高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします







高橋信次先生講演


「 現証及び質疑応答 」


71.3.14 東京 高田馬場 観音寺 にて

【 現象1:夏栗徳子夫人の転生輪廻と指導霊フリティー 】
(夏栗夫人)ただ今、前原さんからご紹介頂きました夏栗でございます。ただ今、先生と申されておりますが、私はご平凡な家庭の主婦でございまして、人様にまだ何かお教えするような力は、全くございません。ただ、先生とのご縁に触れまして、霊道が開かれ、自分の過去世を知ることが出来たのでございます。ではただ今から、過去世と交替致しまして、色々とお話してみたいと思います。

セパリスティテ オラ セモア タロアダ クレア シモラナー テイ フォアラ ソー フリティー。
ラ セダラアーム 卜ワ ティアラ ステグレア パーラ セム卜ワラ セーボ 卜ワ ティスー タ力ハシシンジ レグリアラオ一卜。ナーオリ バリ スティオトーレ バースティ オアラ フオヤラ バラ セモ 
卜ワラ セボラ ティ一、ラーオリ ボリヤ セモタール ティアラ フォー ゴーセイ セイドリーティー、
ラーオリ ボーティアラ 才ス卜ロバス セトラウ イスラエル ウワリ ブラマウ卜ワリ パスソー ラーポリ
ポステレ エ卜ラーロ スプレヤ テレヤ セーイ フーラ オートウ アウセイ ブライス ツ クワ卜ウー、
ナーリ ブーサウ スティエ ナツクリ・トクコ オーセレ パストゥーレバ ソリヤ ウワタール クラヤ
ソーフォアー
私は夏栗徳子の指導霊フリティーでございます。私はかって2000年ほど前に、エジプトに於いて肉体を持ちまして、男性でございます。私は実在界より、高橋信次先生の正法を証明する使命をいただいて、この女性の意識と調和を図り、色々と指導しております。

ラー卜ラセバリ ニッシフオアウ ス卜ロバーリ ヤラオーテイヤ ボラナッセ 卜ラリー 才ーロスプー 
アールバティニッシフオア一、ナーウオ ビバリ スティヤラオウ ティー エルクライヤルウワ ア卜ラー
セモパーレ セドラーウ 卜ウー
私はその当時、隊商達から税金を取り立てて生活をしておりました。ある時、商用の途中で、イエス•キリス卜様より、色々なお話をお聞きし、自分の間違いを知って、郷里に帰り、自分の生活を改め、後にイエス様が実在界にお帰りになられましてからは、ペテロ様の補佐役として、キリス卜教の伝導をして、方々を歩きました。

ラパリスティエ 卜ロワウワ セイウワ クラヤ 卜ウドウ オーティパラ サウクライス トウ ウワリヤ セボラー、リステボロナー トワラサウ ウティクラヤ セモタール ウスパール リヤラ エトラ セルウードクア
イエス様の教えは、人類愛、博愛、そのような大変に人びとにとっては、その当時は、あまり聞きなれないことでございました。

ターバリオ ストードアティテ オルストルバーリ シュフアラ ステバテニ ストール ドアティア ワール
クラオウ、ナオティ アーセボティ オラサダル クラヤ トウフオラナ トラリ パーソオ フー リボラトー
その頃、アラビヤ人、エジプ卜人、パリサイ人、ガリラヤ人、
色々と人種的な偏見の下に、皆、それぞれの人種が自分達の部族が最高であるというような、対立の激しい時代でございまして、戦争で勝った国は、その人種を全て奴隸として扱い、それはそれは、惨たらしいものでございました。イエス様はその頃、実在界より使命をもて、この人種差別を無くすよう、博愛・隣人愛を説かれたのでございます。

リキロセレオダティア オスコロパ、ミッシフオアウ セドラー、リー オークラヤロ ドアティニッシュ フオアラ スパーオ ティエセドアラ ス卜―、ナーウ
私のことは、このくらいに致しまして、この女性の過去世の意識と交替致しましょう。

レセンクラン卜 アーリバリクンテ アレ エセンテル オラテイ オラカンサ ティー オアテイ、ナーセンツゥ ワーリクア アルクラソー卜 フオア アーテェエクアテンク ア卜ラソン卜クラ アリエセンテエー、
リエントアールクラウド ティエントラ アーリクラントウア リー ウワスントフロー テー エルクラヤ
ソン卜アートゥ、リー アークラソウ センツェラーアル力ル卜ーラ アーテエセン卜 アリクラン卜ロフオアー、
ターテ エセブレパサウオ ティア スー アナスカーラ タン卜ウーター ワーラントゥ アーリヤン ティエッセル ワークランク 力ンターレ、ラーテ エセケル アン卜 アルクラヤス卜 フワンティ パラセン アーティ、ネーセー エ卜ラス コロ アンツゥーラ リー エブラヤスフオー アテ力ラサー ソー オーティ、
テ エルクラヤッセ エ卜ラーリック アールクラード ナッサートゥアテン、センツェラアル力ントゥーラ
私はセンツェラアル力ンゥーラでございます。

ティエッセ力ヤス フォウ ウテ エセ力ンパスファー テンティウラ一、ワテコラ 卜ウ アンタ アーセンパラ テイ ウラ力ヤスボン卜 ウーター ニクアクラソウ
私はあまり皆様の前で、お話しはしたことがございませんので、日本語でお話しすることはちょっと大変でございます。

エッセカラ ユンカタラパス フオティ ニクラコ アーテコラヤス ナータルテ エテレパスソー リクラトーワ テンティ ウーティ
その頃、私共は太陽信仰をいたしておりました。現在の南米ペルーでございます。私達は空飛ぶ鳥を見て、私達が太陽に感謝している心を伝えて欲しいと、自分達の願いを鳥に託しました。

ティエッセクラセスソナティ エトクラン パーリ ウータントクラ カンター アーテウルクラシャス ウテクンパラサス
その頃の文明は古代エジブ卜文明の影響を受けておりました。紀元前4000年の頃と思います。その後、私は転生輪廻して、インドにおいて男性として肉体を持ち、名前をワ一リヤスタデ一と申しました。

ガデバリ グダガスゴダラ セデレ エ卜ワテ ガヤラバサ ニガラヤ セレべテ バラ ガドワディヤ
ガヤダナ ダッソ ニグラバシ ガラヤ セデレ ブッタヤバリガヤオーディ アディグリグリ ガラシ 
ガホジャラバシャガラ オジャリ アデガラバシ グリディ アデクラー、リボガリボレ ガラシュア デガラ
バセダベレ ガリガイシャ アジャー ダービグロバラヤ ナーズダス ガヤダナ デグレ バラガッセバテ
ウデアレアース、ニグラヤ ソボダラバサラー、ニガラバシガヤ スガラボー アーリグラヤスルダ アテグダ
バラグタ スブラヤラ一 ニガヤ ソボロパ'―ニ ニグラパハー
私はワーリヤスタディーでございます。かつてインドにおいて肉体行をいたしておりました。更にまた、その後、転生輪廻して、女性として肉体を持ちました。名前をセテリヤと申します。

ニ力ヨーナマラ テニュシュラ ウティアラーテ 卜ワラナ一卜ワテイ シュアリオソール 卜ワティア
セテリヤ、ナーオ リヤオロ セマーリ ルア ターティ エーセレウーラ フリティ、ナーオリヤ オスモマーモア テイヤオーシーリュオラ ツゥー ナータリヤ、卜ワラ セニッシュ フワラセモー、 ニモラオテヤーオダマーソオ フイニッシコ リヤオーテイ ウワーセイ ツワー シリヤオーツウ、ナーオリア オーティニッシュラーウティアオーセイ ツウア ティニイセイ ラウツウ アーツウア
私は砂漠のオアシスで生まれました。そして私の家は隊商達が立ち寄って、荷物の補給をしたり、交換をしたり、大変に人の出入りの激しい所でございまして、私は幸せな環境で育ったのでございますが、ただその当時、女性は男性の所有物でしかございませんでした。そうした環境の所に、ペテロ様が、フリティー様やオタオと一緒にキリス卜教の伝導の為に、お立ち寄りになり、私はその中の一人、オタオと結婚致しました。そして一夫一妻という素晴らしい環境の中で、イエス様の教えを伝導して歩きました。その後、また私は転生輪廻して、5世紀にチベットにおいて男性として肉体を持ち、名前をタタクリと申し、僧侶でございました。

