高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします








インターネット宗教 『 正 法 』

ウエーブマスター 八起正法 氏 より、お預かりしているデーターからUP致します。





           高橋信次師の講演はどう公開されたか


            正法と講演

                     その2







      新・事実


  
次に信次師が明らかにした「新・事実」を列記してみよう。


 「信次師は宇宙全体を観る力を持っていた」


この宇宙には七つの星に人間がいる

 信次師は、この宇宙には七つの霊圏があり、これから百年位したら、他の天体に人間がいることが発見できる。現在の地球の科学は、他の天体に人間がいることを発見できるまでには発達していない。この地球を中心とした霊圏を指導しているのがアガシャ系であり、今、このアガシャ系が一番早い速度で霊的に進歩しつつあると信次師は言い残した。 信次師は、この宇宙に七つの霊圏があると言い残した。ということは、この大宇宙には、七つの星に人間が生活していることを意味するのだが、他の講演では、人間は、どの星の人間であろうと姿、形は我々と全く同じであることを明らかにしている。そしてこの宇宙に、七つの霊圏があることは、リチャード・ゼナーの交霊通信をマトめた『天と地を結ぶ電話・日本教文社』、『アガシャの霊界通信・正法出版社』 でも書かれている。平成四年六月に次の報道があった。

「銀河系に7つの太陽」
  米航空宇宙局は、ジェット推進研究所(JPL)は平成四年六月十一日、銀河系の中に、太陽のように周囲に惑星を持つ可能性がある星を七つ確認した、と発表した。七つの星に人間が住むためには、その中心となる七つの太陽が一つの条件になる。愈々、信次師の予告が証明されて来るのだろうか。


この太陽系に十惑星の事実

 現在、太陽系には水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の九つの惑星があると、一般に知られた常識であるが、信次は「もうしばらくしたら十惑星の事実を人間は知ることになるでしょう」
と言った。


この地球に月以外の衛星が飛んでいる
                                 
「地球には月以外の衛星が飛んでいる。それもやがて発見されるでしょう」と信次師は言い残した。地球にとって、いや我々にとって一番近いはずの月以外にもう一つの衛星があるなんて、そんな馬鹿な。天文学には一つも理解のないウエブ・マスターにとっても、これは少々の驚きではなかった。毎日、光学望遠鏡で、或いは電波望遠鏡を観察するプロの天文学者にとっては、まったくの「青天の霹靂・寝耳に水」の思いであろう。次のような仮説を立ててみた。我々の視線から隠れて動く衛星。それは我々から見て、月の向う側に同調して動く何か…。地球から見て、月の向う側に隠れて動く衛星がもしもあるとすれば、それは我々にとって確認されるはずもない。太陽と地球、地球と月の自転公転から割り出した「時間」というものは、十万年に一秒ほどの狂いしかない。この地球と月とこの未知の衛星の運動は精妙に調和され、コントロールされているのに違いない。だから、この地球から見え隠れすることなく、月が我々の視線を遮断しているために、永い間確認出来なかったのであろうか。確認する方法があるとすれば、ロケットに乗って月の裏側に廻るか、或いは何か特殊な機器によって確認出来るかもしれない。だが如何せん、ついこの間、月には着地したばかりの科学だから。しかし、いつの日にか、真実が明らかにされる日が来るに違いない。大本教の出口王仁三郎は「月以外の衛星」について記述を残しているが、この人は宗教の誤りを覚醒させる使命のあった菩薩界の人、と信次師は言っている。それだけに彼の霊的な預言も無視できない。


宇宙には真のメシヤが何人も出ている

 「 宇宙には神は一つです。エル・ランティと同じような、宇宙に真のメシヤという人達がおります。宇宙が一つに成る為に、真のメシヤは、この宇宙に数人、現在出ております。そして太陽系からも我々が、このようにして出ております。遂に、過日はM37という星があります。M37に出ているメシヤが悟りました。そのM37のメシヤは遂に、自分自身を悟ったというのは、太陽系の中の軌道修正コントロールセンターというのがあります。太陽系の軌道を修正するコントロールセンターというのが次元の違った、あの世にあります。その中心の心臓部に伝達があるわけです。宇宙的ですね。太陽系で一人悟っております。M37で悟っております。M27、M37に出ております。このMというのはメシヤという意味でつけたようですね。」
 (昭和五十一年、五月と六月の高橋信次講演の要旨)


