を多く持っているからいつまでも腹を立てていることが出来ない。悪い傾向性を持つものに対しては執念深くないが、善なる傾向性のものについてはひた向きにそれを求める。だからある面においては、非常に頑固に我が強く見える。

 カラオケを歌って、隠し芸をやって、みんな酒を飲んで大騒ぎしているのに、どうしてもその中にとけ込めない。これでは皆と調和が取れないから皆と仲良くするためには、皆の中にとけ込まないといけないと思ってたまに歌ったり踊ったりして見ても、そうした後に何か自分を偽っているような寒々とした空しさが残って仕方がない、という人があったらその人は霊の向上への傾向性の強い人であるから、皆の中にとけ込めないということで悩む必要はない。普通に付き合っていればいい。霊の段階の高い人は孤独になり勝ちであり、低い段階の人はよく群れたがる。孤独に耐える厳しさを越えて大きな愛を学んで行かなければならないのである。夫婦生活でも以上のようなことを心得ていれば上手く調和が出来てゆく。




 
6.性と結婚

 お釈迦さまは出家しないと救われないと言われた訳ではない。在家のままで救われる道も説いていられる。カースト制度の厳しい社会制度の中で、愛は純粋でなければならないことを説いていられる。


「愛する者の愛する人は誰であろうとも、たとえ奴隷の女であろうとも、すべての人は平等である。
 愛に差別はない」


そうして、夫婦以外の男女関係は否認される。

「己が妻に満足せず、遊女に交わり、他人の妻に交わる、これは破滅への門である」

「女に溺れ、酒にひたり、賭博にふけり、得るにしたがって得たものをその度に失う人がいる。
 これは破滅への門である」


 宗教的立場においては、相手の人間性(神の子として)の尊厳さを傷つけ、相手の心を傷つけ悩ませるものは正しくないとするのである。だから我々の行為は、相手の人間性を高め、相手の心に安らぎを与えるようなものでなければならない訳である。そういうことでこのようなことをお釈迦さまは否認されたのである。私はお釈迦さまの夫婦の倫理についての教えが、キリストの教えと全く同じであることに驚く。


「何ものが人々のすみかであるか、この世で最上の友は誰ぞ」
「子らは人々のすみかである。妻は最上の友である」


 インドには昔から「妻は友である」という教えがあった。ヴェーダの叙事詩の中には「妻子は自分の身体である」と説かれている。
 キリストが「夫は己自らの身を支配する権利を持たず、その権利を持つ者は妻なり」「かくの如く、妻もまた己自らの身を支配する権利を持たず、その権利を持つ者は夫なり」と説かれたことと同じである。

 我々は、やはり自分の家に帰ると、ほっとして心が安らぐ。「すみか」というものは、我々の身も心も安らかにさせる。そのように、妻子というものはまさしく我々の心を安らかにし休ませてくれる「すみか」である。夫が妻子を愛することは、夫が自分の身体を自分で大事にするのと同じようでなければならないし、また妻が夫を愛する事もまた、そのようでなければならないというのである。

 この教えが教えるものは、夫が自分の傍に来た時に、夫の身と心を休ませ安らぎを与える事が出来ないような妻は落第であるということである。妻が夫の心を休ませ安らぎを与えないとしたら、夫はどこかにそれを求めたくなるであろう。これまで多くの宗教団体は、夫が浮気をするのは妻が悪いからだ、と夫の浮気を正当化してきた。それは間違いである。たとえ妻がそうであったとしても、妻がそうであることを口実にして夫は浮気をしてはならないのである。そのような妻を赦し、良く妻と話し合って調和してゆくようにしなければならないのである。妻がそうであることを口実にして自分の浮気を正当化しようとしてみても、そういう関係で心が悩みをつくり苦しむのはその夫自身であり、その悩み苦しみをなくするのも夫であるからである。赦さなければならない立場に多く立たされる人は、それだけ厳しくこの人生を生きなければならない霊の段階の高い人である。

 夫婦間における愛の純粋さについてこう教えていられる。

 
「もしも妻が貞節であって、他人の威に屈せず、夫の欲することに従順で愛ほしくあるならば、良いことも悪いことも、全て秘密の事柄を妻に打ち明けてよい」

 我々は、全面的にその人を信頼するならば、どんな事でもその人に打ち明けて相談したいと思うものである。もし夫が、自分には何にも相談してくれないと嘆いている妻があったとしたら、その妻は何故打ち明けてくれないのか、自分自身のあり方をまず反省しなければいけない訳である。

キリストが「不信仰なる夫(妻)は、信仰ある妻(夫)によって、浄くなりたればなり」と教えていられる事と、お釈迦さまが教えていられる事も同じである。

 この様に見て来ると、キリストが説かれた真理もお釈迦さまが説かれた真理も同じであると言える。

 
常識的に考えてみても、悪い人が立派な人のマネをして立派になってゆくのが自然であり当然であるし、また、人間は、不安な生活よりも安定した、心の安らかな生活、人間関係を求めるのも自然であり当然である。
 真理に則った生活というものは、極めて自然な当然な生活なのであって、常識的な誰にも納得できるような生活なのである。
だからもしその人の信仰生活が非常識的で納得出来ないものであったとしたら、そういう信仰生活は正しくないのであることを考えなればならない。




 7.釈尊の教えから ・・・ 2


 ある時、阿難が釈尊に問うた。
 「なぜ婦人は公会のうちに坐さないのですか。なぜに職業に従事しないのですか。
  職業により生計を立てないのですか」
 釈尊は答えられた。
 「阿難よ、夫人は怒り易い、夫人は嫉妬深い、婦人は物惜しみする。夫人は愚かである。
 これこそ、婦人が公会の内に坐せず、職業に従事せず、職業により生計を立てない理由である」と

 釈尊のこの女性に対する考え方は、キリストが「女は男の上に立って法を説いてはならぬ」と言われた事と同じである。この言葉だけを以て直ちにこれは女性蔑視であると言ってはならない。

 
んなに正しいことでも、そのことを直ちに実行しえない場合は、そこに至る過程として必要な方便を使い、現実生活にマッチするようなあり方をしなければならない。理想が実現出来ないから駄目だと反対行動を執って混乱を起こしてしまったのでは安心して生活できなくなる。また個人的には不幸になる。

 終戦後、労働組合運動が起こった時、「人間は平等だ、社長も労働者も平等だ」という悪平等論を全ての新聞が書いた。これと同じ発想で「先生も生徒も平等だ、先生は先生だといって高くとまっていてはいけない、先生と生徒は友達でないといけない」と書き「親も、親だと思ってはいけない、親と子は友達でないといけない」と盛んに書いた。日教組の先生達は自分でそう言った。最近の新聞の社説解説を見られるとよい。この頃はどの新聞も盛んに「中・高校生の校内暴力は、先生が先生としての権威を持たず、家庭で父親が父親としての権威を持っていないからである。父親よ、もっとしっかりしろ」と書いている。

 世の中には当てにならないものが一杯あるが、その中に新聞の社説解説がある。終戦後からの各新聞社の社説解説を通読して見られると分かられると思う。如何にその場当たりの、左翼的思想傾向を持つ読者層に迎合した社説が多いか、だから私は新聞は見ることは見るが、社説は一切信じないことにしている。新聞などのマスコミに引きずり廻され「先生も生徒も平等だ、親と子は友達だ」と言って来た結果は今のように、教育現場は全く混乱して先生は手をつけられず、警察力を導入しているではないか。ストに対して警察官が出動した時、これまではいつも日教組は「政府は警察力を導入して鎮圧する」と政府のやり方を攻撃してきた。その日教組が、今度は学校に警察力を導入しているのである。私は、日本の教育を正常化するためには、当分、どんなに学校から要請があっても、警察官は絶対に学校に介入しないで、先生達自身の力で解決するように仕向けることだと思っている。終戦後から一貫して日本の警察行政に反対して来た日教組が、今になって警察力に頼らなければ学校運営が出来ないと言って泣きつくのも不見識であるし、要請されたからと言ってすぐ出動する警察側もまた余りに考えが浅いし甘い。「日教組は、我々警察側に対して、これまでどう言って来たか反省しなさい」と突き放せばいいのである。

 日本の経済力が世界一になって来たのは、毎年ストはあっても、経営者と労働者側の秩序が保たれて、社長になった人はそれなりに、また、働く側はそれなりに、きちんと役割を守って精一杯努力して来たからである。人間は平等だからと言って、社長としての能力のない人が社長になったら、一ぺんで会社は潰れてしまう。能力のある人は、その能力を生かして、その能力を充分に発揮できる役割を持って働くのが正しいし、経営の能力のない人はない人で、その能力に相応しい役割を与えて仕事をさせるのが正しいのである。
悪平等は真理ではない。男と女は決して平等ではない。役割は違うが、しかし人間としては平等である。

 釈尊は決して女性を蔑視されることはなかった。

 ある時、コーサラ国王パセナディー王の妃マッリカーが王女を生んだが、王は王女が生まれたことを喜ばなかった。その時、釈尊は次のように教えられた。

 
「人々の王よ、婦人といえども、ある人々実には男子よりも優れている。知恵あり、戒めを保ち、姑を敬い、夫  に忠実である。かの女の生んだ子は、英雄となり、地上の主となる。かくのごとき良き妻の子は、国家をも教  え導くのである」

 釈尊は夫人の持つ素晴らしい才能を尊び、偉大なる聖者も英雄も、全て女から生まれるのであると、尊敬していられる。


 そうして、夫は次の五つの在り方で妻に奉仕すべきであると教えていられる。

 一、尊敬する 二、軽蔑しない 三、道から外れない 四、権威を与える 五、装飾品を提供する


 一、尊敬する
 神々に対すると同じ尊敬の念を以て妻を尊敬せよ。封建的な道徳的な男女観の中からは「妻を神と同じように尊敬せよ」という考え方は出て来ない。男女という肉体的な外見の相異はあっても、人間は皆神の子の霊性の本質は同じであることがわかると、妻をも神と同じように尊敬しなければならないことがわかってくる。平塚雷鳥さんが、「男は女の性の前に跪かなければならない」と言われたのも、この霊性の本質から言われた言葉である。平塚さんは「私はインドのお釈迦さまの話を聞いた比丘尼であったのかも知れない」と書いていられるが、それは事実であろう。その人の心の奥底から自然に起こってくる思いは、その人が過去世に体験したものが出て来るのである。