ティチョーリョ フアンセイシュークーナウ テェントウ タタクリ、ニーセンシュラウ 卜ウサイキンリン
トワウ シュウラウティ フアウ シヤウリューツーテーマ、ナーウ サウシューリンタウティン ウーティン
アウ テンタシャン ツーリン クアーラ、シーシュウ ラウサウテイ フアウ ティニュークー テンタイチギ、
ナーウ シューリヤウ フアウサウ シーショー リュータウ クアナウシンヤ、シンシューラウ サイシン
シュークウ テンタイシャン スーラウテイ リャンロワン ツークウ フワイサウシュウタウ、ナーウ リン
アウテンシュウ ホークアウ シヤイシュンリークー アンラウティ サンチュウ フートウ
私はタタクリでございます。チベットのティーマという貧農の生まれで、口減らしの為にお寺へ奉公にあがりました。私は、初めは肉体行を致しましたが、後に旅のお坊さんから、中国は仏教が非常に盛んで、天台山という所には、智顗様と申される素晴らしい方がおられるという話を聞き、師を求めて、はるばると中国へまいりました。
そして法華経を学びました。天台智顗様は、汲めどもつきぬ知恵をお持ちになられ、あらゆる質問に対しても、明確にお答えになりました。そして非常に分かりやすく、お話しくださいました。ご自分の前にある茶碗を手に取られ、フアイシンシヤウ リュー 卜オタオ シイリュウ ティンリュア ア一セ一シ コア ランツゥテ一ヤ。
ご自分の前にある茶碗を手に取られ、その茶碗には、お茶を注いで飲むという目的と使命を持っているが、この茶碗を手から離して落ちた場合、それは壊れてしまう。もう茶碗としての使命も目的も持ってはいない、ただの物である。そしてこの大地に還元され、また土となって、また茶碗となって生まれることが出来る。このように大変優しくお話し下さいました。つまり物質と生命は一体であるという、そして物質、つまりこの現象界・この世は物質の世界である。しかしそれに対して、使命と目的を持っているその根本は心である。色心不二。そのように私達は、天台智顗様の下で法華経を学んだのでございます。それは今も、比叡山において、天台学識問答という、一つの形式をもっております。これは特徴でございます。師と弟子が問答式に話し合うということでございます。声聞(しょぅもん)、声を聞くと書きます。これは仏の、つまりお釈迦様の教えを聞くという意味でございます。
私がその当時、唱えた経文の一部でございます。・・・ リーチヱリー カーリヤ一 サ一ラコアナ一 テ一セ一レ一
イジュ一ガ一リャ サ一シュウ コーリョウ ジョージーリー サーリャ ガーザーリヤガア、ジョ一リャシ一
ガ一ヤ一ラ一シ一 ガ一サ一 ナ一ランジュ コ一ジョジ 一ジュ一 リ一ガン ヤ一サンネンガ ジョ一ボ一
リョウバ一 サ一レ一 ジュウジュウガン ショウホウ レ一ゲ一一一、ソ一リヤ リョーガ シージン ガンリヤ ナーサンナ ゴーリョ ゴーリョ ジャジ 一 ジイシンガン サーレー ガーリョウ ホーリャンガ リャリー ホワンリヤリヨウ ソ一リョ リョウジュ ジュ一ジュ一 ジュ一リ一。
その後、また私は転生輪廻して、8世紀に中国において、男性として肉体を持ち、名前を卜ワンティンホワンティンと申しました。

サンシェンシェン フーリン サンリョウ ホワン ラウワン リンス一ワア、 サンセンリン フワン シュウクンナン テンリンワ一リンクアン シンアンオ サンクアン、テンリンクアン シンセン リンボ一 リンクワン
ヤンツゥー センシュウ タンティン クー サンリン クアンヤン ボーリー サイシュウシン、ショウリョウボー サンシン アウテン クアンコ一スー センシン。
私は、初めは儒学を学びました。しかしながら、後には無常を感じ、出家してタタクリと同じように、天台山に於いて法華経を学びました。その時の経文でございます
ホーリョウガンジュー ソ一ゴンジュ一 セ一ガ一ンジュ一 リュウソ一ホ一一 ホ一レ一ンゲ一ン サンガ一ンジュ一(法蓮華僧伽呪)。

このように、その時の経文は大変に声を曳(ひ)きました為に、韻声という言葉が伝わっております。それは声の波動に乗って、心の調和を図った為でございます。法蓮華僧伽呪(ほうれんけんさんがんじゅ)とは、このドプ泥のような汚い人間界に生活していても、心を開けばドブ泥の中からも、美しい蓮華の花となって、咲くことが出来るというような意味でございます。私共は、ティンシェンシュウ カンリュウハウ タイシンシュウ、常に朝早く起きて掃除すること、食事の支度をすること、これらはすべて「行(ぎょう)」なのでございます
テインシャンリュウワン サンクワン ヒンクウハウツウ ライシュウシュウーリ アウテインクワン サンクワ。
その後、また私は転生輪廻して、15世紀に現在の北ベトナム、卜ンキンで男性として肉体を持ち、名前をオンリンガンと申しました。

ニヤローハイシェリ 力ナワンシュウラウ サノーワ ティワラ ホワン イーナマ ナンイワンリホワリャランワイ シャーハンワ 卜ワン インモーロ オースンハン ファンラー ナーリーワーリハーラワ シンク
ラマサノ ワンツウワンラン シンクナ—マ ティンワー ソレモン ワンシィフアン ノウアサノマ一リ
ワアラ フォラリーニ ナ一リモアラ ホンシュンナマ ウーティウオラ サンウーハウ、アイコン シャリイオア タイチュウレイ アントゥア、 テインクワン モ一フオラ アレワー サレモウ、ニャーワー シンウワラワ
シシクラワ サーモワニ ティーン ウイシンクアナー アオ センツァナー-ティ、ナーニュアラ ワオ シンクラ アナマサノワーニモア シントナア ワアニア アナシンハ一ニヤワ ワ一シンハ一ノーリテイ、ナーニオー
ナウセンワニ ニオアニ 卜ワラ シンフオアラ サンフォア。
私の生まれた家は、お米の集荷所でございまして、小舟でクーリー達が上流の方から運んできたお米を、私の所でまとめ、更に沖合の船に積み込んで、東シナ海の方や、また安南の方へ運び出し、かなり裕福な家でございました。そして私は人生に対して感ずる所があり、クーリーの群れに入り、後には東支那海の方へ出て、貿易のような仕事を致しました。そしてその当時、中国では観音力という一つの信仰が大変に流行っておりました為に、私もその教えに帰依し、その教えを自分の故郷へもって帰り、人々に伝えたいと20数年ぶりに故郷に帰り、家の手伝いを一生懸命して、晚年には海のそばに如意輪観音像を建立し、その観音力の教えを説きました。いわば素人でございましたが、私はクーリー達に希望を持たせたいという一念で、その教えを伝えたのでございます。
その時の経文でございます。
ナ一シュアニヤ サ一ナ— クアナ ナ一ネンネン シンガンニャニヤワー リンガンヤンナン シンガンナ一ナ—ナンノセイネンネン シンガンリョウホウノ一ガ、ジャ一ガ シャーナ シャ一ナノ一ノ ネンネン テンガンリョウ チョウホウノ トラナイシン シンガンリョウホウ ホーリョウリュウガン シャーニンゴン シンガンヨーリョウウノ サイシンシンガン ヨンラン シャンランノ、シャーナシャーナ シャーナナンネン コンリョウウガー シンガンリャー サーランガ リョウホーノ アネンガンリャーノ ノーセイネンリンリンガンヨーナイ
ニンガンラン ランナ サーナンナンノ ンーコーリンゴン リョウリョウ ホーレーレーリャンガン リャーサー ヒンガンリョウリュウ、シャナーシャナーシャナー ネンネン センナイシンシン ファンリョウガンリョウリョウ ソーノーナコノーホーノーネン センガンリョウリョウ リョウジュウガン リョウホウ ノーシンガン
ジョウリョウ ノーサーナンリ、ショーリャリャ ガーシンシンガン リョウマンネンガンナ サンナンノーナイネン ネンカンノウ サーナンネン サンリンガン リョウホウ ショウリョウ ショウガン シンシンガンリョウ ホ一ネンネン センナンノーー、ナンマーーン ナンマン ナンマン ナンマン ナンマン ナンマン ナンマン ナンマン ナンマン カンノリキジュ一ゴ一ガーンシャー
私は夜になると、観音堂の回りに油をたいて、沖行く船の航海の安全を祈願した者でございます。そのように人間は、この世限りでなく、あらゆる国を転生輪廻して、永遠に続くのでございます。人間の不調和な原因は、この世だけであるという考えのもとに、あれも欲しい、これも欲しい、その欲しい心が満たされない為の不調和だと思います。生命が、過去・現在・来世にわたって 遠大なるものであると知った時、皆様方の心の悩みは、多少なりとも解決されるのではないかと存じます。どうも、長々と、失礼致しました。(拍手)

[信次先生]
ただいまのように、転生輪廻している間に、それぞれの生命の兄弟達が、今、こちらにおられた夏栗さんの所へまいりまして、コンタク卜しながら語っていたのであります。それは霊視の効く人達なら、即座に分かってしまいます。かつてはリエン卜アールクラウドとして、私達と共に、かつてのイン力に出た当時、或はまたインドのワーリヤスタディ一、全くその当時の姿をして、実在界、あの世から私達にコンタク卜して、現象化している訳であります。ただ皆さんは、口を通してしゃべっているだけと思っておりますが、 天台智顗、この方も来ておりました。勿論、タタクリさんが一生懸命に慣れぬ日本語を解説しながら、当時の言葉を語っておりました。