病気と霊視

私達霊能者が、心眼で人々の体を見ると、悪い部分が、天然色で眼の前に映し出される。そのことを伝えると、患部を持つほとんどの人々は、その映し出された部位が悪いという。それは医師の診察の結果とも全く一致しているのである。また、医師が診断して不明であった病状を知ることもある。・・・・・ 『心の発見』 高橋信次


酒飲みと憑依霊

  酔っぱらっている人々も、
一〇〇%憑依霊が支配している場合が多い。酒は良薬、のうちは良い。だが、狂気の水に変わってしまうと憑依霊の媒体になることが多いのだ。節度が必要なのである。 また、アルコール中毒患者などには、ほとんど地獄の霊が憑依している。酒好きな人は、通勤の帰途、仕事が終った時など赤提灯を見ればつい足が向く。節度のあるうちはまだ良い。しかし次第に量が増え、遂には酒に呑まれてしまう。酔って家へ帰る頃には、その行動も解らぬようになる。無意識の状態は、他の霊に肉体を支配されていることがほとんどである。そうした憑依霊は、現象界で肉体を持っていた時、酒におぼれてこの世を去った者達で、彼らは未だにその生活に未練と執着を持ち、生きている同類の意識を支配して酒を飲ませてしまうのである。自分の地獄における生活が苦しいから、現象界の人に憑依して、その苦しみから逃れようとしているのだ。人間の心が不調和になるに従って、彼らの力は強くなり、人々の心をむしばんで行く。だから、人間は神理に適った心を強く持って、憑依霊の誘惑に打ち克たなくてはならない。己自身に厳しくなることが大切なのである。人間が正法を悟り、実生活に生かす心を持てば、憑依霊も救われることになるということを忘れてはならない。
 (酒を飲んでいると、突然人が変わったように目が据わり豹変する人を正見すること)


「神かくしは本当にあった」と信次師は言い残した

 信次師は霊魂の光の量の区域として、上段階から如来界、菩薩界、神界、霊界、幽界と分類したが、霊界から神界の裏側には天狗界、仙人界があり、肉体行によって法力だけを学んでいる、本当の悟りからはほど遠い者達の世界があると言った。

  仙人界、天狗界に通じている人々は、自己本位である。人里離れた山中での肉体行の中から自分自身の孤独な悟りを開くが、これには慈悲も愛もない。過去世においても同様のことをしている。転生は肉体業の業(カルマ)を持っている。その生活は独善的、自己本位で、心は狭く、その生涯の果ては哀れなものが多い。動物霊に支配されている者が少なくないからだ。彼等が、現象界の分身や本体の霊道を先に開いてしまうから、そのめに同じ生命の業(カルマ・心の傾向性)を造り出してしまうということで、神理を悟っていないため、不調和な霊を呼びこんでしまうのである。肉体的荒行をしている生命も、だから霊的現象を起こすことはできる。しかし、それは悩める衆生の心を救うことはできない。六根の清浄は言葉のみで、心の調和はできていないのだ。

彼等は、肉体行の目的が、六根清浄になる行法であると考えている点に、大きな誤りがあることを知らない。肉体行の苦しみが心を不在にし、そのすきに不調和な霊は忍びよってくるのである。肉体苦行で悟り得たとしてこの現象界を去っても、行きつくところは仙界、天狗界であり、また同様な苦行の繰り返しをするだけのことで、この人々は、決して光の天使の住んでいる世界へ行くことはできない。なぜなら、人生航路の乗り舟に翻弄され、遂に慈悲と愛の心を持つことはなく、衆生にもそれを与えることなくこの世を去ってしまうからである。

一八〇〇年頃より以前には、仙界や天狗界の住人達が、肉体修行の実力を試すためにこの現象界に姿を現わし、人間を連れ去って行くものが多くいた。そして今度は、その人間達を戻すことができず、大変な騒ぎを起こしたことがあった。このために、上段階光の指導霊や大指導霊達によって、その力を封印されるということがあったのである。しかし、その取り締りのため、最近はそんないたずらもなく、現象も起こっていないはずである。このように、肉体行の業を修正するために生まれてきた神仏の子も、この現象界で惑わされることが多く、正法を悟らず、遂に動物霊に憑かれて、自ら不幸を作り一生をすごしてしまう人が多い。・・・・・(高橋信次)『心の発見』 
                                
