高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします



子育ては手塩にかけて


フランスのアヴェマンの野生児と自閉症になる原因 

 1799年(徳川11代将軍家斎 寛政11年)、フランス大革命の10年後、ジャングルの中で12歳位と推定される裸の少年が発見された。彼は4、5歳の頃親に捨てられて、その後、一人で山野で生活してきたのであろうと推定された。人間と全く接触することなく育ったこの少年は、発見した医師によってパリに連れて来られた時は、感覚器官は家畜にも劣っていた。眼は落ち着きも表情もなく、何かを注視することもなく、あれこれぼんやりと移って行き、大きな騒音に対しても、音楽に対しても無感覚で、声は完全に唖の状態であり、その一方、好きな食物であるクルミを割る音、食物を探すことに結びついた音に対しては鋭い感覚を持っていた。この少年を世話した青年医師イタールは、4、5歳頃までの間に両親から言葉を話しかけられなかった子供は、後でどんなに訓練しても聾唖者に近い状態にとどまるしかないいっている。
 インドで発見された狼少年・少女は赤ん坊の時に、子供を生んだばかりの牝狼にさらわれて、狼の仲間で育てられた。この狼少年・少女も人間の言葉は使えずにただ狼のように唸るばかりであった。

 「自閉症」は乳幼児期に、母親その他周囲の人々から言葉を聞かなかった結果である。母親の声を記憶している赤ちゃんや幼児は、母親の姿は見えなくても母親の声がするだけで安心する。だから昔から「赤ちゃんは声を掛けて抱け」といわれるのである。声を掛けるのは、不意に抱いてびっくりさせないこともあるが、母親の声を聞かせることによって赤ちゃんの心に安心感を与えることの方の意義が大きいのである。赤ちゃんは、なるべく刺激を与えずそっとしておいて、お乳さえ飲ませて置けばりっぱに成長するように思っているが、適切な刺激を与えないと精神的成長はしないのである。


アメリカの育児方は失敗であった−自然性を破壊した育児法

 アメリカの婦人に、「あなたは自然分娩しますか」と聞くと、憤然として怒って、「まあ失礼な、自然分娩するのは動物だけよ」と答える。「母乳を飲ませるんでしょうね」というとさらに怒って、「母乳を飲ませるのは動物だけよ」と答える。永い間、人類は、自然に分娩し、自然に授乳していた。その自然がいけないというのが西洋の考え方であった。

 お乳が欲しくて、腹が減って泣いても時間が来なければ飲ませてはいけない。
 母親に抱いてもらいたくて泣いても、抱くと抱き癖がついて、自立性が育たないから抱いてはならない。
 おむつがぬれて気持ちが悪いから、新しいのと取り替えてもらいたいと思って泣いているのに、まだ替える時間 でないからと、いつまでも濡れたおむつをさせている。
 母乳の方がよいのに無理矢理に牛乳を飲ませる。
 離乳の時期じゃないと思っているのに育児書に離乳期と書いてあるので無理矢理させられて、工場で造った離乳 食を食べさせられる。・・・・・・等々。
赤ちゃんの側からいうと、そういうことになるようである。


妊娠中の心得

 現代育児学は、子供の衛生環境や栄養、外からの保護等の世話をすれば、育てるのは母親であってもなくてもどちらでもよいようにみなされている傾向がある。まるで鶏や豚に餌をやって飼育するのと同じような感じである。医学的に衛生的に見て完全だといわれるような状態の中で育てられた子供達の中から、戦前には見られなかったような情緒不安定な子、非行、暴力、いじめを働く子が出てきているのはどこに原因があるのであろうか。現代育児学は、母と子の本質的な自然の関係を無視する傾向に向かっている。
 肉体的に子どもが生まれるのは出産であるが、子供の魂は、母親の肉体に宿る以前から、妊娠・出産の全工程にわたってすべてを知っているのである。
 育児に成功する第一歩は、妊娠する以前から心を愛によって満たし、受胎する子供の幸せを心から念ずることである。


胎児は母親の感情を読み取る
 「正法と人生の原点」という私の本の中に「胎教」が大事であることを書いたが、今まで産婦人科医、小児科医達は、肉体的な生理上のことはよく研究していても胎児の心については研究しなかった。形のない心については研究しようもなかった。私が「正法と人生の原点」に胎教の大事さを書いたのは、私が瞑想すると胎児の心がよくわかってきたからである。
 妊娠中の母親が、悲しんだり憎んだり、情緒不安定になると、胎児はその心をいち早くキャッチして心を悩ますが、医学的にいうと、そのような心を持つと血液が濁って毒素ができ、ホルモンのバランスが崩れて、それが胎盤を通して胎児に肉体的に影響してゆくということになる。胎児や赤ん坊はまだ未熟で一人前の人間ではないと考えてはならない。
 胎児や赤ん坊は、肉体的には未熟であって一人前ではないかもしれないが、精神的には完全な一人前なのである。だから胎児や赤ん坊に対しては、一人前の人格者として尊敬と敬意を持って接しなければならないのである。
 母親が喜べば胎児も喜ぶし、母親が悲しめば胎児も悲しむのである。不安な心を持つと流産しやすくなる。妊娠中に与えた母親の心の影響は、その子供が思春期頃になって出てくることが多い。