このように実在界、あの世には、皆さんの兄弟達や、魂の兄弟達が厳然としている事実、これは心の眼の開いた人達は、否定することは出来ません。決して不自然なものではなく、このように私達の心の1秒1秒の調和・不調和は、即、次元の違った善悪の世界に通じてしまいます。今後においても、こういうような方達が、何百人、何千人として出てまいります。日本ばかりではありません。その時に私達が、物質文明の愚かさを知り、物質から己自身の心を解放して、より高い次元の人間として、神の子としての自覚を発見する時が、やがてやって来るでしょう。

そういうことを皆さんは知って、このような現象、この世限りではなく、永遠の生命であるということ、現在もまた修行の身であるということ、我々人類は、皆、兄弟だということ、白色・黄色・黒色の種類も、神がこの地球上の環境に適応した、その細胞を与えたんだという事を知った時に、我々は、いわんや人間の作った階級や、或は地位、名誉、これは真に愚かな事だということを、知って頂きたいと思います。

先程の講演の中で、私達の心が一念三千ということは、無限大に広いということです。その為に、思う心、想念、心の中で思うこと、それが善であれば善の世界に、悪であれば悪の世界に、全く、この地球上の現象的な世界を超越して、次元の違った世界に通じてしまいます。そこで皆さん自体の生活環境の中で、心、という本当の神理が分からない為に、色々と私達は通じてしまいます。そのような場合に、皆さんの心の針が、暗い世界に通ずれば、阿修羅や、あるいは魔王、この魔王というのは、勿論、この地上界で、かつては肉体をもって、地獄界に落ちて、地獄界において権力を振るっている連中です。こういう連中は、かつてイエス•キリス卜がイスラエルに出た当時は、非常に多かったのであります。
最近は、魔王よりか、むしろ動物霊、こういうものの跳梁に、人々は心を委ねております。あるいは餓鬼道、餓鬼界に落ちている人達。そのようにして、現代の新しい新興宗教は、そういう現象に対して、肉体先祖がすべてである、先祖を拝みさえすれば幸せになるんだと教えています。いくら先祖を拝んだ所で、人間の幸せなどは来ません。

肉体を下さった先祖に対して感謝する心は、まず肉体的に健全であること、そうして自分自身がよく神理を知って、自分の心に安らぎを持ち、家庭の中に、オホホアハハと生活できる環境を作り出した時にこそ、本当の先祖に対する供養であり、先祖も喜ぶのです。それはまた、肉体を下さった先祖に対する感謝に対して、報恩という行為なのです。生きている人間の幸福、健全なる精神、健全なる肉体、この健全なる肉体を持って、家庭生活が調和されている。この姿こそ、本当の先祖供養であり、いかに立派な戒名をつけようとも、家の中が、争いと不調和な環境であったとしたならば、間違いなく先祖は浮かばれません。これは先祖に対する供養など、形ではないということです。

そういう事を知って、心を心から知り、そして家の中の調和を図ることが、唯一の先祖に対する供養であるということを知って頂きたいのです。そして、自分の出来ることを、自分自身が出来たなら、可哀想な人達にも愛の手を差し延べてやるということが、これもまた供養の一つなのです。

私達はいたずらに、ただ先祖を供養するということによって救われないのだ。まず、自分自身をしっかりと、己自身を築き上げた生活こそ、我々は大事であります。

一方で、この人生を、神理を知らずに執着を持って、 この世を去っていった迷える霊達がおります。そういう人達が、またその人の心の暗い分野に憑依してしまいます。それがまた、色々な悩みや苦しみの原因を作ります。
その為に、まず皆さんが、毎日の生活の中で、無性に腹が立つ、イライラする、おかしい。心の中で不自然な現象が現れている時は、間違いなく憑依霊に憑かれております。その結果、肉体的にも現象が起こってまいります。イスラエルの当時、イエスが諸々の衆生に神理を説いておった当時は、その中に多くの魔王達が姿を見せて、人間の肉体に憑いてまいります。彼は講演中に、不自然なものに対しては、徹底的に糾弾(きゅぅだん)し、そのような者を、講演会場から出してしまいました。しかし現代、私達の神理を聞くなかには、そのような魔王というものが憑いている人達もおりますけれども、イエス様の時代の魔王とは違って、まだ程度のいい方の魔王です。

現在は、動物霊に支配されている人達が大分いるのです。それは自分自身が、心ならずも、毎日の生活の中で、自己閉鎖型になり、そして自分自身に喜びを感じないような環境になっておるから、そういう場合、どうしても不調和な霊に憑依されます。その結果が、お医者さんに行っても直りません。

その直す事の出来るのは、皆さん自体、自分自身の心なのです。例え耳元で、どのような事を聶かれようとも、或は霊的に自分の眼の前に映ろうとも、そういう事に翻弄されない自分になる。私達は現在、肉体を持って修行しているのだという自覚をしっかりと持って、神理に叶った生活をしている時には、そのようなものは、自ずから離れてしまいます。

それは自分白身が、原因があるから結果が生じているのです。病気になるにしても、原因がある。心がイライラするにも原因があるからです。 それを皆さん自体が、しっかりと自分の心を、自分の船頭さんが、肉体の船頭さんが、しっかりとした生活をしているならば、まず間違いが起こることはありません。
そこで、さわらぬ神に祟りなし。
変なものに皆さんは、信仰することが信心だと思ってはなりません。より皆さんの心というものをしっかり見つめた中道の生活をした時、そして人間である以上、一日の内には、心の中で悪いことを思うこともありましょう。間違いも犯しましょう。それをよく反省し、そして二度と間違いを犯さないような、前進の為の人生を送るようにして頂きたいと思います。

この中で、イライラする人達、心に動揺する人達が、何人かおられますけれども、それは後で現象をお見せ致します。その前に、色々と自分の過去的な現象を診て貰いたいという方が、この前の八起ビルの講演会の時におられました。その女性の方がおられますから、その人をちょっと見たいと思います。
あなたです。いいですか。こちらへ出てきて下さい。


【 現象2:過去世で踊りをやった女性 】
(女性:ソプラノで)・・・ シ卜一エシナ一イ シナノノヤンチュウシュ ン ヤ一リ一ワ一ノ ナ 一ニ 一ンスン ヤ一リ セレナ一ゼ一ンサ一リン サンセイジイクシィーヤー リーリニーン サンチェオ リョウ ツゥー トワナウ チャンシイワン タンナリーシワン
(信次先生)・・・ あなたの過去世です。アウツーイ一 チャンタオ ウ一ツイ一 アウテイ。
踊りをやっておられた芸能関係の過去世です。
(女性)・・・ チャンツウ リー カンシイシャオ リュータンウータン、
(以下メロデー)・・・ ウーリョーウー ツーイーアー シュリャンツイン キーイーティヤーリーヤン ティウー 
ナーリーサンシェン リヤウン ルヤン ティーサーアーリーン コンガーン シュウリー ヤンセー ヤルツウンリヤー シイヤン。(メロデー終わり) チューリヤン ワッティン ナウ。
(信次先生)・・・ タンフワイ チュウホワウ シィホワン トワンクワイン ツー。
(女性)・・・ アウ一カイ フワン あこがれるも。
(信次先生)踊りが好きだったのね、あなたはね。(女性)サウナーン …。
(多分、星洋子or一栄先生)あの恋人に去られた唄ですね。あの永く言い交わして、それを綴った恋人に去られた唄ですね。(女性) チーヤン スーリャン ウワン アイシンシェイ。
(信次先生)アウ ナウティ、私は、ハウテイ。(女性)アイシー セイアウツウセイツーリューヤン」。
(信次先生)そうですね。(一栄先生)何かこの方に、おっしゃりたい事がございますか。
(女性)ハウ タウ ハウツーナン ウータン ス一リンナン フワン ナウ オートウワン イー ツウー、
トルシイー、こつこつと人生を歩んで下さい。ツーリュ一ヤン、虚栄心を捨てることでございます。
タウ シンカン イ一タウ チャウ シーシー アーシンクン イータウ アー チャウク一 センクワン。
(信次先生)アウチュウ ウチュウ。どうもありがとうございました。


