高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします







GLA脱退宣言

園 頭 広 周

 神は正法によって天地を創造され、正法は永遠不変また普遍的なものとして天地を支え人類を救う心の柱となった。釈迦・キリストが説かれ、また高橋信次先生が説かれたものがそれである。
 GLAは真理を冒涜し、正しく正法を伝える力を失い、GLAの中にいたのでは正法を正しく伝えることは出来なくなってしまった。
 正しく正法を守り且学ぶために、既にGLAを脱退された諸理事、諸講師、会員の方々と共に、私もまた、正法を正しく学び且守るために、ここにGLAを脱退し、心ある同志の方々と共に正法の伝導に邁進するものである。

昭和五十三年七月一日 (1978.7.1) 



西 日 本 本 部 長 辞 任 理 由

 今回西日本本部長を辞任し、GLAを脱退致しました。今日まで賜りました皆様のご指導ご協力に対し心から感謝申し上げます。
 ご承知の通り昭和五十一年六月高橋信次先生がご昇天され、「ミカエルは起つ」ということになって以来、混乱と分裂が起こり、高橋信次先生直接のご薫陶を受けられた諸先生や会員の中から脱会者が続出しました。その影響で、折角皆様のご協力で完成しました二日市の研修道場も、研修の場として充分に活用されないままに辞任することになりました。混乱、分裂の原因は次の二点にあります。


一、教義面

 GLAは高橋信次先生が、釈迦・キリストの教えの原点を明らかにし、正法を伝導するためにつくられた組織であるにも拘らず、釈迦・キリストの教え、高橋信次先生が説かれた正法の否定歪曲が行われた。

1.仏教、キリスト教は、地方宗教であって世界的普遍的宗教でない。

( 現在、仏教、キリスト教は全世界的に布教されており、また全世界の宗教家、宗教学者はみな、世界宗教であり釈迦・キリストが説かれた教えは、普遍的な真理であることを認めております。この一言だけで以て、いかにGLAが大きな間違いを犯しているかということであります。)


2.ミカエルは、釈迦・キリストも説かなかった法を説かれるのである。

( 釈迦・キリストの教えは不完全であるので佳子先生が、より以上の法を説かれるのであり、その法とは昨年四月以来GLA誌に書かれたのが、それであると、昨年七月宮崎のサマースクールの時、高橋興和先生より説明がりましたがこれが正しいのでしょうか。)

3.釈迦・キリストの悟りを指導されたのがミカエルである。

(信次先生は、釈迦を天上界から指導したのはアモン(のちのキリスト)であり、キリストを指導されたのは、釈迦であった、といっておられます。)


4.仏教なんてつまらない。仏陀の智慧っておかしい。聖書には、ちっとも真理が書かれていない。
 信次先生の頭脳部分、心臓部分がミカエルで、信次先生は私を生むためにだけ出てきた人なのよ。
 ミロク菩薩が、マイトレーヤーであるというのはまちがいで、ミロク菩薩とはミカエルの事なのよ。

(解答の天使、具現の天使と発表された時の、ミカエル、ウイングスとの対談より。)


5.一栄先生が、キリストを生んだマリヤである。

(昨年(1977年)六月二十五日発表。)
(信次先生は、「私を生んだ母がマリアであった.」と書いておられます。)


6.八正道はいらない。愛の一正道でよい。


7.反省・禅定はいらない。


8.ミカエルに波動を合わせよ。

(信仰は、本来は神に調和せよということであるのに、個人に波長を合わせよということは、
 偶像崇拝になり正法に叛く)


9.ミカエルは、三億六千五百万年ぶりに肉体を持った人類の母である。

(これは証明ができない。)


10.佳子先生のみに信次先生が通信されるという説。

(これは、人類は平等なので、心が整えば必要とされる人に信次先生は通信されるのであり、現に、外に信次先生の通信を受けている人がある。佳子先生が信次先生の通信を正しく受けていられるのであったら、信次先生が説かれたことを否定される筈がないし、またこのような混乱を信次先生が起こせといわれる筈がありません。)




昨年(1977年)三月から起こった混乱、分裂、脱退は、この教義の混乱に原因があるのであるから、GLAを統一するには、教義上の間違いを修正しなければならないということになり、九月の最高合同会議で修正が決議されたのでありましたが、この決議のも拘らず、東京本部の執行機関がこの修正を実行しなかった結果更に混乱はひどくなり、信次先生が説かれた正法を守ろうとする会員と、ミカエルを支持する会員とに、はっきり二派に分かれることになったのであります。