 私が青春時代、常に思い続けてきた言葉の中に、
 「処女の純潔に逢うて、誰か浄化せざる者、あらざらむや」という言葉がある。その頃、私にとって女性は全て聖女であった。今もその思いは変わらない。世界中の全ての女性が聖女になれば男性社会は全て調和され平和になり犯罪もなくなるであろうという思いが今でもある。誠にも女性は尊敬すべきである。正しく女性は、男性からの尊敬に値するような女性にならなければいけないのである。


 二、軽蔑しない
 尊敬するということは直ちに同時に軽蔑しないということになるが、ここで釈尊が教えられたのは礼儀がなければならないということである。「女だから」といって女性の人格を無視して、手荒なことをしてはならないということである。女性の感情は、男の感情よりも繊細であるから(中には男性以上に図太い神経を持っている女性もいるが)傷つき易い女の感情を大事にして、言葉や行動に気をつけなければならないということである。


 三、道から外れない
 ここで意味されているものは、姦淫も含めて、男の心が、妻以外の女性に移ることを戒めていられるのである。愛は純粋で純潔でなければならない。愛と言う言葉によって男女の生活が乱れて来ているのが現状であるが、真の愛からは心の安らぎが得られるが、ニセモノの愛からは、同じ愛と言う言葉は使っていても心の安らぎは得られない。愛情が分裂していることは大きな苦しみであり悩みとなる。釈尊の時代は、男が妻以外の女性と歩き廻ることも悪徳とされていた。今でもインドではこのことは守られている。最近のように、女性が職場に進出して来ると、男女が一緒に歩かなければならない機会も増えて来るが、しかし「道から外れてはならない」という心の掟は大事なことである。


 四、権威を与える
 夫は社会的に家庭を外で活動するのであるから、家庭内のことはすべて妻に任せて夫は干渉しない。妻に自主性を持たせて権威を与えるということである。
 男がいちいち家庭内のことまで細かく心を使っていたら、それだけ社会活動の力はそがれることになる。女性を尊敬している男性は決して台所に入らない。大きな仕事をしようとすればするほど男は家庭でも外でも勉強しなければならないことがある。私は妻を尊敬しているから、家庭内のことはすべて妻に任せている。私がもし、近頃のような男女悪平等を主張して、亭主に料理も洗濯もさせ、日曜の度にどこかうまいものを食べに、また旅行に連れて行ってとせがむような悪妻を持っていたとしたら、私はこうした原稿を書くことも出来ないし、正法の活動など全く出来ないことになる。勿論、どこかへ食べに連れて行くような金もない。新聞や雑誌に登場している、はねっ返りの翔んだ女性から見れば、私など全く封建的な落第亭主の標本ということになろう。私の原稿はほとんど直観に導かれて書いている。書いている時に次から次へと書くことが先に頭に浮かんでくる。そういう原稿を書いている時に、いちいち「あれを手伝って、これをして、お風呂沸かして、料理して」と言われたら、折角の直感が中断されてとても書けるものではない。私は妻を尊敬しているから妻の立場を尊重して、妻の自主性を尊重して妻に権威を与えているのである。妻を愛していると言いながら、妻の領分にまで立ち入って料理や洗濯をしたりしている夫は、実際は妻に権威を与えていないことに気づかなければならないのであるし、妻はまた、夫を愛していると言いながら、社会的に大きく貢献しなければならない夫のエネルギーを家庭でロスさせて夫の将来性をダメにしてはいないかということを考えなければいけない。この頃、男性料理教室やら、男性育児教室が盛んだということであるが、一生を平凡に生きることだけで満足だという男性はそういう勉強をしてもいいであろうが、何かを成し遂げたいという目的を持って生きようとする男性はそういう所に行くべきではないと私は思う。

 妻が病気で寝込んだ時とか、或いはどこか用事で出掛けて料理する者がいないという時に、男が自分で料理して食べ、また、妻にも食べさせるのは当然だし、妻がどうしても外に手の離せない用事があるという時に赤ん坊のオムツを替えてやるのはこれまた当然で、夫婦生活する以上、夫婦は協力してゆかなければならないが、最近は、限度を超えて家庭にのめり込む男子をいい亭主だと誉めるような風潮があるのは遺憾であると思っている。父親らしくないことが子供の家庭内暴力や、中学・高校生の校内暴力の原因となっているというのであるから、妻は夫をして、夫らしく又親らしくさせることが大事で、妻が夫をして夫らしく又親らしく振舞わせないで、夫に炊事や洗濯などさせていたら、親の言う事を聞かない子供に育てているということになる。


 五、装飾品を提供する
 インドから南アジア一帯の婦人達は、宝石貴金属等の装飾品をよく身につける。金が貯まると装飾品を増やし、金が必要になると少しずつ売るということをする。
 日本のように安定した国では装飾品を身に付けるという事は余りしなかったが、常に戦乱が続いて、自分を守ることは自分がして、たとえ何処へ行っても生活が出来るように、何時でも金になる物は身に付けて置くというのが生活の知恵であった。妻に装飾品をつけさせるということは、妻への愛情の表現であると同時に貯金することでもあった。高価な宝石や貴金属でなくても、愛情の表現として夫が何かを妻に贈ることは自然であろう。

 以上のように釈尊は夫達に対して妻を尊敬せよと教えていられるのである。


 ではなぜ釈尊は、阿難が「夫人はなぜ公会のうちに坐さないのですか・・・」と質問したのに対して、「婦人が公会のうちに坐せず、職業に従事せず、職業によって生計を立ててはならぬ」と言われたのであろうか。
 それは、夫人は怒り易く、嫉妬深く、物惜しみし、愚かで、知恵が足りないからであると言われたのである。ということは、その当時のインドの女性は、釈尊が心の内に願っていられたような女性の理想像とは程遠い愚かな状態にあったからである。

 パセナディー王に言われたように「夫人といえども、ある人々は男子よりも優れて知恵あり、良き妻が育てた子供は、国家をも導く」と夫人の中には素晴らしい女性があることを知っていられたが、平均的に全女性を眺めた場合、どちらかと言えば劣った愚かな女性が多かったからである。

 釈尊は「婦人は公の場に出たり、公の仕事をしてはならぬ」と言われたが、キリストもまた「女は男の上に立って法を説いてはならぬ」と説いていられる。

 これもまた、今から二千年前のあのイスラエル地方の多くの女性は、まだ無知な人が多かったからであろう。もし女性がもっと素晴らしい存在であったら釈尊もキリストもそのようには言われなかった筈である。
能力のない者が上の地位に就き、心の狭い者が広い見識を必要とする仕事に就くとしたら社会は混乱し没落するばかりである。だから、相応しい人が相応しい仕事をするということは大事なことなのである。

 夫に対しては以上のように教えていられるが、妻に対してはどう教えられたのであろうか




 8.妻のあり方

 妻は次の五つの在り方で夫を愛さなければならない。
 
 一、仕事をよく処理する 二、身内の人達をよく待遇する 三、道を踏み外してはならぬ

 四、集めた財産をよく守る 五、妻として、女として、為すべき事柄について巧みで勤勉である

 ここに教えてあることは、妻は妻の役割を果たさなければ良い妻とはいえないということである。


 一、仕事をよく処理する
 妻は家庭内の仕事を充分によく処理し、夫が外にあって安心して活動することが出来るようにすることである。それが夫を助ける道であるというのである。
 妻が不出来で妻らしいことは何にも出来ず、子供が生まれても母親らしいことは何にも出来ないとしたら、夫は安心して外で仕事は出来ない。夫が仕事が出来なくなれば当然収入も少なくなる。このような場合愚かな不出来な妻は、自分が夫の足を引っ張った為に収入が少なったとは考えないで、夫の働きが悪いから少ないのであると言って夫を罵倒し、こんな人と結婚するのではなかったと言うかも知れない。そこまで行けばもう離婚ということになるであろう。日本は、アメリカ、ソ連に次いで離婚率は世界第三位である。女は結婚する前に、女は結婚してどういう仕事をしなければならないかと勉強して結婚すべきであろう。


 二、身内をよく待遇する
 身内とは、夫と自分の親戚のことであり、良く待遇するということは一家の中心として、みなが不愉快な感情を抱いたり争ったりすることのないように良くまとめるということである。
 釈尊の時代はインドは母系家族であった。日本も、奈良時代までは母系家族であった。女が夫の家に嫁ぐようになったのは武家社会が台頭してからである。母系家族においては尚更女は一家の中心として大家族をまとめてゆかなければならない。現在の日本のように核家族になったとしても、女が、夫の家族に良くすることは大事なことである。全国を講演して歩くと、色々な人の話を聞くが、夫が自分の親戚の人には良くするが、妻の親には何にもしないという人があり、その反対に、妻が自分の親や親戚には良くするが、夫の方には何にもしないという人があり、これでは上手くゆかないのは当然である。それぞれの生活状態に相応しく良く待遇することは大事なことである。