 青森県の八戸市に講演に行った。ある母親が、17歳になる息子が突然狂暴性になって母親に暴力を振るうかと思うと、また急に鬱病になって暗い処に籠もってしまうと相談に来られた。いろいろな宗教や祈祷師の処を廻られたどこに行っても先祖の祟りだ因縁だといわれて祈祷してもらったが治らないということであった。

 それで私は質問した。

「あなたは、その子供さんを妊娠した時に子の子供は生みたくないと思いましたね」
「そうです。どうしても主人を好きになれずに、この主人の子供は生みたくないと思っていたのに
 妊娠したのです」
「主人は初めての子供だから産めというし、それなら自然に流産すれば文句はいわれないだろうと思って、海水浴に行って一日中海に浸かってお腹を冷やしたけれども流産しない。産む前の月になって、二階の階段から一段一段、尻餅をどすんどすんとつきながら下りて来ても流産しませんでした。そうであっても生まれてくるとかわいくて育てているうちに、突然、暴れだして、かと思うと暗い処へ引き籠もって、ノイローゼになりました」

 
妊娠中に思ったことは、妊娠中の心になって反省すると治るのである。

 私の願いは、妊娠したすべての母親が、健全なすばらしい愛の心を持って、健全なすばらしい子供を生み、そのすばらしい子供達によってこの日本を、いや、日本だけでなく全世界を、すばらしい世界にしてもらいたいということにある。


胎教塾

よい子供を持つということ位、親にとって幸せなことはない。これから結婚しようという人、これから子供を生もうという人、既に妊娠してよい子供を生みたいと思っている人、そういう人達は、各地の胎教塾に参加してそこでいろいろ勉強されるとよいと思う。

ここではまず次のことを教えるのである。

【 胎児に対する母親の態度 】
1.理想的な母親
  妊娠したことを最大に喜び、出産を楽しみにして、夫や家族とも調和し、愛の雰囲気に包まれている母親。
  こういう母親から生まれた赤ちゃんは健康で、性格もよい。出産もラクである。

2.破壊的な母親
  性的遊戯等の結果、妊娠を喜ばず、妊娠したために仕方なしに結婚し、自分自身罪の意識に悩みながら、ひそ  かに心の中で胎児の死を願っている母親、こういう母親は早産や体重の足らない発育の悪い赤ちゃんを産み、  難産したりする。

3.二重人格的な母親
  夫の家族や周りの人達は子供が生まれることを喜んでいるのに、本人は無意識的に子供を産むことを拒絶して  いる。心の中でひそかに初恋の人のことなど思っていたりする。

4.人間的に未成熟な母親
  職業を持っているなどして経済的にのみ関心が強く、また、一家の主婦としてどうやって家計を維持してゆく  かというような母親として主婦としての心構えも充分にできていないのに妊娠して、いろいろな理由から子供  を欲しがらない。こういう母親から生まれた子供は感受性が鈍く、無気力で、精神集中力が足りない。母親の  心の不安定さがそのまま子供の心に移る。


 終戦前は親の同居が多かった。今は核家族になり親との同居をを好まない人が多い。子育てでわからないことがあったら同居している親に聞けばすぐ教えてもらえた。また、親が手伝ってくれた。今は何があっても聞く人がいない。自分で判断してしなければならないが自分が知らないのであるから結局育児書に頼ることになる。ところがその育児書に書いてあることがマチマチであり、また、母親と子供の心の関係については全く書かれていない。そうなるといつも不安な心で子育てをしなければならないということになる。そのような不安定な心をもって子育てしている人に対して、はっきりした子育ての方針を示す必要がある。子供が病気なら医者に相談すればよいが医者も心の問題については教えてくれない。

 終戦前は育児書というようなものはほとんどなかった。それでも現在より以上にりっぱな子供を育て上げてきた。それは母親によって、愛情を持って手塩にかけて育ててきたからである。

 母乳でならもっとも安全であるしいろいろな器具もいらない。ミルクで育てるとなると大変である。哺乳ビン・ビンにつける乳首・ビンを消毒するナベ・調乳用の計量カップ・じょうご・計量スプーン・・・等 
それに、それらを使う時に一々消毒して、使ったら洗ってと、ミルクで育てることは母乳で育てるより何倍も神経を使い、時間を必要とする。

 私がいいたいことは、もっと気ラクに自然に子育てをしなさいということである。自然に抱きたくなったらそうすればよい。自然に頬ずりしたくなったらそうすればよい。自然に子供を愛する感情が子供の心を愛深く豊にするのである。

 神さまが自然に子供は生まれ育つようにされているものを、浅はかな人間知恵でひねくり廻してむずかしくする必要はない。
 もっと愛情をこめて、手塩にかけて子供は育ててほしいと思う。





「 グレース 第5号より 1991年3月1日 発行 」

2011.01.14




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