高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします







【 もう一つの新復活・・・その2 】





村上 宥快 師 著  【 調和への道 】より    《1985年2月18日刊行 》





恩師が残された実在界よりの通信

 
八起ビルの五階の恩師の部屋のドアを開けた時、恩師はもはやソファーからお立ちになることが出来ない程の容態であった。私が、先生お茶を召し上がりますかと申し上げると、弱々しいお声で答えられた。

 一服のお茶を飲み干されて、お坊さん、私の体に光を入れてくれませんかと乞われた。私は驚き感じた。かつては事ある毎に先生のパワーによって、私の心は蘇生したことを思い出し、先生、私のパワーで宜しいのですか、問い直した。


 ソファーに休まれたままで、立ち上がることも出来なかった。顔色は悪かった。あの健康で東奔西走された恩師の面影は今、いずこにあられるか、私は涙をかくして恩師の五体を抱き起し、パワーの入れ易い状態にして、天上界にお願いをし、先ずイエス様の来迎を願った。
 大天使の方々のご協力によって私の意識と肉体の調和を図った。私の体は熱くなった。汗が流れるような暑さであるが、天上界の熱さは心地好いものであった。

 祈りと願いを三時間も私の意識を透して恩師の体にお伝えした。パワーを入れ終わる頃、恩師のお顔の色は赤みを帯びてこられた。ご自分で起き上がられ、ご自分でお立ちになった。茶を入れ直して、お勧めした。皮膚の色にも力が出てこられた。私は心中で神に祈りを捧げて、天上界に感謝を申し上げた。

 一九六九年偉大なる悟りを得られて此方、恩師にお誓をした。今生もまた、印度の時と同じく少なくとも八十歳まで、正法伝道の実践のお手伝いをさせていただくことをお誓いして来たのであるが、こんな厳しい現実が迫ってくるとは夢だに思わなかった。

 しかし恩師はこの後、命の限りを盡して山形の研修会にお立ちになられたのであるが、これが最期の今生のお別れとなることが、どうしても信ずることが出来なかった。

 恩師は私に申しておきたいことがあると申された。ノートを取るようにと言われ、カバンから原稿用紙を取り出して筆記した。

 優しさのお声の中にも恩師の意識には張りがある。静かに瞑想されて口を開かれた。
示された言葉はゆっくりとした調子に抑揚がある。左記にことをお伝え下さった。



 
『今より、三億六千四百五年前、ベータ―星より地球上に脱出、緑もゆるこの地球上を、神から与えられたり。
 現代エジプトのエルカンターレ、場所はエデンの園なり。
ナイル渓谷、三角州の東側の位置に存在する。
 エデンの園は、我等エルランティを中心にして、ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ラグエル、マヌエル、ウリエル七人の大天使達は、エデンの園の、教育、思想、芸術、政治科学の分野を担当して総ての調和された環境なり。
他の移住せし民達は、第二船団として、宇宙母船に乗り約六千人が降下せり。
エルランティ外七人の大天使達はこの地に肉体を還し天上の世界に帰りたり。
我等の残せし偉大なる遺産は第二梯団にて移住せし諸人が如何に活用せるかを天上の世界より見守りたり。
エデンの園の中に掟を犯したる者あり、物に溺れ、情欲に溺れ、神の子としての道をはずしたる故に、遂に天上界より我が光の子ミカエルをエデンの園に遣いを出し、道をはずしたる諸人を他の地方に移せり。
彼等民の間違いを修正させるための反省の場所なり。
彼等は年月の流れと共に吾等との交渉を断てり、神の子としての自らの道を踏み外せしものなり。アダムとエバのエデンの園より追放の原点なり。
人びとの心はすべて神の子なりしが、自ら地上の肉を持ちし時からに、偉大なる魂といえども、手足を捥(もが)れたる如く全く盲目なり。エデンの園から逃れたる民達は、魔に何時の日か心を売り、この地上界を去りしとき、地獄の世界を造り出したり、吾が天使ルシフェルは地上に肉体を持ち、迷い多き人びとを救済せることを目的とせしが、自ら道を逸脱しその使命を果たすことあたわず、肉体を持ちし時の名をサタンと呼びたり、軈(やが)てサタンはこの地上を去り、暗黒の帝王となったのである。
サタンの由来はこのような事実なり。
今から三千六百五、六十年前モーゼがエジプトに住みし頃ファラオはサタンに心を売りしものなり。
今から二千五百年前、ゴーダマブッタの前に現われたのもこのサタンなり、別名マーハマラーなり。
今から二千年前インマネール・イエスキリストの前に現われたのもまたサタンなり。
神の心である正法が、人びとの心に滲透してゆく過程においてサタンは必ず、正法の前進に立ち塞がることを我らは知らねばならぬ。
既にソビエト連邦はサタンの支配下にあり、農作物の不作はソビエトに住む人びとの暗い想念のくもりから、神の光を遮るために、気候の異変によるものであり、今後もモスコーを中心とした、ソビエトの天候異変は続くものなり。作物の育成期には旱魃(かんばつ)が訪れん。中国大陸の不調和な環境にも天候異変が生ぜん、アフリカにおける思想的混乱により、多く生けるものの犠牲者を出した処にも旱魃が続かん。
各地に起れる地震、天変地異は、そこに住む諸人の心失いたる者達のすべて警告なり。』

一九七六年五月八日、高橋信次先生を通じての実在界からの通信なり



恩師は語り終わって、一杯の茶を飲み干され、お坊さんはこれから正法を説くのに、私の教えを既成経典の中より真理を説くことになるでしょう。GLAにも来なくとも良いと思います。このように語り継がれた。

 このことが有って、恩師は渾身の力をふり絞って山形の研修をされたのだった。

 私がこの座を起つ時、恩師の身を案じて、先生この健康状態ではお困りでしょうから、是非信州の山の中にでも入って静養されてはと、お勧めした。幸い、私が鎌倉の医者に造ってもらった良薬と、天上界からのパワーによって、回復していただかなければならないと思ったからである。
恩師はうっすらと笑みを浮べられて頷いておられた。



- 完 -




2016.11.27 (日曜日)UP