二、組織面

 GLAの運営は、理事会の決議を地方本部長が支部長を通して実施することになっているのに、昨年三月(1977年3月)以来、理事会は無視され、事実上、理事の脱会者が多く理事会は開かれない状態になり、運営の権限のない若い講師が勝手に、地方本部長を通さず直接、支部長に連絡を始めた為に、地方本部長の知らないことが、支部長によって勝手に宣伝され、会員が混乱することになった。

 教義面と組織面から生じたGLAの混乱分裂を収拾して、信次先生の時のように、会員が一つになって正法を勉強できるようにと努力してきましたが、総合本部の運営はすでに若い講師たちによって実施され、反省しないばかりか、ますます間違った方向に暴走してきました。このような中で起こりましたのが「ミカエル否定宣言」であります。


なぜ「ミカエル」といわなくなったか

 本年三月末(1978年3月)東京のホテルで、「ミカエルを励ます会」が開かれ、マスコミ関係、ジャーナリスト達が六十名位招待された。その席上、新聞記者その他関係者から「ミカエルについて」いろいろな角度から質問されたのでありますが、遂に最後は答えられなくなり、そのため、佳子先生は、「今後、もう一切ミカエルとはいわない」といい出されたために、四月八日の横浜講演会も、急遽、講演の内容を変更されたために、低調なものになったのでありました。

 四月二十三日、高橋武先生が来福され、支部長会議があり、その時に、「今後、ミカエルということは、絶対に言わない」ということに総合本部の方針が決まった。五月の福岡講演会も「ミカエルは語る」というポスターは使わない、という発表があり、急にポスターもチラシも、印刷をやり直すということになったために、五月講演会の宣伝は遅れたのでありました。


総合本部の方針にも反する「ミカエル」支持者達

 四月二十三日夜、高橋武先生と、ミカエル派の人達との会合があり、九州のミカエル派の人達は、「たとえ総合本部が、ミカエルといわなくても、われわれは、ミカエルという」ということで総合本部の決定には従わないことを主張し、五月五日、福岡東区公民館で、「ミカエル後援会、エル・ファミリー」の結成をしたのであります。

 このことについて私は、西日本本部を統括する責任者として、つぎのことを総合本部に意見を出したのであります。

1.「ミカエル」といわないという総合本部の方針を公文書で全国に通達するべきである。文書で通達しないから、方針が全国に徹底しないのである。

2.ミカエルといわないという総合本部の方針に反対して、ミカエル後援会をつくった人達はどのように処置されるのか、このことについては何ら解答はありませんでした。


 一方では「ミカエル」といわないという方針を出していながら、一方では、「ミカエル後援会」の結成を許しているという、総合本部の指導方針のあいまいさ。このようなことが、教義面のことと相俟って、混乱、分裂、脱退を助長していることになっているのであります。
(「ミカエル」といってよいのか、わるいのか疑問の方は直接総合本部に問い合わせて下さい。)




「五月十三日總合本部理事との会談」と
「脱退を決意した理由」

「ミカエル」といわなくなったということが、信次先生が説かれた正法を正しく説くということであるならば、これまで信次先生が説かれた正法、釈迦、キリストが説かれた教えを否定歪曲してきた教義上のことを反省修正して正しく正法を説いてゆくことを全員に発表すべきではないか、ということを総合本部に要求していたのでありましたが、五月十三日ある理事が来福されたのであります。

 「佳子先生が「ミカエル」ということは絶対にいわないといい出されたのですが、しかし、これまで「ミカエル」いわせて来られたのであるし急に、「ミカエルというな」といわれても、地方の会員はこれまでの面目もあり、なかなか、急にはいわないということにならないのも当然でこれは総合本部の罪であります。
 実は、われわれ総合本部の者は、会員が、正法派とミカエル派と、ここまで分裂しているとは知りませんでした。これではとても、信次先生の時のように会員を一つにすることはできないということがよくわかりました。
 ミカエル派の会員は、総合本部のいうことにすら反対するのですから困っています。総合本部では、若い者中心の指導体制に切り替えようとしています。地方本部、支部長制度をなくして、三十才から四十才代前半の人を連絡員として置くという方針を近いうちに出します。(六月三日に発表された)正法を正しく学ぼうという人や年輩の人は、とても入れない組織になります。
 そこで高橋信次先生時代の通りに正法を学ぼうという方々は、園頭先生に指導していって貰うことにして、ミカエル中心でという方はそのままGLAにとどまるということにして、会員をきれいに二つにわけるしか仕方がないと思います。ついては園頭先生がやめられるについて、一緒にGLAをやめると云われる方には、二日市道場の寄付金はお返しして、後にしこりを残さないようにしたらどうであろうかということで相談に来ました」