【 現象3:魔王、動物霊に憑依された女性 】
(信次先生)あなたは、この者から離れなさい。あなた達はこの者に憑いておってはなりません。あなた達の仲間達は、かつて私の神理にふれて帰ったはずです。あなた達は帰りなさい。どうしてこの者に憑くのか、理由があったら私に言って下さい。
ハァウ シィヤ、ラーワレ ブッタル サブシニョラル シリイスパール スト トワラ スパール トワ インダー リヤワル カルサウファル パータワリヤリ トワラ カルスルスリエレ、ハウウワラ サファル スレアラ ブリツリオアラ シリアラ カスボラ スティリイ コラ セレスティリワラ セレスパ一 ゴーダマ・シッタルダー、ハーウセレセレ セレアワラ カラ サラセレセレ アワラ カラセレセレ ワラカラスリ才ウ、ハーウア、ウバラ リヤリヤ ワーカラ サラセレシィパ、アーウッテイ セパラ シパールセ、アーカラセリセリワラ カラセリセリアワラ カルスボア、ラーワレ エスパラ シュターラ セーノワレ テイスパー、アーフセリセレパラ セルポスッパ。
あなたは、こんなに無性に腹を立てているけれども、それはならぬ。よく私の言う事を聞きなさい。この人にいつまでも憑いておって、どうしますか。理由があったらいいなさい。
教えてあげよう。お前を救ってもあげよう。
さあさあ、ア一ウ ファルシィア。びっくりすることはない。さあこの者から、ちゃんと出なさい。リヤー ワ一。(多分、星 洋子先生or一栄先生)あなたはどこから来たの?
(信次先生)セボラ リヤワラ カラサレ セイ。どうだ、イライラしちゃいけませんよ。さあ言いなさい、救ってあげるからね。ラワレ セボフォア ファラセス ファワラ セレセレセレセレセレ セレカラバラ カラセリセリ カラバラ。
(一栄先生)自分の本音の足をしぶってしまうんだね。(信次先生: 一栄先生に対して)危ないですよ。
アーワラ セレセリ セリ力ワラ 力ラセレセレ カラワラ ケーシカラ スパラ ストボリシイタ、アー ヤレ
ヤーワレ セイパラ スッパー。あなた、ハリキリスタール スパール ティレワリキル トワルティウレ サラダワリヤ、アーフェイレ セリイスパラ スタルサイセイ スタ一ル イエ一 セパ一ル イエスパ一ル トワラワレスハ一。
(一栄先生)自分の胸の内をしゃべってしまえばね、楽になるんだから、しゃべりなさい。
(信次先生)さあさあさあ、しゃべりなさい。ね、怖くはない。さあ私にしゃべりなさい。ね、どうぞしゃべりなさい。怖くはないよ。楽にしてあげる。アーワレ セパラ テイッサール トワレ グンサウ スパール テエレワレ シイパ一ル パ一ルキコウ。霊視の効く人はいって下さい。
(一栄先生)お話しなさい。お話しなさい。(女性)バカーッ。
(信次先生)アーオ、アーワレ ユーリスパ一。出なさい。さあ、あなたはこの者に憑いておってはいけませんよ。
(一栄先生)自分の胸の内をね、話してごらんなさい。そうするとすごく楽になるから。
(信次先生)さあさあさあ、あなたは出なさいね。そしたら出るから。
(一栄先生)さんざん苦労した為にね。苦労したんでしょうね。
(信次先生)大丈夫だからね。あなたはね、苦労しても、また今度はみんなで仲良くやってゆけば、あなたもまた幸せになれるの。分かりますか。
(一栄先生)みんなでね、この苦しみを取るお手伝いをするからね。
(信次先生)楽でしょう、ね。光を入れてあげる。
(一栄先生)言って下さい。楽になりますよ。ね、一人でその苦しみを背負わないで、お腹の中にこもっているとね。皆様にお話して、取っていただきましょう。楽になりますよ。みんなお友達になるのよ。ね、みんなお友達になるのよ。
(多分、星洋子先生)リーパール パーシィ ファル ストロペル バリセリーブル。
(信次先生)どうだ、大丈夫だからね。大丈夫だよ。いやになっちゃいけなくてさ、さあさあ、足元、みんな出ていった、どう?あなたが、こういうようになって苦しんでいる。ね、またあなたの肉体を通して、肉体を持っている方も、これじゃ困るわね。分りますか。困らないか?ほう、なんで分からない?さあ、しゃべりなさい。さあさあさあ。 サーワイ シイア アーミエ。さあ、あなたはそのように暴れたけれども、いけません。それは、あなたが暴れれば、私の光であなたは凍ってしまいます。それでもよければ、暴れなさい。寒くなってしまいますよ。それはいやですね。(一栄先生)いやですね。
(信次先生)だから、あなたは心がね、それはいけない、それはいけない。さあさあさあ、怖くはないから、出るか?出ようね。出ないのか。一緒におった方がいいの?何故、それはよくありませんね。ほう、どうする。怖くない。怖くない。(一栄先生)光が見えたでしょう、ね。
(信次先生)光が見えたら、ちょっと飛んでいくよ、さあーっと飛ぶからね。大丈夫だよ。さあ、あんたは出なさいね。いやか?何故いやなの。心を静かにして。
(一栄先生)それは、一杯苦労したから、くたびれちゃったのね。
(信次先生)カーティ カーティ パラ力ーティ パラサンカーティ ポジソーワカ、 カーティ カーティ パラカーティ パラサンカーティ ポジソーワカ、 カーティ カーティ パラカーティ パラサンカーティ ボジソーワカー。さあ、神よ、この哀れなる者に光をお与え下さい、安らぎをお与え下さい。実在界の諸如来•諸菩薩、この者に光をお与え下さい、安らぎをお与え下さい。カーティ カーティ パラカーティ ポジソーワカ、 カーティ カーティ パラガーティ パラサンガーティ ボジソーワカ、カーティ カーティ パラカーティ パラサンカーティ ボジソ一ワ力ー。
足りんか?怖いのか。よし、暖かくしてあげよう。さあ心を静かにしなさい。さあ心を静かに落ち着けなさい。神よ、どうぞこの哀れなる動物霊に光をお与え下さい、安らぎをお与え下さい。暴れてはいけないよ。あなたは私達に見られている。しかしあなたはね、私達が行く場所をちゃんと、あなたの落ち着いた場所に連れていってやろうとしているの。お前の、太郎にしても、コン吉にしても、私はちゃんと案内したはずだよ。違うかい?知っているなあ。だからね、あんた自体がこの女性に憑いて、こないだ大分、頭を痛くさせたな。違うか?子供にもそうだったね。あれは困るよ。あんたも本当は救われたいのじゃないの?そうだよ。それにあんた、威張ったって駄目だよ。僕は、ちゃんとお前の心の中まで分かってしまうんだからね。そうだろう、分かる?さあさあさあ、ね、分かりますか、前はね。(一栄先生)本当は優しいんだもんね。
(信次先生)さあさあ、親分がいなくなった為に、どうしようかと思ってね。心の中で大分ね、悩んだね。その結果、ようし俺が親分になってやるぞと、お前は宣言したね。そうだったな。そうだな、しかし宣言したけれども、さあそれはお前自体も救われたいんだよ、本当は。そうだろ、違うか?だからね、この女に憑いて、そしてお前のね、自由意志をやろうとした所で、これは駄目だな。お前はボン吉の時に、大分、反旗をひるがえしたもんな。兄貴、待つよ。そうだったね。違う?そうだろう。ちゃんと僕は知っているんだよ。だからいつまでもね、あなたはあの家に憑いて、ね、あなた達は先祖代々、一杯、ね、分かる?迷わしたな。それはいけない。お前だって私達は救えるんだ。お前達も神の子なんだ。(女性;怒り声で)しゃくだな。こいつは。
(信次先生) 何がしゃくだ、怒るか。怒ってごらん。うんと怒ってごらん。そーれ。
(一栄先生)寒くなっちゃうわよ。(女性)それ。
(信次先生) 怒りなさい。うんと怒りなさい。怒りたかったら怒りなさい。怒ったって所詮は私の手の中にしか、お前はいないんだから。そうだろう。(女性) うーん。
(信次先生)逃げる場所があるか?ないな。そうだよ。だからあんたが、どんなに怒って嚙みつこうが、何しようが、やればやる程、あなたはね、自由を失ってしまうよ。それを知っているだろう。えらい所へ来ちゃったなと思っているだろう。違うかい?(女性)嫌いだよ。
(信次先生)嫌いだなあ。うん、よしよし、 それもいいだろう。そうだな、気にくわないだろう。あんた、怒れば怒るほど駄目になるよ。(女性)いやになってしまう。(信次先生)うちへ帰ろう。(女性)うん。
(信次先生)そうだな、帰ろう。それはいけないな。さあさあさあ、神よ、どうぞこの哀れなる動物霊を救ってやって下さい。(女性)うるさい。(信次先生)うるさいか?(女性)うん。
(信次先生)逃げなくてもいいよ。どこへ逃げても駄目だよ。分かる?宇宙のどこへ逃げても、あんた、ね、私の手の中にしかいないんだよ。(女性)ふうーん。(信次先生)それも知っているだろう。(女性)いやだなあ」。
(信次先生)いやか、うん、大丈夫だよ。そんなに、さあさあ早く、この女性から出て、そしてあんたの住む世界へ行ってごらんなさい。ポン吉だって喜んでいるぜ。分かる?私が嘘をつかないことは知っているね。
(女性)うーん、うるさいな。(信次先生)うるさいか。さあさあさあ、食べなさい。(女性) お前ら、くそ。
(信次先生)さあさあ、暗い所、お前はあなぐらか暗い所がいいだろうけれど、そんな所にいつまでおった所で、ね、争いと、ね、食べ物の取り合いだろう。(女性)うん。
(信次先生)それでもお前は幸せだと思うのかい。(女性)いいや。
(信次先生)食べ物の一杯ある所へ連れていってあげるよ。(女性)ウッフフフ・・・。
(信次先生)どうする? (女性)うーん。(信次先生)それがいいのじゃないかな。
(女 性)どうしょうかな。どうしょうかな。
(信次先生)龍王の下へ私は連れていってあげるから、どうする。大木(人の名)と相談しなくてもいいよ。
(女性)下っ端になるのはいやや。
(信次先生)何、下っ端になるのはいやや。(女性)うん。
(信次先生)馬鹿だね。下っ端だって、あんた、上におったって、人からいつ取られるか分からないじゃない。
(女性)いいや、うん、もう上になるんだ。(信次先生)上になっているから大丈夫? (女性)うん。
(信次先生)そう、それじゃ、なれないよ。あんたは王様になったばかりだろうけれども。
(女性)うん、そうだよ。
(信次先生)そんなの、あんた、直ぐ外しちゃってあげようか。(女性)ふふん。
(信次先生) 僕はね、外すことも出来るんだよ。どうする。それとも、もっといい王冠を着けることも出来るんだよ。(女性)本当かい。(信次先生)本当さ。(女性)うわっはっはー。
(信次先生)喜ぶなよ。あんなに喜んじゃっているよ。(女性)王冠、いつくれる?
(信次先生)王冠? それはお前がね、その大木さんの家にいる一族郎党を引き連れて稲荷大明神の所へ、お前が連れていってくれれば、私は王冠をあげるよ。見せようか。(女性) うん。
(信次先生)王冠を見せるから、こっちを見なさい。分かるだろう。分かった?分かったでしょう。どうした、びっくりしなくてもいいよ。頭に、ここにピカッと着けているじゃない、ね、大丈夫、大丈夫、お前の取らないから。大丈夫だ、どう?見たでしょう。(女性)いらない。
(信次先生)いらない? (女性)いらないんだよ。 (信次先生)いらなくなっちゃった。(女性)うるさいな。(信次先生)そう、うるさくなっちゃった。だって、そんなに怒ったって駄目だよ。今度は冷寒地獄へ落っこってしまうよ。いいの?あんた、いつも暖かくしてやろうと思って、考えているの。えらい所へ来ちゃったなといっているよ。怖くないんだよ。さあ出なさい。出ようよ。そりゃなあ、王様になるよりか、ね、平和な生活をした方がいいんだよ。分かる?どうする。あのね、王様になる前に、もっと奇麗にして、そして有意義な所へ、あなたが行った時に、本当に幸せがあるんだよ、分かる?それはね、親分になったら、気が安まるか?いつ誰が、あなたを蹴飛ばすか分からないでしょう。(女性)大丈夫だよ。(信次先生)大丈夫か、勝つ自信あるの? (女性)ふふーん。(信次先生)そんなげんこつ駄目だよ、ね。(女性)はーぁ、いやー。
(信次先生)いやにならないの。さあ出なさい。私の所へ出てきなさい。どうする。私は決してあなたを遠くへ飛ばすことはしないから。(女性)遠い所はいや、いい所へ。
(信次先生)そこへ連れていってあげるから、さあさあ来なさい。どうする。その方がいいぞ。姿、見せてあげようか。えー、怖いからいやだ?怖くはないんだな。(女性)連れていかれそうだ
(信次先生)。馬鹿だね、連れてなんかいかないよ。ちゃんとお前達の住む世界へ連れていってあげる。
(多分、一栄先生)だから、ポンタや、みんなコン吉なんかのいる所へ行けばいいんでしょう。会いたくないの。
(女性)コン吉、いないよ、何いっているんだ。
(信次先生)コン吉はいないんだよ。(女性)コン吉、いないんだよ。
(信次先生)行っちゃったんだよな。(女性)タロウも・・・。
(信次先生)タロウもいないよな。だからさ、お前のそこの所へ連れていってあげようといっているんだよ。そこだって、お前自体の心が奇麗なら、いつでもまた指導者にもなれるでしょう。そうじゃないかな。
(―栄先生)コン吉に会いたいって。
(信次先生)どうする、怖い?さあ、そんなこと言って、いやになっちゃった?うーん、おうちへ帰りたくなった?さあさあ出ようよ。ね、出て私が連れていってあげるから。そしてな、あの、あなたの所におる人達もね、全部、私が今日連れていくから。お前がなー。(女性)おいて行っていいよ。
(信次先生)置いて行っては困るよ。あんたも困るだろう。寂しくはないんだよ。あんた、そっちの方がよっぽどいいの。すっきりして。そうじゃない、 そう思わない? (女性)うーん。
(信次先生)思うでしょう。私が光を入れれば、お前だって元気になっちまうよ。寒くないし。そしてまた稲荷大明神の所で、ね、ボン吉やタロウも勉強しているんだよ。(女性)うーん。
(信次先生)知っているだろう。(女性)うん。
(信次先生)それの方がいいじゃない。長い間、ね、野生であんたは自分勝手なことをしておったけれど。
(女性)それの方がな、面白いんだ。(信次先生)面白い?(女性)うん。
(信次先生)それは面白いだろうけれども、そんな事、いつまでやっておったってね、さき分らないじゃない。食べ物だって、そうじゃ ない。(女性)食べ物ないよ。
(信次先生)少ないだろう。(女性)うん。(信次先生) そんなら、食べ物も一杯ある。稲荷大明神の所で神理を学んだ方がいいんじゃないの。(女性)ふーん、窮屈(きゅうくつ)だよ。
(信次先生)窮屈か。そりゃ我慢しなきゃ。それが大事でしょう。あんたなんか、窮屈だなんて言っておったってさ、体だってと言うんなら、うんと小さくしてあげようか。今の体、物凄くでかいけれど、どうする?大きい方がいい? (女性)うーん。大きい方がいい。
(信次先生)だけど腹が減るだろう。小さければ、食べ物も少なくてすむよ。(女性)小っちゃいのもな、腹へったといってる。(信次先生)みんな言っているのか。そうか、そうしたらお前がね、みんな呼んで連れていってくれよ。どうする。(女性)どうしようかな、行くのいやだなあ。
(信次先生)行くの厭だ?(女性)いっぱい連れていくの、いやなんだ。
(信次先生)恥ずかしいか。親分だからな。(女性)魔王がさ。(信次先生)魔王が? (女性)うん 怒るわ。
(信次先生)怒るか、魔王が怒るのか。(女性)うーん、そうだけどさ。
(信次先生)あなたが離れても、また来てしまうものな。それ困っちまうな。(女性) うん。
(信次先生)どういうようにやって守るか。(女性)うーん、そんなの 甘すぎる。
(信次先生)危ない目じゃ駄目だよ。あんた、そりゃもう、あまりいつまでも憑いていると自分自身がまいってしまうよ。そうでしょう。(女性)うーん。
(信次先生)この女性が悩めば、お前も悩んじゃうだろう。 短気を起したくなっちゃうだろう。違うか。
(女性)そうだな。(信次先生)そうだろう。(女性)うん。(信次先生)そんなら、ポックリとこの人から、さっと出たらどう。(女性)う-ん、行く所ないんだよ。(信次先生)いく所、ある んだよ。ちゃんとあるさ。行くとこ、あるんだよ。(女性)いい所、行きたいな。(信次先生)だから、ボン吉やタロウの所へ行こうよ。どうする。どうしようかなだろう。(女性)まいったな。(信次先生)えー、迷っているの。さあさあ出なさい。出ちゃえよ、ね。僕はね、 ちゃんと連れていってあげるから、私を信じなさい。ね、寒くはないはずだよ。暖かいだろう。そうでもないか。
(女性)面白くないんだよ。(信次先生)面白くないの。出たくないの。このように、コロッコロッと変わるのが、あんた達の心よ、分かる?変わっちゃ駄目だよ。一族郎党、引き連れて。(女性)いやだな。
(信次先生)いやになっちゃった?さあ出ようよ。出なさい。さあ出なさい。今、稲荷大明神よんであげるから。私が頼めば、 間違いないから。どうする。
(一般の人に対して)よく見ていてごらんなさい。いっぱい来ているから。一族郎党、全部、引き連れていますよ。(女性に対して)あなた達も私の軍門に下りなさい。あなた達が所詮、人々の心に不調和な原因を作ろうとも、私達はそなた達を一網打尽に、即座に滅することも出来るということを知りなさい。今この者も、この女性から離れ稲荷大明神の軍門で神理を学ぼうとしている。そなた達も心があるなら、今、ついて行きなさい。どうする?
お前が魔王か。(女性)ふふん、ワハッハッハッ。