 三、道を踏み外さない
 インドの女性は今でも貞淑である。夫を愛している貞淑な妻は、夫を神の如くみなして、夫の希望通りに行動し、夫の同意を得て家族一切の世話を引き受け、夫の両親、親戚、友人、兄弟姉妹、召使などに対して、それぞれに相応しい態度で応接し、庭には菜園を造り、芳香を発する木や花を植え、食事についても夫の好き嫌いや、何が体に良く、何が悪いかを良く心得、夫が帰宅する足音を聞いたらすぐ出て、自分でか、または召使に夫の足を洗わせるとか。夫が何か不始末をしでかした時、少し位嫌な顔をするのはいいが、徹底して悪く言い過ぎてはならない。口やかましい妻になってはならない。下品な言葉を口にしたり、ふくれっ面をしたり、独り言を喋ったり、外でお喋りをしたりしてはならない。
 夫の側に近づく時は、いい甘い匂いのする香油や香料を用いて夫の喜ぶ衣装を身に付けよ。妻たる者は、夫に献身し、何事も夫の利益になるように努めなければならない、というようなことは五千年前から今に至るまでインドでは教えられていることである。

 
「道を踏み外さない」ということは、「夫以外の他の男性のことを、心の中でさえも求めない」ということである。心の中で他の男性を求めることは肉体的には何の関係がなくても心の中では姦淫しているのである。思う事くらいは罪にならぬと多くの人は考えるが、人間の霊性の本質がわかると、心で思う事も罪になることがわかるのである。だからキリストも「汝ら心の中で姦淫してはならぬ」と教えられたのである。あなた方が心の中で姦淫の罪を犯さなくなったら、あなた方の運命は急激な好転をすることを私ははっきり言って置きたい。あなたの心が変わる時、世界が変わるのである。


 四、集めた財をよく守る
 私がインドに学ばなければならないものがあるとアニル教授に言ったのは、インドでは宗教と道徳が一体となって生きている面が沢山あるということもあった。
 竹、薪、革製品、鉄鍋、塩、油などは、一年中で一番値段が下がる時期を見て買い込んで置く、その外日用品も必要に応じて買い整えて貯蔵室にしまう。季節になったら、大根、馬鈴薯、蕪、胡瓜、茄子、玉葱、にんにくなどの種子を買って来て自分で植える。要は自分の財産の額や、夫に打ち明けられた秘密を他人に洩らしてはならない。食卓の残りのミルクは捨てずにバターを作る。油と砂糖は自家製にし、糸紡(つむ)ぎとはた織りは家庭内で行い、縄、紐、紐を作る木の皮などは常時備えて置く。くず米やもみ殻は無駄なく利用する。使用人の手当を払い、田畑の耕作や家畜の世話を監督し、一日の収支の帳尻を合わせ、着古した衣類は使用人に与へ、夫の友人には花、香油、香料など贈って歓迎する。夫の両親を敬い、決して逆らわず、穏やかな口調で口数少なく話しかけ、彼らの前では大声で笑わず、そのうえ、妻は虚栄に憂き身をやつしたり、自分の楽しみだけに没頭したりしてはならない。使用人に対しては寛大な態度を示し、休暇や祭りの日にはその労をねぎらってやり、何か物を与える時は、まず夫に断わらなければならない。

 以上は、ヴァーツヤーヤナ著「愛の格諺」という本に書かれていることであるが、ヴァーツヤーヤナという人は今から二千年位前に存在した人ではなかろうかいわれているが、はっきりした年代は不明で、どんなに新しいといっても千五百年以後の人ではないということははっきりしている。釈尊の教えが経典という形式にまとめられたのがやはり二千年前頃であることを考えると、ヴァーツヤーヤナが「愛の格諺」に書いてまとめたようなことは、釈尊は二千五百年前の方であるからその頃は口で言い伝えられていたに違いない。
 集めた財というのは、農耕・商業などをして集めた財であって、それを守るということが妻の為すべき事の務めの一つとして挙げられていることは、家庭の経済の管理は妻に任せられていたということで、夫は妻に経済を全て任せる程妻を信頼していたということであり、また妻は、夫の信頼に応えられるようでなければならないということである。


 五、妻として、女として、為すべき事柄について巧みで勤勉である
 このことについては前項でも書いたが、要は、妻は夫の収入の範囲内で上手くまかなってゆかなければならないということを教えられたのである。
 限られた夫の収入の範囲内でやってゆくということは、大変骨の折れる仕事であるかもしれないが、足りないからとサラ金に手を出して破滅してしまったという人の例はザラである。妻が夫の収入の範囲内でやってゆくということは、古代インドの時代であろうが今であろうが変わりないことである。ここでいわれた「巧み」とは「粥や食物をつくることなどにも巧みである」ということもある。同じ材料を使っても、作る人によって美味しかったり美味しくなかったりする。一番肝心なことは愛情を込めて作るということである。
 アメリカのスターデリーという人がある。この人は、極悪な脱獄犯人であったが、獄舎の中でキリストの姿を見て反省し、キリストの教えを忠実に生き伝道者になった人である。この人が言っている。「刑務所や集団給食をする所の料理がうまくないのは、愛がこもっていないからである。愛のない食事を咀嚼するのには鉄の胃袋を必要とする」と。愛情のない食事は見ただけで寒々としている。


 以上、書いたように、釈尊が結婚生活について説かれた夫の役割と妻の役割は至極当然のことを説いていられる訳で、別に奇異な事を説かれた訳ではない。

 この釈尊の教えは、原始仏教が伝えられた南伝仏教圏、ビルマ、タイなどでは最近まで生きていた。ビルマでは妻が財産を支配していた。夫婦の協力によって得た財産は共同財産であった。妻はみな貞淑で姦通による離婚は極めて稀であった。西洋思想が入って来てからインドでもビルマ辺りでも姦通が増えて来て、家庭内のことを放棄する女性が増えて来たというのであるが、しかしまだまだ原始仏教の教えは生きている。

 しかし、釈尊は矛盾といえば矛盾したことを説かれた訳である。在家の人達には「お互いに愛せよ、妻子を愛すべし」と説かれ、出家した人達には「妻子に対する愛着から離脱すべし」と説かれた。これは在家と出家と分かれている以上仕方がないことであった。

 
ここで私は、高橋信次先生が言われたことをお伝えして置きたい。
 「園頭さん、インドの時は出家しないと法が説けなかった。僕がインドの時、一番心に掛かっていた事は、妻ヤショダラと、子供のラフラに対してすまないと思う思いであった。インドの時は仕方がなかったのである。インドではバラモンがあって出家が尊いこととされていた。しかし、神理からいえば、出家というのはやはり異状であって、本当は当り前の家庭生活をしていて、それで法を説かなければいけないのである。今度、日本に生まれる時に天上界で、実はインドの時のヤショダラに「お前、日本に一緒に生まれてくれないか」と頼んだのだ。そうしたら「私はインドの時にこりごりしました。今度は休ませて下さい」というのだよ。それなら仕方がないということになって今の家内の頼んだのだ。正法というものは、自分が正しい生活をしながら説かないといけないのだ」
 高橋信次先生のこの言葉の意義は大きい。


 インドから中国を経て日本へ、その間、仏法を伝えて来られた沢山の僧、また仏法の求道者達は、出家された釈尊、三十二相を備えられた礼拝の対象とされてしまった釈尊を理想像としてひたすらに精進して来られたのである。日本の坊さん達が、男女夫婦の役割について説かれなかったことも無理もない。女人禁制として、女は信仰には無縁の存在として、いやそればかりでなくむしろ業の深い存在として扱われて来た事については、女の人達は永い間不満を持って来られたであろう。

 考えてみると、今から二千五百年前、釈尊がクシナガラの地で入滅されてから世界は、男性中心の戦国時代に入る。戦いを中心とした封建社会は、否応なしに男性中心の社会とならざるを得ない。女が刀を擔(かつ)いで戦場を駈け廻る訳にはゆかない。女は家庭に引き籠って男の生き方のままに翻弄され従って生きざるを得ない。男性中心の封建社会で男性が生き抜いて行くためには、学問も男性中心のものとならざるを得ない。正常でない封建社会の中で法を伝えてゆくとすれば、やはり、男子から男子へとならざるを得ない。

 明治維新が天上界で計画されたのは寛永二年であったという。明治維新がなぜ計画されたのかといえば、徳川幕府の下では自由がない。男女共に自由を与える為には一ぺんまた天皇制に還さなければいけないということで計画されたという。本当は明治維新で男女の自由が完全に得られる筈のものとして実現されたのだが、維新が実現してみると封建時代の道徳がそのまま残り、完全な男女の自由は与えられずに、日本は神国思想に凝り固まって、全世界が理想世界となってゆくためには、日本は世界各国から孤立するような愛国思想は除かなければいけない、ということで大東亜戦争もまた天上界で計画され、日本は敗戦することによって初めて男女平等の自由を得させるということになり、敗戦して混乱した日本を収拾するには偉大な徳を持った人を日本の天皇として生まれさせて置かなければならないということで、菩薩界の方であり、紀元前二八六年にマガダ国王として即位し、仏教を全インドに広められたアショカ王を日本に生まれさせるということになって、大正天皇の皇太子として生まれさせるということになった。それが今の天皇陛下でいられる。


 
そうした準備が天上界で計画され、その通りに実現し、大東亜戦争が敗戦ということになって完全な自由が与えられた時になって、昭和四十三年、高橋信次先生は、自分が過去世に於いて、インドで釈尊として生まれていたことを悟られたのであった。

 「園頭さん、僕はインドで四十五年間掛かって説いたことを今度は七年間で全部説きつくした」
 「僕が説いたことを一から十まで、よくわかっているのは園頭さんだけだ」

  と言い残されて昭和五十一年(1976年)六月に高橋信次先生は昇天された。



 
原始仏典に残されている男女夫婦の倫理と役割については今まで書いてきた。原始仏典に残されているものは、出家という立場で説かれたものである。

 「正法は、自ら家庭生活を持って説かなければならない。インドの時は異状だったのだ」といって、この度、高橋信次先生という名を以て出生された嘗(かつ)ての釈尊は、今回は家庭を持って男女夫婦の倫理と役割をどのように説かれるのであろうか。次号からはそのことについて書かなければならない。