 ということでありました。


總合本部は正法を否定歪曲したまゝで何ら反省もなく、「ミカエル」というのか、ということ一つすら方針が確定しない、その上、若い者中心の組織にしてゆくということであり、脱会者が相次ぎ、現に混乱矛盾を感じている人もあり、また月刊誌のGLAは、よんでも少しも感激しない、よみたくないという人がふえつつあるという偽らない現状から考えて、ここまで来た以上、もはやGLAにいたのでは、正しく正法を説き且伝えることはできないと思ったのであります。その外に、私の言動に対して常に拘束がなされてきました。

 イ、西日本地区以外で講演をしてはならない。
 ロ、GLAの組織以外で講演をしてはならない。
 ハ、GLA誌に出した原稿は、私の名前でなく、勝手に名前をつくって発表をする等

 以上のような事情でありましたので、この上はGLAを脱退しインド当時の心に帰って正法伝道の托鉢を行脚をつづけようと決意したのであります。


 私には、高橋信次先生が説かれました「正法」と、その「お心」を裏切ることはできません。また、自分で自分の心を裏切ることもできません。今回GLAを脱退してこの道を選んだことについては、いささかの悔いもありません。むしろ心は爽快で安らかであります。
 今までに、GLAについてゆけないと脱退された人達またこれから脱退される人達だけでなく、新しく「正法」を求められる人々とともに、私は精進をしてまいりたいと思っております。
 最後に努力精進、会員の皆様にご迷惑をおかけいたしましたことは深くお詫び申し上げます。皆様のご精進を心からお祈り申し上げます。
 なぜ実情を早く知らせてくれなかったのかと沢山の会員の方から、お手紙や電話を頂きましたが、云えば悪口を言うと中傷されてなかなか実情をお知らせできませんでしたことをお詫び申し上げます。



 
本来ならばこの挨拶状は六月九日辞表脱退届提出後、皆様にお送りすべきであったのでありましたが、総合本部から六月十の発表は差し控えて貰えないであろうかという申出があり、今日になったのであります。六月中に既に全国各地から指導してほしいとの要望があり、七月中に北陸、関西、中京、四国地方を講演しました。八月には、東京、東北、北海道を廻る予定でおります。
 「ミカエル」といわないということについては、その後、講演会、研修会等では、「ミカエル」といわないが個人から個人へ話をする場合また小さな集まりでは、「ミカエル」といってもよいということに総合本部の方針が変わったとも聞いております。とにかく、私が脱退する段階では「ミカエル」といわないというのが総合本部の方針でありました。今後、総合本部の方針がいかにくるくるかわるか注目下さればよろしいと思います。




「正法会」創設の精神

 神は、法をつくられ、その法に遵って宇宙を創造し、自らつくられた、その法の中に相をかくされれた。
 人類が、神の計画により、この地球を霊の修行の場と定めて出現して以来、その「正法」は神と表裏一体となって「正法」を伝える使命を持たれた光の大指導霊によって人類の前に明らかにされてきた。
 高橋信次先生は、永い年月の間にゆがめられた釈迦、キリストの教えの原点を明らかにされ、現代の人々にわかり易く「正法」を説かれるや卒然として昭和五十一年六月二十五日、使命を終わって昇天された。
 我々はその「正法」が正しく伝えられることを念願したのであったが、日ならずして正法が歪められ否定されたために、GLAは混乱と分裂が生じ、つぎつぎに脱退者が続出した。神がつくられた正法を否定歪曲することは許されないことである。

 私は一求道者として謙虚に敬虔な気持ちで正法を求めていたかったが、全国から正しく正法を指導してほしいという申込みが殺到するに及んで、私は自分一人のためにだけ正法を求めていることは許されなくなってきた。
 さまざまなことで苦しんでいる人は多い。
 折角、正法を求めながら去ってゆかれた人また、現在悩んでいられる人、これから新しく正法を求めようとしておられる人々のために、私のともす灯は小さくとも、それらの人々に正しく正法をお知らせし、ひいては人類の行くべき道を照らすことができるならばと決心して起ち上がることにしたのである。
 正法は、単に個人の悩みを救済するものだけではない。東、西両洋の宗教と文明を統一融合させて、人類の行く手を照らし、人類を救うものである。
 私は一人から一人へ、生命が燃えつきるまで正法を伝えて歩くことを決意したのである。

 昭和五十三年六月二十五日 (1978年)




正法会の発足

 私がGLA脱退を決意するや、九州地区はもとより、全国から正法を正しく指導してほしいという要望が殺到いたしました。
 今までは組織に束縛されて、九州地区以外に講演に出掛けることは自由に出来ませんでしたが、今は自由になりましたし、正法会も全国的な組織を考えなかればならない状態になるようであります。
 有志の方々に二回集まって頂いて協議いたしまして取敢えず下の点、案をつくっていただきました。今後の進展に伴い、逐次規約の充実を図りたいと思っております。