 一八〇〇年頃より以降は所謂、「神かくし」は無くなっているはずだと信次師の記述である。一八〇〇年頃といえば、江戸時代の終りに近い頃であるが、それ以前から伝わる民話、昔物語等の地方に伝わる「昔ばなし」の中には、神かくしの話が各地に残っている。伝説上の話とばかり理解されていたが、「神かくしは事実だ」と、信次師は明らかにした。「天狗」「神かくし」等を明らかにしている事実をよくよく考えてみると、各地に伝えられる「昔ばなし」は、物語の世界だけの話ではどうもなさそうである。少し前にはテレビの「日本昔ばなし」を見たことがあるが、現代の常識からすると、どうも理解しにくいという「はなし」なら、「霊の世界の真実のはなし」と考えて間違いなさそうである。神話や民話は霊感、直観によって書かれたものが多い。だからこれらは霊感、直観によって理解しなければならないのである。



                  





信次師は、ある人を媒体(霊媒)として「光の天使の言葉」を語らせた

 ある人を媒体として、目的とする人の言葉を語るのはイタコや霊媒者によくあることだが、信次師は、ある人を霊媒として「光の天使」の言葉を語らせたのである。光の天使が、その人に出る(降霊する)からには、その人の霊格は同等か、それ以上でなければならないと信次師教えた。これはどういうことかと言えば、低段階である幽界の霊媒は、上段階である菩薩界の霊を入れることは出来ないと言うことである。また、菩薩界の人を降霊させるには、霊媒は菩薩界かその上の如来界の者しかできないということである。しかし、証明のために信次師の霊力で、上段界の光の天使を強制的に降霊させることがあった。ところが、過去世の言葉を喋ったり、霊道現象をできた人が、信次師の霊力によって行えたということを忘れ、それは自分の力と過信してしまったのである。その為に増長慢となり正道を誤った人がいて、信次師が亡くなると多くが霊能を閉ざしてしまったと言われる。それは至極当然なことだろう。


信次師は、光子体の姿で地上界の色々な所へ行った

 信次師は、地球上の色々な場所へ、光子体の姿(幽体離脱、意識)で行った。我々の肉体は、原子肉体と光子体が不離一体となって重なり合っている。信次師は、禅定瞑想中に、肉体はそこにあるが、光子体が肉体から抜け出し、光子体のままで自由に地上界を往来した。それを列記してみよう。


〈幽体離脱その一〉

 「ニューヨークの大谷さんが遂に悟りましたよ。わたしが意識で行ってみると、彼はニューヨークの公園の石の上で禅定してるんですよ」


〈幽体離脱その二〉

 「肉体から抜け出した〃もう一人の私〃(光子体)は、現世のエジプトに行ったこともあった。空中から風景を見ながら、都会の名前が解らなかったため、駅の近くには表示があるだろうと思って駅を探した。するとその駅には、ローマ字とエジプト語でカイロと記されてあった。このように、心が調和されれば、見たいと思う場所に肉体から抜け出して行くことができるのだ、ということが解明された。インドにもたびたび行き、石窟寺院の壁画を見てきたこともあった。私の指導霊ワン・ツー・スリー(モーゼだと信次師は言った)は私達の肉体から抜け出した〃もう一人の肉体舟〃は光子体であるということを説明してくれた。」


〈幽体離脱その三〉
 「私はこのようにして、よく禅定中に、上空から風景を眺めたり、しぶきがかかる海上をものすごいスピートで飛んでいったりします。肉体の自分がそのまま経験しているのと全く同じであり、したがって金のかからない旅行の楽しみを味わうことが出来ると言えるでしょう。」