(信次先生)入っちゃった。 これが魔王です。今、入りました。さあ魔王よ、よく私の言うことを聞きなさい。
(女性)へーっ、何んだ。(信次先生)お前はこの者に憑いて、この者の家庭を何代にもわたって不幸を呼び、どうする。(女性)帰ろうかな。
(信次先生)帰らなくてもよい。全部出てこい。魔王、どうした。しゃべれるか、しゃべってごらん!何故しゃべらぬ。そなたは法力を使い、何万匹かの狐達を率いて、人々に不調和を起こしている。しゃべりなさい。そなた達は、どこへ逃げるか。さあ、しゃべりなさい。そなた達は私の本性を知っているはずだ。どうする。しゃべれるなら、しゃべってみなさい。そなたも人間として、この地上界に肉体を持ったもの。この地上界において、多くの人々を悩まし、狂わせ、その結果、地獄界に落ちて、そなたは魔王となっているが、そなたの時代はすでに過ぎ去ろうとしている。私の神理につきなさい。
ラベリケリ サラバ ケレサバ 力ラタボリ キリイスター ゴーダマ・シッタルダー ブリプタ一、サバリ
キルスワラ ティリボウレ キリイスター ターバリキス マラー、ワーナ ティルアレ ケリサパラ ティスターロ リイレ サパルスパー インドラー、 力ウル フェイシティ サボロ セポラ キリイターワリ キー
サーワラ スパル ティー ワラクアー、力一ウフィ一、サ一ワリキー サポル キイスパラ キリスパラ
キリサボラ サボリキ一 サボリキー ソレジィロ レ一ジャワリ ケサパー。(ふーっ) サ一バリケー

