高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします
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なぜ女をおくさん≠ニいうのか
「奥」の反対は、「前」「手前」である。
歌舞伎でも、テレビの時代劇でも女房が亭主を呼ぶのは「ねえ、お前さん」である。
男は「お前さん」である。前に出て働くのである。それが男の使命役割である。
女は「奥様」「おくさん」なのである。
女が「お前さん」であって、男をさし置いて前にしゃしゃり出てはいけないのである。
女が「お前さん」であって、男をさし置いて前にしゃしゃり出てはいけないから、女がでしゃ張るとよいことはないというので、「女、賢しうして牛を売りそこなう」といってきたのである。
女はいうことがあったら前にしゃしゃり出て自分でいわないで、奥に引込んでいて、いうことがあったら亭主にこんこんと話をして亭主を通していう方がよいのである。
男女は、神の生命を頂いて生きているというてんについては平等であるけれども、男は男として、女は女として、それぞれの使命役割が違うのである。しかし今は、魂が平等であるということでもって、使命役割まで平等だと誤認しているのである。それが混乱の原因である。
それなら使命役割まで平等だと考えて、男が男の使命役割を放棄して男らしくなくなり、女みたいになって家の中で炊事洗濯だけやっていて、女が女らしさを捨てて炊事洗濯など一切せず、男みたいに男と一緒に働いている女性を、それぞれ立派だと思うであろうか。たまにそういう夫婦がいる。それは例外なのであって、その人達はそれで魂の勉強をしているのであって、それが全体的になったら社会は崩壊するであろう。
奥にいるべき「おくさん]達が、一せいに夫に向かって「今日からは私が外で働くから、あなたは家にいなさい」といった時に男達はどのように反応するであろうか。まして妊娠しているとか、育児最中の女性達はどうするというのであろうか。子供連れで仕事ができるというのであろうか。
朝日新聞が取り上げた「アグネスチャンの子連れ論争」は、最後はアグネスチャンの負けとなったが、大々的に取り上げた朝日新聞は、煽るだけ煽って、若い女性達を騙して知らん顔をしてるのである。
こういうことになるから、お釈迦さまがいわれた「全体と部分」「局所と全体」「分割と総合」という考え方が重要なのである。
とにかく女性は、妊娠、出産、育児という使命役割を持っているために、その使命役割を果たすためには、ばたばたせずに一ケ所にとどまって、そのことに精神を集中しなければならないために、全体的、大局的、総合的な見方をしないようになって、部分的、局部的な、分析的な細かい考え方になり易い欠点がある。だから、得てして女の意見というものは各論賛成、総論反対ということになり易いのである。だから女も、全体的、大局的、総合的な見方をするようにならなければならないし、男もまた、今まで女が持ってきたような部分的、局部的、分析的な見方もするようになってこなければいけないのである。
男らしくて太っ腹であるが、細かい所にも気のつきやさしい男性。
女らしくて繊細であるが、いざとなったら男をたじたじとさせるような太っ腹な女性。
ぐずぐず、じくじく、いつも泣きごとをいって、男をめいらせる女は男から嫌われるし、男のくせに女みたいな男にも、女は愛情を持てない。
家庭における「心の安らかさ」は、正しく神を知ることができた時の安らかさと同じである。
なぜ、女は「おかみさん」なのであるか
「おくさん」が「おかみさん」なのである。
外国語には、妻を「おくさん」とか「おかみさん」と呼ぶ言葉はないようである。
日本人は、どうしてそんな呼び方をしてきたのであろうか。私はそこに、日本人と外国人の民族性の真理の差を感じる。外国人がそう呼ばないからといって、日本人が昔からそう呼んできていることを間違っていると思う必要はない。むしろ、妻をそのように呼ばずにはいられなかった日本人の心理の方を大事にすべきだと思う。
「かみ」「おかみさん」
「かみ」という字にはどんな字があるのであろうか、辞典を引いてみた。
神、上、守(長官)、髪、紙
「おかみさん」と呼ぶ語意からは、髪だとか、紙だとは考えにくい。
守は、長官として、人々が安らかに生活できるように守護する人
上は、目上、尊敬する人
神は、天地創造の神、神が一切を生んだ
人間神の子を生み育み育てる力を持っているものが女、女は神の力の一部を与えられてあるもの、しかも、その女は「おくさん」であって「お前さん」「出しゃばりさん」ではない。
人間で子供を生み育み、育てる力を持っている者、それは「母」と呼ばれる。
女は、神の権能の一部を持っている者、即ち「母」であるがゆえに尊ばれるのである。
赤ちゃんが、母親のふところにすやすやと安心して眠るのも、夫の、男の心を安ませくつろがせるのも、女の持つ「母性愛」なのである。
いくら仕事ができて賢くても、母性愛を感じさせない、母性的でない妻の傍では、男だけでなく、子供も心は安らがないのである。
男からみて「よい女」「ホッとさせる女」とは、「母性的な女」なのである。多少、仕事はできなくても、「母性愛」があれば、夫も子供も元気で働くし育つのである。
賢くて仕事もできるが「母性愛」のない女は、口で、心で、夫や子供をせき立てて落ち着かなくさせる。
美食はしなくても、夫や子供の残り物を食べ、夫の給料は少なくても「足ること」を知って、母性愛ゆたかな女は、やがた子供が立派に成長して、子供達から幸せにしてもらえる。
「人生は、あざなえる縄の如し」「よい原因をつくって愛深くあると、自ら愛されることになる」それが運命の法則である。
結婚できず独身である人、結婚に失敗した人、そういう人は今生では、夫婦の調和は出来ないけれども、人間は転生輪廻するのであるから、来世ではよい結婚ができるように、結婚に失敗しないように、今生で「夫婦の調和」の勉強をして置くことである。
キャリアウーマンで子育てしている人は心の中で
「子供にすまない」と思っている
結婚して、家庭と仕事を両立させると突っ張っている女性は、確かに両立させて立派にはやっている。見た目には立派に見えるけれども心はいつも緊張感で一ぱいである。そして、「子供にすまない」と思っている。どうして「子供にすまない」という心が自然に起こってくるのであろうか。
それは神が与えられた女性としての使命役割を果たしていないと思っているからである。
私が考えている理想社会
私がことさらにいわなくても、女性達は心の中で「男が働いて、女は家を守る」即ち、女は専業主婦が一番よいと考えている筈である。専業主婦を充分にこなして、その上で夫の協力があれば、女も働けばよい。女でなければならない職場もあるのだから、それは天職として充分にその使命役割を果たしてゆけばよい。
私がいいたいのは、働かない女は無能力者であると言い立てて、専業主婦である人達が劣等感を持つような世の中の気風を改めて、専業主婦の人達が、専業主婦であることに十分の幸福感と誇りを持ち、調和を乱さないようにして働く人達はそれはそれで誇りを持てるような自然な社会状態にしたいと思うだけである。
私は、女性達がマスコミや女性誌に煽られない聡明さを持つことを望んでいる。
「 グレース 第11号より 1992年9月30日 発行 」
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