〈幽体離脱その四〉
  「過日は私達の仲間が中国に出ていることを通信されました。私は昨年(一九七四年)の十月を通し、中国の我々の仲間の所へ行きました。この人達は台湾の国立医科大学の先生を始め、その出身のお医者さんばかりです。彼等の所へ私は夜十時、肉体から抜け出して光子体で彼等に神理を説き、そして、ついに彼等は心の窓を開き、我々とコンタクトするようになりました。彼等の心の中に法灯が点されたために、今は主としてアメリカに行っております。アメリカは先月の二十七日から行きました。二十八日の晩に、アメリカの、私が五年前に予言していたところのニューヨーク、マンハッタンというところに住んでいる方とコンタクトがつきました。(先述の大谷氏)そして、私は、夜、心で神理を教えております。彼もその自覚にめばえております。この方は日本の新聞でも相当名前の通った方です。こうして彼等の心の窓は開き、次々と真実のものは伝わっていきます。これから私の説いた教えは、アメリカに渡っていきます。むしろ日本よりか私の説いている神理はアメリカに広く拡がっていきます。しかし、私はあくまでも私が説いているのではありません。私は代弁者なのです。私はただの電気屋です。電気のことならわかります。宗教のことはわかりません。しかし、私達のバックには、実在界の光の天使達が次々と疑問の点を明かしてくれます。それを又、証明してくれます。
皆さんも、自分の欠点を自力によって心のスモッグを払った時に、あたかも太陽が誰にも美しい光と熱を与えて下さるように神の光明も又、自らの心に光を受けることが出来るのです。・・・・・(一九七五年、中京秋季講演会)




 その外、講演の中で信次師は、映画視察やある人の行動をながめたこと等の話があるが、次は、帰天直前の一九七六年四月両国日大講堂に於ける「GLA七周年記念講演会」から参考にしていただきたい。



「梵我一如、宇宙即我、幽体離脱」

 
心の中の感情や智性や本能が調和されてくると、心の中のスモッグがなくなってくるから、神の光によって満たされて、この心の調和度の光は、どんどん大きくなって宇宙大になり、後光は宇宙大になります。そこで宇宙は自分の膝許に、更にまた、宇宙は自分の中に入り、そうすると初めて宇宙は自分だということになりますね。これを梵我一如というのです。そうすると、禅定というものをして心を統一して、心のスモッグが取り除かれていきますと、原子肉体に対して光の肉体、つまり光子体がどんどん大きくなって、この講演会場の建物より大きくなっていき、空を抜けて、この建物が自分の膝許に見えるようになり、更にまた調和されてくると、この建物よりはるか上の方に自分が大きくなって、地球は自分の下に、そして、地球よかもっと大きくなると、飛行機が飛んでいるのが下に見えるようになり、もっと大きくなりますと、地球がはるか彼方になりまして、地球は青かったということになり、お月様よりもっと高くなる。こうして自分が宇宙になってしまう。これが宇宙即我というわけですね。善我なる自分、心の中のスモッグを除いて、偽りの我を全部捨てて、苦悩を全部取り払ったからなったわけで、奈良の大仏さんは、どうしてあんなに大きく造ったのだろうと皆さん思うでしょう。それは、あの奈良の大仏さんのような広く大きな心になれっちゅうわけなんですね。ところが今、大仏さんを拝むようになったわけですね。「汝、偶像を拝むことなかれ」とヤーヴェ(エホバ)が言いましたね。偶像を拝むんじゃないんです。ところがいつのまにか拝むようになった。それともう一つは、禅定中に抜けだしちゃうんです。抜け出す方法は、こうして抜け出しちゃうんですね。霊子線という、中道を歩いていると、こうして真直ぐ抜けるんですね。丁度、夏なんかに雲があって、そこから光がパーッとさして、サーチライトのように下を照らしていることがありますね。あれを思い出して下さい。あのように天上界から光がパーッと出ております。あの世へ帰る時に、その光の中を真直ぐに、その真中を帰れる人と地獄の遠道をして帰る人と、それは皆さんが自分で決定するんです。生き具合によって、この地上界の、それは思ったこと行ったこと、その結論は皆さんが出すんです。それと同じように心がきれいだとね、この霊子線という、この天上界からの光の束は、こうして自分の意識線から抜け出して、禅定中に自分が抜け出していくことが出来ます。そして、例えば禅定しておって、自由にどこへでも行くことが出来ます。先づ便利なことは入国手続きもいりません。注射する必要もありません。飛行機のように墜落することもありません。」 



                  




- 完 -




2016.11.27 (日曜日)UP