サ一バリケー サ一バリケー サ一バリケー サ一バリケー サ一バリケー サワレギャル ティス サバルゲート アワレ 力ラサヤキー、アワーレ テンワレギー コアルカーサポルキー タ一ワレキー タ一ワレイン
コアレ テッポー カラテ テレワレキル サボル卜レ ディオ力 インドアー、ハー カラテ テレワレキル
サポルトレ ディオカ インドアー、ハーフ フイルケレ サラポアレケラー、ハーウ フェレキャル サルゲーリ
サーフレケリ サーオリ ティアワル セイティ チュウレケ サーフオウ、 ゴーダマ・シッタルダー ファリケレ シュ シャカムニブッタ ワレケー サーファー、ハーフ フェイケス マーラー、ハーフェケス マラー、
アーウェレケロ ソーフレケー サーフオルティ タカハシ、ハーフェケリ ソロホレ ケルサーフォワラ トワー。ハーフィー。(ふーっ) ハーフェリ ケアリヤルワキー サーホリキー ターワル ターワルキースパー
ターワレヤー、ハーフホワレ ケリサーホリキー サーホリキー スト マラー、ハーフエリキ スルファル
シィラトワレケリー サーホリ スポトワリティミィー、ハーフィリキ サルフイン サーワレキル ターロリースパラ トレリウレキタワラコー ワラギスパー、ハーフイー!!
ラーベイヤ サフレ ケヤサホル キスソーファレキー オリヤン ティポルティー、ハーフワイ キーサルティ
オリキー スタワレ キーサホル ビーサー ワレダー、ハーフィー ヒーセブハラ キダバー ベイ ケリヤー
オラカ サワリケリ サワリケリ ゼレセフィー、ハーフェイ ケリサーフレ キー サーワレヤー ヤーワラ
カラサーフェー カラリー、アーリヤウレキィ サパラティ ワレキー サパトワレ テワレキー スパータワリギャー、ハーフシイ!!
ラーワレヤーレ サーファリ キスファル トイーコア ゴーダマ ターワレ イズサーフ スパー、フェイフェイ シャ タウフィー。
頭を上げなさい。所詮、そなたも救われたい為に、私に。かつては、そなたはインドの時も魔王として私の下にふさがった。よく知るがよい。 そなたも所詮は神の子で、心というものがいかに重要か。そなたもまた諸々の衆生を救わねばならぬこと、それをそなたは知りつつも、悪態三昧をして、稲荷大明神とやらを称して、そなたは諸々の衆生に間違いを犯した。その罪は許されぬ。ただ、そなた自体が、今後このような道を踏まずして、諸々の者を救おうとする心が生じた時に、そなたもまた救われる。どうする。そなたが二度と嘘をついた場合、私はこの地上界はおろか、全宇宙、意識界を通して、そなたを私は封印するであろう。分かりましたか。
私は2500有余年前、インドに於いて諸々の衆生に、その法を説いたもの。再びこの地上界に5の500才の後、一族郎党、同志と共に、天上界よりこの地上界へ来たるもの。そなたは私を知っているはず。分かりましたか。よくそなたも天上界に行き、修行をし、そしてこの地上界に平和が来たらんことを協力して頂きたい。

ハーウ フイリカ一ワリ リーキスポア ゴーダマ•シッタルダ一 ファラ カルファーレ ティア、ハ一フフィー、
ラワレ テーファル ティスパール タカイシパール ティ卜バラ スキャア、ラーフィーリ キ一 スパ一、
ラ一ワレ イエリ サ一フルスハ一。

心から詫びることが必要。形だけでは、私は分かります。形ではなく、何故そのように形だけを騙(かた)る。
私はそなたを即座に抹殺する事も出来るのです。あたかも私に頭を下げた如くして、そなたのやっている事の動き、許されぬ。どうする。「(女性)ふーっ、ふっ! !」。
サ一ァィワ一リスパ一、ラーフィ一キリスパ一。さばきはとれぬことを知りなさい。真実に、その現象をそなたは見せなさい。魔王として跳梁しながら、永い年月、人々の心に不調和を及ぼし、許されぬ。
心、から直せ!!今、お前の考えている心は、この場をつくろって逃げようとしている。それは、私達は節穴ではない。心から反省をしなさい。どうする。そなたの命令睨下(げいか)、配下は即座に、どうにでもなるはずだ。違うか。そなたは例え魔王であろうとも、所詮はそなたも、神の子・仏の子のはずだ。ちがうか。

(信次先生-聴衆に対して:槍を持ちましたよ)
(魔王に対して)お前は私に挑戦するつもりか。お前が私に挑戦しようとも、お前は私の壁を破ることは出来ぬ。出来るならやってみなさい。やれば、そなた自体が自滅することも知っているはず。違うか。どうする。
この者から、そなたが去った所で、また違う人間に不調和を呼ぶならば、私はそなたを即座に封印もしよう。どうする。そなたの心は映画のスクリーンの如く、私はすべて見届けることが出来る。
「(女性)あの時、言っただろう、また来るからって! !忘れたのか! !」。そなたは、あくまでも自由自在に言いなさい。何んでも聞いてあげよう。「(一栄先生)何でも言いたい事があったら聞いてあげよう」。
(信次先生)言いなさい。言いたい事があるなら言いなさい。「(一栄先生)どんな事でも、あなたの言いたい事を何んでも、お話しした方がいいのよ」。
(信次先生)しゃべりなさい。「(一栄先生)悔しい事があったでしょう。あなたはね、小さい時からずいぶん苦労したのね」。(信次先生)さあさあさあ、言いなさい。この者の心に、神よ、 光をお与え下さい。
「(女性)あの時、言っただろう、行けといったから行った。また帰ってくると言っただろう。帰ってくるなと言ってないじゃないか。何がいけないんだ、来て。再度、送っただけじゃないか。来るなとは言ってないじゃないか」。所がお前が、それで少しでも安らぎがあったか。どう する、安らぎなぞ、なかったはずだ。いつまた私に見付かるか、その事が気掛かりであったはずだ。私はたびたび、そなたの所へも行っておった。 それは知っているであろう。それも、そなたを救おうとすればこそ。違うか。それは分かるだろう。私は今も前も変わっていないはず。
「(女性)うん、あのな、な、あってないよ」。だから素直に、そなたも出て、一族郎党を引き連れていって・・・。「(女性)そうやけど、 帰ってくるなと言ってないから、来たんだ。俺はまた来るよと約束しただろう」。しかし・・・。「(女性)約束したから来たんだよ。何がいけないんだ!!」。それは、そなた自体が、自分自身の心というものを知って、神の子・仏の子としての道を、そなたも例え動物であろうとも、持っているはずだ。
「(女性)動物じゃない。俺は魔王だよ」。魔王であろうが・・・。「(女性)馬鹿にするな。魔王!」。魔王で あった所で、そなた自体が人間以下の行動をしている。魔王であるならば、魔王の力を見せてみなさい。そなたが、それだけの法力があるなら、 見せてごらんなさい。見せられないであろう。その通り。どうにも、ただ口先で吼えるだけ。暴力を使い、口先で吼えた所で、所詮、無駄なことだ。
「(女性)そうだよな」。それならば、私達と同じ法力を持つことだろう。「(女性)うん」。その時にお前も、また人々を救う時だ。その為に私はそなたの道を正したのである。「(女性)分かってるよ。あいつのたるんでるの。ただなあ、こうやってな、お前の手伝いしているような嬉しげに、たるんでいるじゃないか。あれが何するんだ」。
「(一栄先生)もういい加減に帰りなさい。帰った方がいいわね」。
(信次先生)だけどさ、一応、あなたは、はい、出なさい。 (―栄先生)くたびれたでしょう。体がまいっちゃうから、早く帰りなさい」。
(信次先生)くたびれてしまう。さあ出なさい。さあ出ちゃいなさい。 はい、出なさい。大宇宙•大神霊仏よ・・・。
「(女性)でー、止めとこう」。さあさあ、出なさい。さあ、そういう事を言わずに出なさい。
「(女性)疲れたよ」。疲れたな。「(女性)うん、随分疲れた」。出なさい。出なさい。
パラカテー パラカテー パラサンカテー ボジソーワカ カーテイ カーテイ パラカーテイー パラサンカテー。
手の方から出ちゃいなさい。大丈夫ですから。お前、送っていってあげるから。カーテ一 カーテ一 パラカーテ一 パラサンカテ一。
「(女性)また来るのか?」。もう来なくてもいいんだよ。あんたは、そちらで修行をするの。分かりましたか。
「(女性)どうするの、この 群れ」。これ?それ全部、連れていけば。そうして今、稲荷大明神を、呼ぶからね。「(女性)さぞ一、どうしょう」。怒られない。怒りません。怒りません。
「(女性)こないだ、うんと言われたんだ」。そんなことない。私は言うから大丈夫だ。
「(女性)黙って来たからな」。そうだろう。「(女性)この馬鹿野郎、お前が悪いんだ! !」。さあさあ、そんなこと言わずにね、この者からあなたの一族郎党を全部連れていきなさい。一つも前と変わっていないはずだ。そうだね。
「(女性)うん」。分かったね。さあ出なさい。手の方から出なさい。 さあ、大木さんの意識よ、この者をすーっと出すようにしなさい。はい、 どんどん出しなさい。はい、手の方から出しなさい。はい、霊視の効く人達、見ておって。(ふうーっ)