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正法会規約(案)

 第一条 この会は「正法会」とする。

 第二条 この会の事務所を下記に置く。
     〒816-○○○○  大野城市下大利○○番地
     正法会 園頭広周

 第三条 この会は釈迦・キリストが説かれ高橋信次先生が説かれた正法に基づき、宇宙の神理を明らかにし、神理は一つであることを開示し、これを宣布普及することによって個人の救いだけでなく、全人類救済の道を明らかにし、全人類に奉仕することを目的とし、その目的を達成するため必要な事業を行う。


この目的を達成するために、実践目標を定める。

 一、われわれは、常に神に感謝し、神と正法とは一体であることを信じ、正法に随って生活せんことを期す。
 二、われわれは、いかなる宗教宗派といえども、そこに正法が説かれている面は、智慧によって正しく認め、
   まちがっている点はまちがいとして認め、争うことなくそれらの宗教宗派とも提携調和して、
   やがてそれらを正法に帰一せしめんことを期す。
 三、われわれは、理想世界実現のためには、特に教育が大事であることを知り、正法により各種の教育法を
   普及するための研修、講演会等を行う。

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 七月二十日現在、正法を正しく学ぼうとされる方々が、全国から連絡してきておられますので、
 九月から月刊誌「正法」を発刊します。

 一、会費 月 500円
   申込は、正法会連絡所または」本部へ。

 二、反省禅定研修会
   釈迦直伝、高橋信次先生直伝の反省と禅定研修会は、九月より実施いたします。実施細目については後日、
   お知らせ致します。

 三、月刊「正法」誌は、高橋信次先生が説かれたものを分かり易く具体的に解説し、また、特別研修会で説かれた
   ものを中心に発表いたします。




光りは行く(紫水園日記)

 七月一日には平塚市で、GLAとは関係のない人達との正法の集まりを持ち、九日から十七日まで、北陸、滋賀、中京、関西、四国と九州の一部を講演と実情把握のために巡行しました。ある所では、GLAをやめた人も、現にまだ会員である人も、新しい初めての人も来て下さいました。
 私は神と光りの大指導霊に感謝の祈りを捧げつゝ巡行しましたが、集まられたすべての方々が、はじめて正法がわかった、心が安らかになったと喜ばれる姿を見るにつけて、これからますます使命を果たしてゆかなければならないと心に誓うことでした。
 正法は万人普遍の教えでありますから、「正法会」の集まりには、GLAをやめられた人も、まだ現在会員である人も、年輩の人も若い人も、みな来て下さればよろしいのであります。
 活動範囲が広くなり、私一人ではとても廻りきれませんので、また九州以外の各地区からの要望もありますので、私の代わりに指導に出掛けて下さる講師の養成も急がなければなりません。私は、これまで私が学んだことや高橋信次先生に教えていただいたことの全部を、心ある方々にお伝えしたいと思っております。あの世から教えられたことを人に伝えても、正法は無限でありますから私またあの世から教えて貰えます。
 あの世から教えられた正しい教えは、聞く人々の胸をうち、その感激はいつまでも永くその人の心に残り、そのことを思い出すたびに心に新しく胸にひびいてゆきますが人間の浅い智慧で、頭で考えていったことは少しも人々の心にひびいてゆきません。
 その人が神につながり、天上界につながっているかどうかは、その人が謙虚で敬虔であるかによって見分けられます。導きは神から天上界から来ることを知っている人達は、「神を信じなさい」と説きますが、そうでない人達は、「私を信じなさい」と個人崇拝をさせます。人に「神の下僕になりなさい」と説くことはまちがいで、自分が神の下僕にならなければいけないのです。私は今、自由にどこへでも行って正法を説けるようになりました。求められる人があれば、どこへでも行きます。
 高橋信次先生が、志賀高原の研修会の時、「あなたの廻りに光の輪を想像しなさい」と教えられました。このことが、私たちの運命を転換するのにどんなに大事なことであるか、私は先ずそのことをあの世とこの世のしくみから説いてゆきたいと思っております。あなたが、自分で実践される時、確実にあなた自身が救われる方法、それが正法であります。光のゆくところ、そこには神の調和が現れるのであります。
 奈良朝時代に造られた水城のある、私に家の辺りを紫水園といいます。今後、「紫水園日記」という表題で近況通信を書くことにいたしたいと思います。
 紫水園主人

 - 完 -












月 刊 正 法 ( 号外 )   昭和五十三年七月一日 (1978.07月)



・現代の釈尊高橋信次師とともに
・園頭広周書簡集 (下)
 上記2冊にも高橋信次先生昇天前後の状況が詳しく記載されています。
 合わせて併読下さい。



2020.08.16(日曜日) UP