 言って置きたいことは、高橋信次先生が説いていられる女性像にまで到達するには、現在の女性の意識がまだまだ高まって行かなければならないということである。

 釈尊即ち高橋信次先生は、言い替えるならば「偉大なるフェミニスト(女性崇拝者)であった」ということである。

 これまで世界の哲学者思想家達が「男女平等論」を唱えている。日本では左翼思想にかぶれた女性運動の思想家達が「男女平等」を唱えてきた。高橋信次先生即ち釈尊の女性論を知られるならば、その人達の男女平等論が如何に次元の低いものであるかが分かられるであろう。

 この中で、私は青春時代「処女の純潔に合うて、誰が魂を浄化せられざる者あらむや」ということを思って来たと書いた。キリストは「不信仰なる夫は、信仰ある妻によって魂を直くせられるのである」と説かれた。私は女性が、もっと女性としての生命の尊さの本質を知ってもらいたいと熱願するものである。
 釈尊やキリストの本当の女性観を知る時、全世界の女性は全て自分が女性として生まれて来たことを幸せだと思わざるを得ないであろう。この世で働き疲れた夫達は、その疲れた心と身体を優しい妻の傍(かたわ)らで癒したいと願うものである。
 世の女性達よ、どうぞあなたの傍らで夫の疲れた心と身体を憩(いこ)わせて下さいと、私は叫ばずにはいられない。




 9.永遠の父性と永遠の母性

 「世の女性達よ、あなたの傍らで、夫の疲れた心と身体を憩わせて下さい」と私は前項で書いた。
 これは私自身のこれまでの夫婦生活の体験からの叫びであり、同時代に東洋と西洋とを問わず世界の全男性の心からの願いであると思っているし、それが正法実践の道である。

 婦人公論にある人が『「この妻が死んでくれたら」とか「この夫が死んでくれたら」とか一度も思わなかった人は居ないのではないかと思う』と書いていた。死んでくれたらとは思わなくても「この妻の下から」「この夫の下から」逃げ出したい、そうして別な新しい生活をはじめたいと思った人は多いのではなかろうか。実際にそれを実行して蒸発する人達がいる。愛が憎しみに変わる時、人間は心の中で色々な事を想像する。しかし良心があるために、或いは刑を恐れて心に思った通りには実行出来ない。「どうせ結婚するんだったら、もっと素直な優しい妻と結婚するんだった。こんな、我の強い、ヒステリックな、人の心の優しさも理解できない女と結婚して自分は失敗した。今さら別れる訳にも行かないし、こういう女を一生喰わして養って行かなければならないのか」と「女房の不作は一生の不作」と言う諺を実感として感じている夫も世には多いだろうし、またその反対に「夫の不作は一生の不作」と嘆いて、わずかに「今さら子供を捨てる訳に行かないし」と、夫によって満たされぬ思いを子供に託して悲しく生きているという妻も多いに違いない。「夫婦生活とは我慢の連続である」とか「忍耐の連続である」と言っている人もあるが、確かにそういう面もある。お互いが自己主張をして譲らなかったらいつも喧嘩ばかりでそういう夫婦生活は絶対に永続きしないであろう。どんな夫婦でも、結婚以来一度も我慢しなかったという人はないであろう。

 私は昭和四十八年三月、高橋信次先生に帰依した時、これまでの自分の人生を偽らずに反省した。死んでくれたらと思ったことはなかったが、妻と二人の子供を置いて逃げ出したいと思ったことがあった。


 もし、心をそのままに映し出す鏡があったとしたら自分でそれを見て自分の心の醜さあくどさに驚かない人はないであろうし(この世を終わってあの世に行くと、それを見せられるのであるが)
もし、みんな人の心が見えるものであるとしたら、まともに人の中を歩ける人は一人もいないであろう。

 その頃どうして妻の下から逃げ出そうかと考えていた。「こんな我の強い女を・・・」という思いもあるにはあったがそれよりも強く私の心を苦しめたのは「こんな立派な女をとても自分は幸せにし得る力はない」という思いであった。妻の前に出ると、私は自分がみじめで仕方がなかった。立派であれば何も別れる必要はないではないかと多くの人は思うのである。しかし、当事者にしてみれば、表面立派だという姿の裏に夫の心をみじめにさびしくさせる何かがあるのである。夫の心が満たされない何かがあるのである。夫は、その何かがこれであるとはっきり口に出して言えないのである。それを言えば、尚一層妻から軽蔑されると思うから尚言えないのである。言えないだけに察してほしいと願うのである。

 夫が一人でいて、ふと吐息を洩らしたら、また、隣に寝ている夫が、もう寝ていると思ったのにふと溜息をつく夜があったとしたら、夫は心の中で「こんなことを口で言わせるような惨酷なことはしないでくれ、言わせないで、このわしの心をわかってくれ、わしの願いを叶えてくれ」と、胸が張り裂けるような切ない思いをしているのだとわかって欲しい、と思うのである。心の優しい、思いやりの深い、心の襞(ひだ)の細かい妻は直ぐにその夫の心に気づくのであるが、立派過ぎて、しっかりしている、自我の強い、自己本位の妻はその夫の心の動きに気がつかないのである。夫の惨めな切ない思いとは別に、妻が増々立派になると夫はその結婚生活に絶望的になり別れようと思うのである。

 男の悲しさは、男が心に抱いている優しい思い、切ない思いを、そのまま優しい言葉で表現出来ない事である。もし、そうするなら、益々妻から軽蔑されるであろうと思うから、その思いがそのまま言葉にならないと同時に、これまでの永い間の封建的な男尊女卑の生き方に制約されて、夫は妻に哀願出来ないのである。
 だから、いうとすれば、これまでの永い間の世の中のしきたりに従って、心に思っている思いとは全く違った強い言葉と態度でしか表現出来ないのである。すると、夫の心の内面の優しさに気づかない我の強い気の強い妻は、夫の表面的な強い言葉と態度によって増々心を固くしてゆくのである。その妻の頑なな心と態度によって増々夫は悲しみを深くするが、それはまた妻に対しては強い言葉でしか表現されないという悪循環を繰り返してゆく事になる。別れるだけの勇気を持たず別れることは社会的に色々な面で損であると悲しく思い諦めた夫は妻に妥協してゆくことになる。

 女心を理解しない頑固な夫に嫁いだ妻はまた、女であるがゆえになお一層悲しく思い諦めて夫に従ってゆくことになるのであろう。中には夫の横暴に敢然(かんぜん・思い切ってするさま)と立ち向かって成功したという人もいる。夫が「この妻とはとても一生は・・・」という思いを持つと同様に妻は「とてもこの人には一生頼れない」という思いを持つのである。

 私達は夫婦喧嘩がすんだ後、それも四年も五年も経ってから、あの時はどういう考えであったか話し合った。本当は仲直りした直後すぐやれば良いと思うのであるが何か照れくさくて、それにお互いの欠点を、相手に対するその時の不満を言い合わなければならないのであるし、そんなことを再現しても、どちらももう心を動揺させいがみ合うことはないという完全な理解(愛とは相手に対する完全なる理解である)に到達するには、私達には四、五年という年数が必要であった。


 私が妻を「自分には立派過ぎる」と思ったのはこうである。

 復員してみたら両親も弟妹も全部死んでいた。米軍による大空襲で鹿児島市は殆んど焼け野原になってしまった。昭和二十年六月十八日夜である。ついでにこのことも書いて置こう。その頃、私は中国広東省順徳県大良市にいた。マカオ近くにいて、決戦に備えるためにそこへ集結した。既に正月には日本は無条件降伏するというニュースがマカオから流れて来ていたから、私達は広東市を中心としての南支派遣軍の一大決戦の日を覚悟していた。ある晩、私は、上下の歯が全部抜けて、口の中で小さくジャリジャリになって、とても気色の悪い夢を見た。ハッと目が醒めると身体は疲れて寝汗をかいていた。歯が欠ける夢は身内の者が死んだ夢だということを聞いていたことがあったので「もしかしたら」と思ったが、まさか鹿児島が空襲を受けることはあるまいと心の中で否定した。それから数日経った。その夢がやはり気になって仕方がなかった。広東で発行している中国新聞が手に入った。見るとそこに「米軍の大空襲で鹿児島市は壊滅した」と書いてある。もしかしたらみな死んでいるのかもと思ったが、人間誰しも自分が不幸であるとか不幸なことは思いたくない。田舎には親戚もあることだし、出征する時既に父は糖尿病で寝たっ切りであったからそうなる前に田舎に疎開していたであろうと、良い方へ思い直していた。

 復員してみたら現実となっていた。妻だけが一人、実家の母の看病に帰っていて助かったのであった。帰る家もなくなってしまった。妻の実家に身を寄せるしか仕方がなかった。肩身の狭い思いをしながら世話にならなければならなかった。食糧事情の悪い時であり、農地改革があり、小作地を全部手放して義父も六十才になって初めて農業をすることになった。それまでは大きく商売をやり、その土地ではチョットした名士であったから自分で農業したことはなかったのが、六十才になって初めて鍬を持って農業を始めたのであるから辛かったに違いない。私も初めて義父を手伝って農業した。慣れない仕事であるしそれまで力仕事をしたことがなかったから少し腰をかがめて仕事をすると腰が痛くなって、身体は大きくても義父程にも仕事が出来なかった。「身体ばかり大きくて、たったそれだけしか仕事が出来ないのか」と言われると、出来ないながらも精一杯やっているだけにその言葉が情けなかった。両親が生きていてくれたら・・・・・・とまたしても思うのであった。

 義父も初めて農業をするのだし、食料はないのであるし、私が働き甲斐がないことが歯痒かったに違いない。そのことは充分に分かりながらも、出来ないながらも精一杯やっているだけに思いやりのない言葉が辛かった。人間は弱り目の時、失敗した時など叱られる言葉よりは励ましの優しい言葉が欲しいものである。農具の扱い方が分からずについ壊したりするとまた叱られるのであった。