私達は永遠に前進か、或は横道かの、あらゆる人生を修行している現在であります。それだけに、まず一番重要なことは、心というものが大事であって、心こそ皆さんの永遠に変わらない自分自身だということを知った時に、私達は本当に毎日毎日の生活が、いかに重要であるか、それは、皆さんの心の在り方なのです。心というものが、本当に、自分を 知って、自分に足ることを知り、与えられた仕事を一生懸命に果して、 その中に、本当の人間としての修行があるという事を知って頂きたいのです。


先程、質問があると言った方、どうぞ質問がありましたら、言って下 さい。

【 質問1:あの夏だったのですが、梵語じゃない言葉で、こうしゃベりますね。ああいうのは、そういう言葉を習ったり、覚えたりするのじゃないんでしょうか。】

(信次先生)全く、しておりません。あなたが外国へ行く。例えば プリティッシュ・イングランドへ行く。色々のことを現在のテ一プレコ一ダに録ってみる。そしてまた、インドへ行って、 インドの言葉を録ってきてみて下さい。中国、そして日本。あなたが1年後に於いて、そのテープを逆転させて、また聞いてみて下さい。間違いなく、しゃべる答です。
皆さんも、生命、魂は、あの世とこの世を永遠に輪廻転生し、ある時には、中国に、アトランティスに、あらゆる輪廻転生を続けてきて、今、自分が望んで日本に生まれているのです。あなたの意識を紐解いた時には、それが出てまいります。それが生命不変である事実なのです。

エネルギー不滅の法則、質量不変の法則と同じように、私達の心も永遠であるならば、この地上界に出る前の、過去、何千、何万年、何億万年の転生輪廻を、あなたも心の中に記録されているのです。
それはあなたが、調和された時に、初めて解ってまいります。かつて今から2000年前、イエスキリス卜の弟子、パウロやべテロやシモン達、この弟子達が現実に今、我々が過去の言葉をしゃべり、他の国の言葉で神理を説いているように、その事実があったのです。使徒行伝第2章、聖書の使徒行伝第2章を読んで下さい。仏教の中では、華巌経十地品に、このような事実が記録されております。不思議でも何でもありません。
朝鮮のキム少年が5才で、大学2年の高等数学である不定積分を解きました。不思議ではありません。過去、そのことを実践していた心が調和されていた為に、そういうことが出来たのです。お分かりですか。
ですから、今までは肉体が全てだと皆さんは思っていた。それが、おかしな宗教が先祖を拝ましてしまって、分からなくなった。
「(質問者)私の心が、そういう調和されれば、自分の過去が分かるのですか」。はい、勿論その通りです。
「(質問者)一人で私がしゃべり出すということですか」。その通りです。心が調和されてきた時に、それはあなた自体の過去世には、本体を中心に5人の分身から形成されております。5人の分身がお互いに本体を中心にして、一定の時期を経て、1000年、2000年、輪廻転生の合間を縫って出てくる訳です。お分かりですか。ですから、思い出すのは当然なこと。それが今まで、なかった。聖書の中に書いてあるのは、それはただのキリスト教の神格化する為の、一つの方法であろうと考えておりますが、それは間違いです。

現実に我々の、全く学ばなかった子供達までが、自分がこの地上界で日本語しか知らないにもかかわらず、へブライ語や、或はまたインドや中国の言葉を思い出しております。それは事実だからです。
それが皆さんの意識にも、書き込まれているが、その意識の分野を皆さんが蓋(ふた)を取らないだけです。取るには、自分の日々の生活です。お分かりですか。日々の生活です。神理に適った生活をしろということです。 それ以外に出来ません。いくら拝んだって無駄です。
自分の心が、神理にかなった想念と行為、この中から出てくるからです。積み重ねです。執着、恨み、妬み、誹り、自己保存、こういうものは、みんな捨てた時です。そうでない限りは、出ません。

今からは外国からも、どんどん、そういう人が出てまいります。日本ばかりじゃありません。望んで出てくる人達も。我々はグルーブを組んで出ておりますから、アメリカ、ブラジル、フイリッピン、それから、イギリス、ドイツ、一杯、出てまいります。出てまいるじゃない。もうすでに、出ております。ですから、不思議でも何でもありません。あなたも、そのようになってみて下さい。それは自分自身の生活の中から出てまいります。

「(質問者の女性)はい、あのどこに生まれるかは、自分の意志はあるのでしょうか」。
(信次先生)あります。向こうの世で、自分の意志と、向こう天上界の、あなたの本体を中心とした5人の分身と、向こうにも、ちゃんとした役所があります。そこへ全部、登録されて、何年頃という計画が立てられます。
「(女性)自分の意志も入るのですか」。勿論、意志もあって、ちゃんとやっております。ですから、あなたの守護霊も同じです。 意志も、ちゃんと持って、意志はこの地上界の人よりか間違いを犯しません。ここの地球上の人達は、肉体という舟に乗って・・・。
「(女性)生まれてくる所もですか」。はい。自分自身が望んで、登録し、許可を得て出てくるんです。それはこの地球上のIBM(Computer)よりか、もっと精妙です。IBMは、ようよう、あらゆる銀行と、普通預金のコン卜ロールが出来るようになりました。平和相互銀行、第一銀行、三菱銀行、みんなあらゆる銀行ね、とれるようになりましたね、一つの口座で。と同じように、もっと精妙に、あの世は出来ております。
ですから皆さんが、この地上界へ出てきた目的というのは、実はあまりにも古い歴史と環境の中で、本当のものが分からなくなってしまって、神様がいつの間にか、偶像崇拝や、不調和な信仰が起こってしまった為に、益々、心が暗くなって、あっちの世と交信する、本当に出来る人が少なくなってしまった訳です。と言って、私達も別に変わった人間ではありません。皆さんと全く同じです。それは皆さんも、神の子であり、仏の子であり、その力を持っているのです。それには自分自身が神理にかなった生活をした時に、分かってまいります。お解りですか。別の方、はいどうぞ。

【 質問2:一夫一妻というのは神理なのでしょうか。それと、女性の役割と男性の役割と、それから今いわれているウーマンリブという問題に ついて、先生にお話しを願い致したいと思います。 】

(信次先生)その通りです。女性の役割は子供を産むことです。その事は、男性との間がありまして、この地上界にまず肉体の修行場というものを保存する為に、神は男女を造っております。
ウーマンリブというのは、これは時代の流れです。男女はみな平等です。ですから、男の使命も、女の使命も、まあ、むしろ女の人は、あちらの世の調和です。奇麗な洋服を着て、そして心から美しく調和されているような生活が必要かと思います。あの世では、一夫一婦です。一夫多妻は、動物界はそうらしいですね。 南極のオッ卜セイなんかは・・・。
「(質問者の男性)えー、そういうような考え方は、つまり言うと、例の無秩序な・・・」。
(信次先生)それはインドの当時、ゴーダマ•シッタルダーは非常に恵まれた環境に育ちました。その為に17才の時には、もうすでに結婚をして、お嫁さんが何人もいました。正式なお嫁さんが3人、第1夫人、第2夫人、第3夫人、それ以外に、若い女性達が一杯おりました。そういう環境の中で、自分が生老病死という苦しみを悟れなかった原因は、女性にある、という考え方を持ってしまったのです。ですから、その当時のことについて、カピラ城の当時、女官をやっておられた人が、ここへ来ておりますから、その人にちょっと聞いてみたい と思います。

