【 心 の 讃 歌 】

【 心 の 讃 歌 】 3分22秒
GLA誌 1976年 7月号より
「心の讃歌」を作曲して 増田 順平
昨年暮れに、高橋信次先生が作られた「心の讃歌」という詩に、曲をつけることを依頼されました。
話を伺った時は、まさかたと思いました。と言いますのも、GLAの教えにふれて一年七か月ほどで、心の調和にまだほど遠い自分に、そんな依頼のあるはずがないと思ったからです。
しかし、それは本当でした。さあ大変、これは大役、出来るだろうか、出来ると思うのはうぬぼれになるし、どっちにしても正法から外れた思いだ。どうしたものかと思案に暮れたのですが、とにかく一か月ほどの期間を頂き、毎晩のように遅くまで家内と作り合ったのです。日頃あまり作曲をしていないので、出来るだろうか。しかし、作るなら絶対に良い曲を作らなければと、一生懸命でした。今考えてみますと、これが一種の執着にもなっていたようです。
家内の考えたものと合わせて、何十種類メロディーを作ったでしょう。歌い出しのモチーフは数えきれない程です。日頃気やすく、他人の作曲を批判しておりましたのに、この時ほど作ることの大変さを身にしみて感じたことはありませんでした。
約束の期日も迫り、焦りが出てきたある夜、またまた二人でメロディーを考えていましたが、相変わらず良いのが出来ません。少し疲れもあり、頭を休めることにし、小用を足しておりましたら、いつの間にかチャイコフスキーの名曲「白鳥の湖」のテーマを思い浮かべておりました。そして、ふとこんなメロディーが欲しいなあと思いましたら、すらすらと出てきたのが、このメロディーだったのです。
家内に「こんなのどうかな」とすぐ聞いてもらうと、「パパには珍しい良い曲ね」といわれ、一ヵ所だけ彼女の意見を入れて修正し、書き留めて置きました。
それ以後は、いくら考えても陳腐なメロディーしかできません。とうとう期限切れで、その曲と家内の作った曲を届けました。そして結局私の作った方の曲が選べれました。しかしこの曲は、今でも自分が作ったような気がしないのです。
それでも、この大役を何とか果たすことが出来てほっとしました。
「詩とメロディーがよく調和されています。自然に出て来たメロディーだということを貴方の守護霊に聞きましたよ」と、後日高橋先生はおっしゃいました。
やはり守護・指導霊の協力があったのですね。努力をすればそれに応じた守護、指導霊の協力が得られるのは、本当だったということを、今回の作曲を通して体験させて頂きました。
そして「心の讃歌」によって、地上の大調和にいくらかでもお役に立てることを大変嬉しく思います。
また、このような素晴らしい機会をお与えくださいました高橋信次先生に、心から感謝いたします。
( 合唱指揮者 )
2017.08.14 (月曜日)UP
matikofusai 2hakusi kagosimahe kitakusu
|