 会員の人でよく「私を叱って下さい」「何でもずけずけ言って下さい」という人がある。
 しかし、私は叱らない、言わない。それはこの時の叱られた時の辛さ、づけづけと心の中にまで踏み込んであれこれ言われた時の悔しさ、悲しさが身に沁み込んでいるせいかも知れない。あまり悔しく悲しいと、夜、月を仰いで泣いたこともある。どんな人にでも、優しい励ましの言葉をかけて上げられるような人になりたいそう思うようになったのは義父のお蔭かも知れない。

 義父の為に、出来る限りのことはやってきたが長女が生まれて来ると、ただ食べさせて貰うだけということでは子供の必要な物も買ってやれないし、自分で生きて行く道を探さなければならなくなってきた。両親や弟妹達が死んだ防空壕のあった鹿児島の土地へは住むに耐えられなかった。

 義父と叔父の協力によって未利用資源製粉工場を始めた。昭和二十三年、政府は食糧不足を解消するため、食べられる物は何でも食べようという姓策を決めた。サツマイモの茎を乾したもの、キュウリやカボチャの茎を乾したもの、よもぎの乾したもの等、それを高速度粉砕機で粉にして、メリケン粉に混ぜてパンにしたり、麺にしようと言うのである。政府の許可を貰って始めた。製粉にして食糧事務所に納入するのである。一年近くやっている内にアメリカの小麦が放出されて少し食糧事情も良くなりかけ、未利用資源の製粉は家畜飼料に回すということになったので、新しく機械を入れて昭和二十五年から製粉製米製麺向上に切り替えた。面白いように儲かった。設備を増やした。困った人にはタダで製品を上げたり食べさせたりした。

 その頃、私は生長の家に熱心であった。講師を招いて講演会を開いた。費用は全部一人で出した。生長の家には 「無限供給の法則]という教義がある。「神はこの自然をタダで人間に与えていられる。与え放しである。それが愛である。報いを求めずに与える事である。呼吸も吸ってばかりいたのでは息が詰まってしまう。吐くからまた吸えるのである。食べる物でも、口から入れるばかりでお尻から出すことをしなかったら糞詰まりになって食うことが出来なくなる。食うためにはお尻から出さなければいけない。出せば入るのである。大いに出しなさい」

 今になると智慧が足りなかったと思うのであるが、その頃は全く疑うことをせずにそのまま信じていたから「出せば入るのだ」と気前良く私は出した。一人でも沢山の人を喜ばせるとその喜びは自分に返って来るという谷口教祖の言葉を信じてその通りにやった。入った金は困った人のためにみな出した。出した後で戦後第一回の税金攻撃の槍玉に挙げられた。これは同業者からの中傷投書に因るものでもあった。分不相応の税金だと思ったがしっかりした帳簿を付けていなかった為にそれを反論することが出来なかった。日頃は助けられましたと言っていた人も金を貸してはくれなかった。ついに滞納で差押処分を受けた。「出せば入る」と信じて私と同じように失敗した人が沢山いる。

 工場からの収入だけでは間に合わなくなり、都城市の戦前の得意先に出掛けて品物を融通してもらって一週間ばかりの間に税金分を稼いだ。父が残してくれた信用のお蔭であった。
 都城市からの帰途、私は車中で妻に対しては苦労を掛けるだけで何もしてやっていないことを思い続けていた。鹿児島駅の近くの易居町に行って大島紬の着物を買った。着物のない時分で易居町一帯は古着店が多かった。新しい物はスフで着ればすぐ破れ、靴下なども一ぺん穿くと穴が空いて穿けなくなったから、新しい着物よりも丈夫な古着をみなが喜んで買った。その頃、大島紬など着ている人はなかったが、母が私が二十才になった時、大島紬の上下の揃いを作ってくれて紬の良さを知っていたし、これなら妻も何を貰うよりも喜んでくれるであろうと、喜ぶ顔を想像して帰って妻の前に出した。包みを開けて「ああ、こんな高いものを・・・」と喜んでくれることを期待していた。それが私のせめてもの妻に対する愛の表現であると思った。

 包みを開いた妻は喜ばなかった。つつっと私の前に押しやると、ぶすっとして「こんな物を買う金があるなら税金を払って貰えば良かったのに・・・」全く予期しなかった冷たい言葉に私は腹が立った。払わなければならない税金があることは充分に承知の上で、苦しいけれどもその中から、これまでの妻の苦労に報いよう。これだけ買ったからといって税金が払えない訳ではないと、充分に計算した上でのことであったが、妻は私の優しい思いやりを少しも理解しようとはしなかった。

 ともかくその頃、私の工場で働く女工さんの月給が九円であった頃の五万円という税金である。とてもその当時としては大変な金であった。どっちみちそれだけの税金を払わなければならないのであれば、大島紬代の三十五円という金はどうにでもなることであったし、苦しくてもここで愛の印として形に現わして表現して置くことは、これからも共に苦労をしなければならない妻へのいたわりであり、また、共に苦労をして欲しいという心からの願いであったが、女というものは、全てを男に話させなくとも男の心を判ってくれる優しさを持つ者であるという先入観、それは女への買いかぶりであったかも知れないがそういう心を持っていた私は、生来の口下手もあってそういう気持ちを何も話さないままに「おい、いいものを買ってきたぞ」と言っただけで妻の前に差し出したのであったから、差押の白紙を張られて税金のことで「夫はこれだけの大変な税金をどうするんだろう」と心配していた妻にしてみれば、それまで困った人があると何でもかんでもくれてしまって後のことを考えない人の良い夫を「これでは一生頼りにならないかも知れない」と思っていただけに、ホイホイと何でも買って来る夫の気の良さがいささか不安にも感じられてそう言ったのであった、ということはそれからずっと後になってその時のことを話し合って分かったことであったが、しかし、折角の心遣いを素直にどうして受け入れてくれないのか、男心の優しさをどうしてこの女は判ってくれないのか、という思いが一瞬起きて来て、その時、私は「この妻と別れて、もっと男心のわかる女を探そう」と思ったことがあった。今でも「男心の優しさが判らない妻は愚妻である」と思っているが、女に言わせれば「妻の夫を思う心のいじらしさが判らない夫は愚夫である」というであろう。

 私達夫婦の間にひびが入ってしまったのは、私が生長の家の教えをそのまま信じて「出せば増える」と、儲けた金も全部人にくれてしまったことにあった。私が施しをしたからといって、いよいよ私が税金で困った時に誰一人として「そんなに困っていられるのなら」と言って金を貸そうという人はなかった。私が盲目的に信じてしまったのが間違いであって、妻の判断が正しかったのであった。

 この事は私に経済生活のバランス(調和)の大事さを教えてくれた。
生長の家の「無限供給の法則」「人のために出せば増える」という収入と支出のバランスを全く考えない繁栄の法則を信じたがために失敗してしまったという人は非常に多い。信仰生活といっても経済の調和を大事にしなければいけないという考えはこの時に持った。

 
そうして高橋信次先生に昭和四十八年に帰依した時に「信仰には、心と肉体と経済の調和、健康が大事である」と教えられた時に「ああ、これが本当だ」とすぐその正しさを理解できたのであった。

 そのことがあるまで、私は、特に鹿児島は男尊女卑の風の強い所であったし「女は黙って男について来ればいいのだ」「女は男のすることに口出しするな」という封建的な考えを強く持っていたのであったが「夫は妻のいう事を素直に聞かなければいけない、妻は夫のすることを冷静に客観的によく見ているものなんだな」ということを知ったのであった。

 信仰する人達の陥りやすい欠点がある。
 それは、経済生活に失敗すると「まあ、金は損しても、心の勉強をしたからいいじゃないか」と安易に逃避してしまう事である。例えば「あの人は信仰に熱心だからと思って金を貸したが、結局返してもらえなかった」というような時、後になって、人に金を貸す時は社会の慣習と法律の定める所に従って賃借関係は明確にして置かなければならないということに気づく。また交通事故などあると「大難が小難で済んで良かった。信仰していなければ死ぬ所だった。信仰のお蔭だ」といって、事故を起こさないようにするにはどうすればいいかという、当然前もって注意しなければならないことを勉強せず、何時も問題が起こってしまってから後手々に物事を考えることが欠点である。それは
「信仰していれば何事も良くなる」という間違った他力信仰の欠点である。

 
釈尊は「苦しみの原因は無明にある」と言われた。「無明」とは「知るべきことを知らない」即ち「智慧がない」ということである。いくら神仏を念じても、自動車の運転方法を知らなかったら、ただ信じているというだけでは自動車は動かない。経済には経済の法則がある。いくら信仰していても、経済、経営の法則を知らなければ失敗するに決まっている。だから、正しい信仰即ち正法を信ずる人達は、前向きに積極的に、人生に必要な諸問題についてはどしどし勉強して実践して行くのである。即ち自力で勉強することは勉強し、実践することは実践して、その上で天地創造の神を信ずることである。

 他力信仰で、信じていれば何でも良くなると拝んでばかりいて、人生に必要な勉強はせず、何時も問題が起こってから後悔し、事前に知っていれば損害も損傷も受けずに済んだのに、これだけの損害、損傷で済んだのも信仰のお蔭だといっているような信仰は正しい信仰ではないのである。正法を信ずる人達は常に前向きで明るく積極的である。他力信仰の間違った信仰をしている人達は、逃避的で暗く消極的である。

 私が妻に対して「夫の優しい心を理解しない出来過ぎた女だ」と思って、一時的にしろ
 「こんな出来過ぎた立派な女とは別れたい」と恐れを感じたのは私が間違った信仰をしていたからであった。
 妻にしてみれば、五万円の税金を早く払って差押の白紙を剥がして心を楽にして貰いたいという私に対する愛があるからこそ、「そんな着物は欲しくない、大島紬を着て、身を飾るような時でもない。そうする気にもなれない。早く税金を払って楽になって下さい」といった訳であった。

 永い夫婦生活の間には、お互いの考え方の違いから、どちらもがそれぞれ正しいと思っていながら考え方がずれて喧嘩することがある。お互いに譲らないで遂に別れるという人もあれば、すれ違ったままで一生を淋しく暮らすという夫婦もあるし、それでは何のために生きているのかわからない。

 一時、喧嘩して「こんな夫(妻)は死んでしまえ」と思ったり、また「別れたい」と思ったことはあったとしても、
お互いに相手の気持ちを理解し(それが愛である)自分一人では成し遂げられない魂の成長をしてゆく所に人生の意義があり目的があり、そこに真の人生の喜びがあるのである。
 
前もって如何に良く知ろうとしていても、全てを知り尽くすということは出来ないから時には失敗するのもまた人生である。大事なことは同じ失敗を二度としないということである。失敗を失敗のままで終わらせないということである。

 夫と妻とが、人間的に成長してゆくために心得なければならない大事なことがある。このことを知らない為に世の多くの夫婦は悩むのである。この事が分かったら、世の多くの夫婦の問題も、またそこから派生する子供の問題もみな解決してゆくであろう。

 それは何か。

 良く「女は母となって完成する」という言葉が使われる。女は結婚をして子供を持ち、母親となることによって女としての人格は完成されてゆくというのである。しかし、それはそうであるが、それだけではまだ足りないのである。
女が女として完成されてゆくためには「妻は、夫にとっても母とならなければならない」ということである。

 なぜか。・・・ それは、夫というものは、男というものは、絶えず心の奥底に「母なるもの」を追い求めている存在であるからである。その「母なるもの」は、自分を産んでくれた母親でもあり、またその母親を含めた母親としての全体的な母親の理想像でもある。

 母親が生きている時は、夫の心はその母親によって満たされる。しかし、その母親と遠く離れて住む時、またその母親が死んでしまってもういないという時、夫は無意識の内に妻の上にその母親の姿を追い求めているものである。会社で上役にひどく怒られたという時、また失敗をした時など「お母さん」と言って妻の膝の上に泣き崩れて慰めてもらいたいという衝動に駆られる夫は多いのである。子供が喧嘩して泣いて帰って来て「おかあちゃん」と言った時、母親は何と言って子どもを慰めるであろうか。
 
魂が傷ついた時、人はその慰めを求める。慰められた魂は勇気を得てまた外に向かって前進する。悲しみを、苦しさを、自分独りで耐えなければならないことはつらいことである。正法を知っている人達はどんな事にも耐えて、なお明るく生きてゆく道を知っているが、まだ正法を多くの人が知らない現在の段階では人は慰めを外に求める。妻のその慰めを求めようとしても得られない時、夫の心は苦しむ。




 10.なぜ「おっ母さん」といって死ぬのか ・ なぜ「瞼の母」というのか

 
「瞼の母」という言葉はあるが「瞼の父」という言葉はない。
 
我が子を愛しない父というのはいないのであるから「瞼の父」という言葉があってもよさそうであるがその言葉はない。

 「瞼の母」という言葉は長谷川伸:作:「瞼の母」番場の忠太郎が生みの母を求めて旅鴉になる。その人が自分の母に間違いないと知って訪ねて行く。しかし、その母は既に再婚して娘があった。突然息子だと名乗られても、それが夫に知れると現在の幸せが吹き飛んでしまうことを恐れた母は、心の中では「我が子だ」と知っても「自分にはそういう子供がいたことはない。人違いだ」と言ってしまう。忠太郎はさびしく去ってゆく。「瞼を閉じりゃ、おいらのおっかさんは、いつもここにあらぁ」忠太郎は天を仰いで涙を流す。「瞼の母」の映画や芝居を観て涙を流さない人は居なかった。今、こういう映画を見たとしたら、今の若い人達も涙を流すに違いない。

 人の心の奥底深い所から、止めどもなく涙を流させる「瞼の母」というその「女」なるものは一体何者なのであろうか。「母」ということを思う時、私の心から離れることがないのは戦地で「おっかさん」と死んで行った兵隊のことである。

 昭和十四年三月の南昌作戦が、私が小隊長としての初陣であった。武漢作戦後、武昌の近くの王家店に駐留していて二月に行動開始、九江の南の箸渓に集結、私の連隊は南昌攻撃の助攻方面として武寧を攻撃することになった。武寧の敵第一線陣地の攻撃は、軽爆、重砲、野砲、軽装甲車、工兵を加えての全くの模範的な陣地攻撃であった。私は初陣であった薩摩の刀工波平行周:作の名刀を振りかざして突撃した。突撃体勢に入る為敵前五十メートルに前進した時「危ない」と、私は狙撃されようとしているのを直感した。位置を移動した瞬間に弾丸が飛んできた。敵が弾丸を発射しない前に私の直感はそれを知っていた。直観は大事にしなければいけない。突撃は成功した。一人の負傷者も出なかったが、その夜、敵の逆襲で戦死者が出た。「おっかさん」と言って死んだ。「天皇陛下万歳」と言っては死ななかった。その兵隊の火葬をしながら私は考えた。「なぜ、おっかさんと言って死んだか」と。

 私は内地を出征してからその日までの自分の心を振り返って、自分の心の中に起こった、父への思いと母への思いを思い出す限り思い出してみた。母のことは毎日思い出して懐かしんでいたのに、父のことを思い出すことの少ないことに驚いた。父親という者は、かほどまでに子供からは思い出されることの少ない存在なのであろうかと思うと、もし戦死せず無事に内地に帰ることが出来たら結婚をして、やがて父とならなければならないことを寂しく思うのであった。申し訳ないと思うのであるが、父への思いは少なかった。そのことが、
私が父となった時に「母親に劣らず、子供からも多く思い出される父親でありたい」と思う事になった原因であり、父親という者は、子供に厳しく躾をしなければならないと同時に、子供に奉仕しなければならないのであると思った原因である。子供の記憶の中に、父親との楽しい思い出を一つでも沢山つくって置くことが子供をも幸せにすることだと思った。戦争は終わった。復員した。戦地であれ程までに思った父も母も、そして弟も妹も空襲で死んでしまっていた。子に奉仕する父親でありたいと思っていた私に子供が生まれた。家族の全てを亡くしてしまった後であっただけに子供が生まれることは嬉しかった。人は、それは極端すぎるというかも知れない。しかし、私は、事実は事実として書かない訳にはゆかない。

 生まれた子供が女の子だと聞いた時、私はその子がやがて嫁ぎ行く日のことを一瞬の間に思った。誰がこの子の夫になるのか、それは分からない。嫁ぎ行くその日まで、その子が結婚して幸せになるように育てなければいけない。結婚して、夫たる人の気に入って、夫に喜ばれるような女に育てることが親の責任であると思った。母親には母親としての、同じ女であるという立場においてのわが子への願いがあるであろうが、私は父親として、夫に嫌われるような女に育ててはならないという気持ちがあった。よちよち歩けるようになり、いい着物や洋服を着せるととても喜んだ。終戦後の何もない時、そのデパートで戦前からの物でたった一枚残っていたという全部刺繍の可愛い服を買って着せた。四つになり五つになり、やがて小学校へ行くようになり、そこはかとなく女らしいそぶりを見せたりして一人前に育ってゆく娘を見て、いつもその娘の嫁ぎ行く日のことを思っていた。親の手許にいるのももうそう永くない。やがては親の下を離れて行かなければならない娘であるから、せめて家にいる間に可愛がって置こうという心があった。私は娘が生まれたその日からそういうことを思って来たのであったが、それは極端だという人でも、娘が段々大きくなるにつれて何時の時にかわが娘の姿の上に、やがて嫁ぎ行く日の娘の花嫁姿を重ねて見たことはないという父親はいないであろうと私は思う。どこの父親も、娘に対しては甘いといわれるのは、父親の心の中にはそのような思いが秘められているからではないであろうか。

 娘に対しては甘いといわれる父親が、息子に対しては厳しいといわれる。いや現在では息子に対しても甘い父親が増えて来た。それは終戦後、民主主義ということで「父親は厳しくしてはいけない。子供と友達とならなければいけない」と教えて来た日教組の先生達や、そういうことを書いたマスコミの罪である。この頃のように暴力非行問題が起こってくると、マスコミは一斉に「父親の躾が甘いからだ。父親が家庭での権威を失っているからだ」と書き立てている。マスコミの主張には一貫性がないのであるから、マスコミが書くことをそのまま信ずることは危険である。父親は息子と遊ぶ時は裸になって遊ばなければいけない。

 しかし、
父親としては厳しい躾、教育、人生に対する男としての気構えを教えなければならない責任がある。父親は息子に対しては甘いばかりではいけないのである。何故なら、男の一生というものは甘いばかりでは決して生きられないからである。

 心の中では嫌いだと思っている相手とであっても喧嘩せず、仲良くとまではゆかなくても調子を合わせて仕事をしてゆかなければならない。社会的な制約、会社の規約、あるいは不文律の慣習などあって、この世の中は決して自分一人の思うようになる世の中ではない。耐えなければならない時には耐えなければならないし、辛抱する時は辛抱することなしには生きられないということも沢山ある。成功すると思っていたことが失敗することもある。女もそうであるかも知れないが、男の生きて行く道には耐えてゆかなければならないことが多いことは、父親が自分自身の体験から一番よく知っているはずである。私は事業に失敗してこれからどうしようかと思った時、これが自分一人だったらどんなにラクに現状を切り抜けることが出来るであろうかと、妻子がいることをうとましく思ったことがある。成功している時はそうでないが失敗した時は妻子が重荷に感ぜられてくる。だからといって妻子を捨てて逃げ出す訳にゆかないのである。(中にはそういう男もいないではないが)

 息子の一生が必ずしも順調であるとばかりは限らない。色々な苦労に負けてしまっては男として一生を生きられないのである。長男が生まれたのは私が三十四才の時であった。私の三十四年という人生においても色々な苦しいことがあった。私はその苦しさに耐えて生きてきた。だから息子には、娘とは全く違ってどんな逆境にも負けない、どんな環境からでも逃避しない人間に育てなければいけないと思ってきた。しなければならないことをしていなかった時には叱った。めそめそしている時も「そんなこと位でどうするか」といって叱った。私は私自身の生い立ちの貧しさを隠さずに話をした。男の子供に対する私の眼は、いつも、妻子を背負って立ち向かって行く子供の未来に注がれていた。息子達は、父親である私の優しさを感じている反面に私の厳しさを見ている。

 子供のことで苦労しているという親は「自分の小さい時のような苦労は子供にはさせたくない」と思って子どもを甘やかした親であるはずである。

 
苦労することは決して恥ではない。苦労することによって魂が向上することが多い。恥ずべきは、苦労を恥だと思うその心の在り方である。何も自分から苦労を求める必要はないが、起こってきた苦労から逃げ出せば自分の負けであり一生をメチャメチャにしてしまうのであるから積極的に苦労を乗り越えてゆかなければならない。自分の小さい時のことを考えて「子供には同じような苦労はさせたくない」と考えている父親は、自分の小さい時と子供のことばかりが頭の中にあって、その息子が生きてゆかなければならない一生に眼が注がれていない。すなわち思慮の浅い父親が暴力非行の子供をつくってしまうのである。きちっとしなければならないことをきちっとさせること、子供自身に出来ることを子供自身にさせることは、それが愛であって、そうさせないことは子供を愛しているようであって実際は子供を不幸にしているのである。

 昔の父親は厳しかった。最近は母親の方が厳しいという子供が増えて来た。その母親の厳しさもまた日常茶飯のことだけであって子供の一生に注がれていない。注がれていると強弁する母親もいるであろうが、それは母親の思う通りの学校へ行かせようという子供の心を無視した一方的な母親の欲望からである場合が多い。

 
母親は娘に女としての生き方を教えるべきであるし、父親は息子に男としての生き方を教える責任がある。
家庭の中で父親の影が薄くなって母親が強くなってくると、娘は女としての間違った在り方を学ぶことになるし、息子は男としての生き方を学ぶチャンスがなくなってくる。男としての力強い生き方を学ばされないだけでなく、母親に甘やかされるから、優しいかもしれないが自分からは男らしく積極的に何かをしようというたくましい男にはならない。


 あるツーリストの人が、新婚旅行で、行き先を決めたり、旅行先でいつも先に立つのは女で、十組の内七組が女性上位であるという話を聞いた事があるが、そのように、いつも女性にリードしてもらわないと何もできないという男性が出来上がってしまうのである。

 父親が自分で満たされなかったものを息子によって満たそうとする場合がある。例えば、自分は高校だけしか出ずに苦労したからせめて息子は大学までは出そうとか、自分が成功しなかったことを子供にやらせようとか、或いは自分の跡を継がせようとか、そういうことを思っている父親はやはり息子を厳しく強く育てようとするであろう。しかし、どうするかは子供の自発性を第一にしないと、後になって「したくないことを強制された」といって反抗的になる場合がある。

 最近の一部の愚かな父親を除いて、常識的な普通一般の父親の眼は、息子の一生に注がれているはずである。だからこそ父親は息子を厳しく育てよう、どんな困難にも負けない立派な男にしようとして叱ったり怒ったりするのであるが、父親が厳しく息子を育てようとしていることに対して反対する母親がいる。妻に対する不満を、妻にはよう言えずに子供に向けて発散する父親がいるがこれも夫として父親としては最低である。この場合に叱り方は感情的で、子供が同じことをしても、ある時は何にも言わないのにある時は顔色を変えてということになるからよくわかる。そういう時をも含めて父親が息子を叱る時には激しく夫を憎む妻がいる。それは「こんな夫と一緒になるんじゃなかった」とか、とにかく夫に失望し、失望させられている妻である。期待していたようには夫が出世しなかったというように、夫によって欲望を達せられなかった妻は、夫によって満たされなかったものを息子によって満たそうとして、息子に必要以上の期待をかける場合がある。こうなると妻の心は夫から離れて子供の方に注がれてゆく。そういう家庭が多い証拠には、大抵の中年の夫達が「自分は家庭に中では孤独だ」「家内と子供がグルになって俺をのけ者にしている」と愚痴っているのを見ても分かる。

 妻子の幸せの為にと一生懸命に夫達は働くのに、夫に孤独の淋しさを味あわせてそれで平気でいられる妻の心の恐ろしさを私は嘆かずにはいられない。家に帰っても満たされぬ心のわびしさ、さびしさを笑いにまぎらわせ、酒にまぎらわせている。ピエロのような夫。顔で笑って心で泣いて、男であるだけに涙を見せられない男のつらさを、なぜ心優しいといわれるそれが天性であるべき女がどうして理解してやらないのであろうか。

 「うちの子は、私がいないとさっぱりだめなんです」といって息子自慢をしている母親がいる。その母親は、その息子がいつまでも「お母さん、お母さん」と言ってくれるであろうと思っているがそういう訳にはゆかない。やがて、愛し信じ切っていた息子からその母親は裏切られ捨てられ泣かされるのである。小さいうちはよい。しかし、その息子がだんだん思春期になり、女というものを意識し出すようになり、そうして結婚の相手を選ぼうというような頃になると、母親が父親にとっては悪妻であったことに気がつく。「あんな気の強い、優しさの欠けた女は貰いたくない」と、今まで「お母さん、お母さん」と言っていた母親を軽蔑して、母親の傍に行かないようになり、母親が近づくと怒ったりするようになる。中には母親を殴ったりする者もいる。そうして父親に同情するのである。しかし、父親との対話は簡単には出来ない。父親と息子との間に割って入った母親によって父親と息子の対話は永い間中絶している。父親は父親なりに孤独な心を守って家族を近づかせまいとする。また近づこうとしてもそれを避ける習慣が身についてしまっていて、自分でも不甲斐ないと思う程で対話が出来なくなってしまっている。
 母親に失望し母親を軽蔑しているとはいっても、母親に去勢されてしまった息子は自分では何にも出来ない。永い間母親にやってもらっていた習性があるので、選ぶとすれば母親のように何でもかでもやってくれる女性を無意識の内に選ぶことになる。このようにして母親を忌避している息子は母親と似たような女を妻として選んでしまって似たような気の強い嫁と姑とが、一人の男性を中にして争うということになる。

 息子に、優しい心の嫁を貰ってやろうと思うならば、母親が優しくなることである。自分は夫を軽視していながら、嫁にだけは息子を大事にして貰いたいと望んでも、この世界は「類は類をもって集まる」という世界なのであるから、自分に似たような嫁しか来ないのである。




 11.夫はなぜ自分の妻を「かあちゃん」と呼ぶのか

 最初はお互いに名前を呼び合っていた夫婦でも、子供が一人でき、二人生まれして来ると夫は子供が「かあちゃん」「おかあちゃん」と呼ぶからという訳でもないであろうに、いつの間にか自分の妻を「かあちゃん」と呼んでしまっている。これは夫自身もどうしてそう呼ぶようになったのか、気がつかないうちに呼んでしまっているのである。「ママ」と呼ばしている所では「ママ」と呼んでいるのかもしれない。

 私もまた、いつの間にか妻を「かあちゃん」と呼んでしまっていた。結婚当初、私は他の鹿児島の男性と同じように自分の妻を「おい」とか「こら」とか呼んでいた。名前を呼ぶのは何か気恥ずかしくて、女にデレデレしているみたいで呼べなかった。それがいつの間にかしら、何時の頃からだったのか気づかないうちに妻を「かあちゃん」と呼んでいた。

 そしてある日、妻を「かあちゃん」と呼んでいるその言葉の響きの中に、生みの母の姿を求めている事に気がついてびっくりした。

 講演の旅を終わって家に帰って行く。玄関を開けると子供達が「お帰りなさい」と出て来る。私はその子供達の姿の後ろに妻の姿を求めている。「かあちゃんは・・・・・・」とつい言ってしまう。帰った時、妻が玄関に出て来た時のほっとした安らかな気持ちにひきかえて、妻の姿が見えなかった時の何となき心の寂しさ。それは小さい時、学校から「お母ちゃん」といって帰った時、母が居た時の嬉しさに比べて、母が居なかった時の悔しいような寂しいような腹立たしいような、何とも言えないあの心と同じであった。男というものはかほどまでに母を恋しくも思うものであろうか。であればこそ、妻も子もある男が、いまわの際に「おっかさん」と母の名を呼んで死んでゆくのであろうか。頭は禿げても、歯は欠けても、男が心の中で求めているものは母の姿である。
母が健在である時はよい。その母と遠く離れて住んでいる時とか、また、母が死んでしまった時、男は自分の妻の上に母の姿を追い求めるのである。

 男の世界は厳しい。上役に叱られ、同僚や部下に足を引っ張られ、自分の責任でもないのに誤解されて叱られることもあればまた侮辱されることもある。時には上役の頬ぺたの一つも殴って会社を辞めたいと思う事があっても、そんなことをしたら妻や子供を路頭に迷わせると思うと、男は必死に涙と怒りを堪えて我慢するのである。あるいは、上手く行くと思っていた仕事が全く失敗してしまったということもある。得意の時は得意の時で妻の喜ぶ顔を早く見たい、早く妻を喜ばせたいといって帰りを急ぐものであるが、そうした失意の時、失敗の時程妻の慰めを求めてしおしおと男は家に帰るのである。
 日頃から夫の心を良く察している理解の深い妻は、夫の顔色や態度を見て、夫を励まして夫の心をねぎらう術を知っている。妻によって慰められた夫は気持ちを取り直してまた翌日は元気で出掛けるのである。夫はこのような思いやりの深い優しい妻を不幸にする事だけはしたくないと思うのである。ところが自我の強い、我儘な、自分本位の考え方しかしない思いやりのない妻は、夫の職場や外での色々な苦労を思いやることなど毛頭なく「別にあんな不景気な顔をしなければならぬ原因もないのに、何をあんなにふさぎ込んでいるのであろう」と、夫が必死に世の中の辛さに耐えているのも知らずに勝手に夫が塞いでいると思ってしまうのである。妻に失望した夫は「こんな女の為に何で働いてやるものか」と思うのである。そうすることは自分にとっても損だと思うのであるが妻と別れられないのは仕方がないとしても「この女を幸せにはしたくない」という思いだけはつのるのである。そういう心が夫を失敗に導くのである。また妻が余りにも虚栄心に満ちていると、その妻の虚栄心に引きずられて良くないことに手を出して失敗することもある。

 正法を知っている人達は、人生は魂の勉強であることを知っているから夫の魂を傷つけるようなことは言わないが、物質欲や名誉欲や虚栄心などにとらわれている妻は、そういうものだけで夫を評価するから夫はそれに耐えられなくなってくる。「犯罪の陰に女あり」というのは本当である。しかし、世の中にはどうしようもないという男もいるがそれは稀であって私は今この場合、普通の常識的な一般的な夫婦を対象にして書いているのである。

 
夫の心の奥底に潜む、夫自身さえあらわには知らない切ないまでに母を思う心、この心を満たしてやるのは、妻が母になる以外にない。

 妻は子供のためだけの母であってはならないのである。夫にとっても母となり、夫が母を慕うその心を満たしてやらなければならないのである。妻が唯単に、子供の母としてだけ、夫に仕える一人の妻としてだけであったのではその妻を、可愛いとは思うがそれだけでは夫の心は満たされないのである。もし何かあったとしたら私に任せて下さいと言ってくれるような頼り甲斐のある、あたかも子供が母親を頼りに思うような頼もしさを夫はいつの間にかしら妻に求めているのである。そうして、良い所も悪い所も、全てひっくるめて夫を温かく包んでくれる母のような妻を夫は心の底で望んでいるのである。夫の良い所を認めることもなく、欠点だけを言い立てるような妻であったとしたら、夫は家に帰っても心が安らぐことがない。
人が求めているのは心の安らかさである。妻の前で心が安らかでないと、その夫はどこかで何かで心の安らかさを求めて妻を悲しませることになるであろうが、夫の心を安らがせることのなかった妻は、夫がそうしたことが自分の責任であったことには気がつかないのである。

 男は外で職場で、何かあった時、思いっきり泣きたいと思うことがある。思いっきり慰められたいと思うことがある。しかし、男はそれが出来ない。もし妻の前でそんなことをしたら、妻から軽蔑されると思い、また、妻にだけはこの様な辛さは味あわせてはならないと思うから、そういうことがあった時程かえって何事も無かったかの様に振舞うのである。しかし、賢明な妻は、かねてとは違った夫のそぶりから敏感に夫の苦労を知って夫の心を休ませるのである。

 私が事業に失敗して収入がなくなった時、妻は何にもいわずに自分から働きに出て少ない収入に何一つ不平も言わずに家事をやってくれた。そのことがどれ位有り難かったことか。私は心の中で手を合わせて感謝した。その時の妻には後光がさしていた。

 「こんなはずじゃなかった」「こんな金では生活できない」「全く甲斐性がない」など妻に言い立てられたとしたら、そんな妻の前で平気でいられる夫は一人もいないであろう。怒って妻を殴り倒すか、黙ってその妻から逃げ出すであろう。

 どこの家庭でも年老いた夫は老妻に世話を焼かせる。老妻から何と言われようとも少しも気にせずに言われるが儘に動いている。年老いた夫は、年とともに子供に帰ってしまう。老妻が居なくなると淋しくて仕方がなくなる。仲の良い老妻は夫のことを「手の掛かる孫だ」という。

 
夫が、男が、心の中で求めているものは「永遠の母性」である。女は、妻は、夫にとっても母となった時その人格は完成されてゆく。男は、夫は、妻の内なる永遠の母性を頼りに生きてゆく。

 私は男であるから、男としての立場を書き過ぎたかも知れない。戦前はこんなことは聞かなくても多くの女性は母となって人格を磨いて行った。健気な妻が多かった。
 終戦後は民主主義ということで男女平等ということばかりが強調されて「母となる事の大事さ」は全く説かれなくなってしまった。この文章を読んで、初めて男心というものがわかった。女が母として生きることの大事さ、女心というものがわかったという女の人があるはずである。


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 正法誌五月号の「男の役割と女の役割」を読まれたある方から次のような手紙が寄せられた。

 「私は高橋信次先生にお目にかかり、突然、心を開いて頂き、父をはじめ一族お救い頂いた者でございます。信次先生懐かしさの思いだけでこれまで一年余り正法誌を読ませて頂いておりましたが、毎月の正法誌によってどれだけ心を救って頂いているかを今になって改めて感じさせて頂いております。信次先生の遺された教えを守っていれば、心の指針は失ってはいないはずだと思っておりましたのに、自己中心の高ぶった心は常に揺れ動き、正法誌にふれると正常に戻る状態でございます。夫を尊敬出来ないばかりか、軽蔑の思いに満ち満ちて、離婚まで考えておりましたが、五月号の正法誌によってその間違いに気づかせて頂きました。この出来の悪い女を、一言の文句を言う事もなく耐えてくれていた夫こそ、天上界の使いの方かも知れません。これまで夫から悪く言われまい、言われまいとばかり思い、優しい心を掛けること一つせず見下してばかりおりました。恥知らずとは私のことだと思います。現在は心も安定して、生きてゆく希望が湧いてくる思いが致します。本当に正法誌のお蔭でございます。感謝の心の一端を記させて頂きました。本当に有り難う御座いました」

 この様な喜びの手紙を頂くと、私も正法誌を出して本当に良かったと嬉しくてならない。
 この七月号ではまた喜んで下さる方が出て来るであろう。

 この手紙の方の夫のような人を「永遠の父性」を備えた人という。

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男が、夫が、妻に求めるものは「永遠の母性」であるが、女が、妻が、夫に求めるものは「永遠の父性」である。妻が夫にとって良き母とならなければならないと同じように、夫は妻にとって良き父とならなければならない。 夫は父となってその人格は完成されてゆく。

 
妻がどんなことを言おうと、どんなことをしようと、妻を愛する夫は父となって妻のすることを赦している。
 父が娘を可愛がるのと同じように、夫は父となって妻を愛してゆく。

 妻はその夫の頼り甲斐を感ずればこそ、そこに頼もしさを感じて心を憩わせる。妻がどんな失言をしても、それを笑って過ごす夫に妻は頼り甲斐を感ずる。妻の言う事に一々目くじらを立ててあげつらっているような夫は、賢い夫だとは思うが何故か夫に頼り切れない不安が残る。妻が母となって夫の過ちを赦すと同じように、夫は父となって妻の過ちを赦さなければならない。過ちを赦された妻は、その夫をどんなにか尊くありがたく思う事であろうか。


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 職場で知り合った男性と駆け落ちしたものの、その男性に捨てられて困っている妻を迎えに行った夫の話を聞いた事がある。

「頼って行った男に捨てられたあの妻は、腕に職がある訳でもないのに、これから永い先の一生をどうやって暮らしてゆくであろうか。あの妻の疲れた心を憩わせ、安らかな心を持たせることが出来るのは自分以外にはないであろう。自分から逃げた女を迎えに行ってと軽蔑されるかも知れないがそれでもいい」その人は妻の全てを赦したという。その人は永遠の父性を自覚していたのである。

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キリストの祈りは「天に在します我らの父よ」という言葉で始まる。一切の罪を赦すのは父である。夫は父となって妻を守り妻の全てを生かし妻の全てを赦さなければならない。妻が夫の心を憩わせなければならないと同じように夫は妻の心を憩わせなければならない。

 
人間は、ある時は男に生まれ、ある時は女に生まれて父となり母となりして、神の性である永遠の父性と永遠の母性を体験して人格を完成してゆかなければならない。男性的ではあるが女心の優しさは分からないという男性はまだ男性としては未熟であるし、女性的ではあるが男心の逞しさが充分に分からないという女性もまた女性としては未熟である。

 神の心をそのまま知ることが出来た方を如来というのであるが、如来の持ち賜う慈悲は、永遠の女性から生まれたものであるし、如来の智慧は、永遠の男性から生まれたものであり、如来が智慧と慈悲とを一身に兼備していられるのは、神が智慧そのものであり慈悲そのものであり賜うからである。人は男心も女心も良くわかるようになってゆかなければ人格を完成することは出来ないのである。

 
家庭生活とは、夫婦が単に調和するだけでなく、夫は女心を良く理解し、妻は男心を良く理解して、ともに人格(実際は神格の顕現)を完成してゆかなければならないものである。妻は夫をして、子供達だけの父とならしめるだけでなく、自分にとっても良き父たらしめる(そのようなこと(存在)にさせるという意)べく夫と話をしてゆかなければならないし、夫は妻をして、子供達だけの母たらしめるだけでなく、自分にとっても良き母たらしめるべく妻と話をしてゆかなければならない。

 
男と女と、夫と妻と、父と母と、この間にたゆとう(ゆらゆらと揺れ動いて定まらないという意)愛の心の不可思議さを、余す所なく味わい尽くして行く所に人生の喜びがあり、人格の完成がある。何と不思議な人生であることよ。神の摂理の不思議さに私は哭(な)く。

 今生は今生で、尽くさなければならない愛を尽くさなければならないと思うし、来生は来生でまた愛を尽くさなければならない。限りなく愛を尽くして神に至るのである。


 人間は、永遠の父性、永遠の母性となるべきことを知った時、釈尊が説かれる男女の道、結婚生活の在り方もまた良く理解できるのである。私がこの様な事を書いたのは、釈尊の教えを良く皆さんに理解して頂きたいがためである。


- 完 -

月刊誌 正法 
    第31号(1981.03月)/第32号(1981.04月)/第33号(1981.05月)/第35号(1981.07月) より





2013.07.28 (日曜日)22:37 UP








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