【 現象4:カピラ城の女官 】
(信次先生) ラワレ セボレキスター アラティー ワレカーワインセーリ デ一ワレ テ フォアー ホフファワー 卜チパー、ハウファア ティー スパー カピラ・バースト
(女官) ワータシャ パーリー シイーケ パトラッシィー リーパトラ ダスケシー パースパー インダー
ディレケレリ スクワー シリィゲリ デファーザ一 ディー ザス リザ一卜、リービアル卜 モーコシケル
ビバブボボデス キリーシンボル ファビリヤー シイ ポウル。
(信次先生)ア一ワレイ ルキサ一パレ キィスパ一ル ジャンドーバー スターフレ キリセポロ ティア
ワラカスポー。
(女官)私はゴーダマ様がおいでになりましたカピラ城で、ゴーダマ様のお母様が亡くなられたので、マーハ一•パジャパティ様という後のお母様がおいでになりました。そのお母様にお仕えしたテ一シンという女性でございます。当時インドに於いては、階級制度が最も甚だしく、下層階級と上流階級の人々は、口をきくこともなかったような状態でございます。そういう中にあって、ゴーダマ様自身は、欲しいと思うものは、全て手に入ったのでございます。しかし城外に出ますと、その日の食事にも満足なものを得られない人は、大変多かったのでございます。
ゴーダマ様は、自分が美しいと思えば、思っただけで自分の手元に入ることが出来るという生活に疑問を持たれ、周囲の人に、一つ一つ、お尋ねになりましたが、誰も満足に答えを出してくれませんでした。当時の社会情勢では、みな、それが当然であり、また当たり前だと思っていたのでございます。その為にゴーダマ様は出家をされ、カピラ城から離れられたのでございます。後、ゴーダマ様はカピラ城の中にあって、たくさんの女性に囲まれた生活を反省され、女性というものは間違いを起こす元であるとお考えになり、全て女性を遠ざけてしまわれたのでございます」。
(信次先生)アーワレ サボラスター ドヮレユースパー。どうもありがとうございました。というような訳で、それがいつの間にか、お坊さんがチョンガでね、我慢、へんな所で我慢しちゃって、旅へ行って何やっているか分からない。そういう習慣になっちゃったんです。
(質問者の男性)調和を図る為には、やはり男女関係が非常に一番、その助かれない状態なんですか」。
(信次先生)何ですか。男女関係が一番調和を、あなたなんか図りいいから、子供出来たんでしょう。違うんですか。「(男性)心を忘れて正法を、その・・・」。
(信次先生)いや心が大事ですよ。あっちの世ではね。心と心ですよ。心が完全でなければ、あなた愛していますと言ったって、調和がとれませんよ。こっちの世はね、嘘いってもね。
「(男性)一人ならいいが、2人も3人も愛したという場合には不調和になりますか」。当然なるでしょうね。あなた様、いかがですか。なりませんか。「(男性)今いった、今いった、幾つしたいというのが、心理がある中に、例えば実際に行動に移らなくても、心に思っただけでも、その一つのあれが…」。
その通り。思ってもいけないのです。思うくらい自由にさせてくれと言いたいでしょうけれども。それはね、姦通罪です。思っても通じちゃいますよ。あっちの世は。ですからあっちの世では、もう完全に心と心の光の量が一致しなければ、夫婦になれません。或は男性の方が高い場合は、女性の方まで落します、自分の住む世界を。そして夫婦の生活をしております。ですから、この地球上ではね、ごまかせますよ。金の魔力とか、色男とか、まあ私達みたいのは駄目だけれどね。
「(男性)先生のおっしゃる事から考えていきますと、その夫婦になるということは、非常に重大なことだと思いますが」。その通り。実はあの世で、恋愛であろうが、見合いも、全て組み立てられておるんです。それを人間自身の自我や、或は不調和から、色々と問題を起こしております。しかしその償いは、反省しなければ、あの世で反省をさせられます。案外、別れたカアチャンが、ずっと遥に向こうにおって、手を差し延べて救ってくれたという話しも、あの世では一杯あります。意味、分かりますか。
はい、そのほか質問ありますか。


【 質問3:(女性)ある方に頼まれたのですが、南無阿弥陀仏ということについて、お話して下さい。】
(信次先生)はい、南無阿弥陀仏というのは、ナーモ、ナーモといいまして、調和ということです。ダブツ(陀仏)というのは、ブツ(仏)、the、即ち、ボサタ一ね。仏に帰依する。そういう意味なんです。
それがインドの頃の私達は、”ボコラ パラパレ 卜ロ卜ロ ソロ パラパラ、パラカレ コルカラ アス デヱ一ケリ”といいました。所がその後において、パーリ語から更に進みまして、我々の当時しゃべっていた言葉は、コーサラという言葉です。コーサラ語です。それからそれを集約されてパーリ語という形式になりました。
更にその次には、その当時、このように語ったであろうというサンスクリットという言葉になりました。ですから、それから更に梵語という形、その梵語の中に、ナモー、ナモーということは調和する。或は帰依する、帰命する。
仏(ぶつ)というのは、ブター、悟った人、即ち仏に帰依する。
南無阿弥陀仏というのは、本来、”ナーモアナモーナモアーナモ ナモアー”とやっております。調和•調和•調和、安らぎ•安らぎーっとね。言魂ですね。ですから実際は、南無阿弥陀仏というのは、日本で作られたものね。阿弥陀浄土の南無阿弥陀仏。それがその前は、ナーモといっておった。
日蓮はそれに今度、法蓮華僧伽呪(ほうれんげんさんがんじゅ)が8世紀に日本に来た時には、法蓮華経になって、その妙法蓮華経の上に、人間は好きですから、新しいものを考えるのは。そこで南無を付ければいいだろう。南無妙法蓮華経とした訳ね。そういうようにして、一 切が成就すると思うんだよ。形にとらわれちゃう。日蓮もそういう間違いを犯しております。
それで今までは、天台の系列が妙法蓮華経と祈ってきたものを、もう少し語呂を良くして、ナーム、ナーモの調和、ナモー、南無妙法蓮華経 の南無を得て、それは、帰命する、調和するということです。解りますか。

「はい」。それが現在は日本語流になっておりますが、これは梵語です。インドの頃はパラーといい、パラーという意味です。それがナモ 一、ナモーになった。南無、南無阿弥陀仏になった。
「(質問者の女性)それじゃ、どちらを言っても自分の心が調和していればいいのですか」
もうそれは、いくら口でうまいこと言った所で、南無阿弥陀仏といった所で、法蓮華を拝んだ所で無駄だということです。声の練習の為にね、 大きい声出して、自分がまあ変なこといって、この馬鹿野郎というよりか、南無阿弥陀仏といって良かったら、声を出すには、僕はいいと思いますね。所が昔の人はそういうように、こじつけるんです。
「(女性)法蓮華経の方がいいとか言っていますが」。いや、そんなことありませんよ。法蓮華経、幾ら拝んでおったってね、南無妙法蓮華経といって、坊主の説法みたいに。あの聴衆の方がね、食事は一体どういうことになるんだろうなんてね。給料、いつ上るかしら・・・南無妙法蓮華経、冗談じゃないよ。そんなの幾ら拝んでも無駄です。そんなら、それだけのこと、一生懸命につくしてやること。だからそうして、自分が気分が良ければ、せっかく歴史が作り上げたんだから、南無妙法蓮華経とあげるのもいいでしょう。

と言うことは、今までのこの日本における所の、亡くなった先祖達は、そういう習慣の中で生活しています。その為に、その習慣を急激に打ち破ることは危険です。意味わかりますか。ですから自分の家は、南無妙法蓮華経やっているから、朝起きて南無妙法蓮華経って、やることも必要だということなのです。執着を持っているから。そういう事ですよ。いいですか。宗派というものに執着をもっている連中は100%地獄です。そういう人だけに、南無妙法蓮華経とは、お前達来い、お前達とはまた先祖じゃ言えないから、姿見て、お前達というくらいの力もっているのならいいけれど。ね、先祖の皆さんよ。私は南無妙法蓮華経とは、このように聞きましたと。皆さんもかつてはあげたことがあると思います。皆さんはこの地球上におった当時は、どういう生活でしたか。肉体は人生の乗り舟と聞いております。その舟も年をとれば朽ちてしまいます。隅田川のあの泥沼のように、夏になれば臭いにおいもしてまいります。そういう環境の中に於いても、奇麗な一輪のあの蓮の華が咲きます。同じように、あなた方もね、皆さんが肉体を持っていた当時、心が奇麗であるならば、どんなに汚い私達の肉体であっても、目をみれば目糞、 鼻糞、耳糞、汗、一つとして奇麗なものは出ないというようなドブ製造所ですよ。そういうドブ製造所の肉体であっても、その船頭さんが、本当に意識•魂が奇麗であるならば、それでいいのだ。肉体はいつの日か、 ここに置いていくんだよ。それが本当の南無妙法蓮華経の意味なんですよ。
そこで自分に言い聞かせる訳です。解りますか。そうして自分に言い聞かせて、南無妙法蓮華経とあげる。この声の波動に乗って、自分の心もまた調和させていくのです。

ですから皆さんが、あげる経文の中でも、南妙法蓮華経と心から あげているのは、その音の振動によって次元の違った世界へ行けるんですよ。私は皆さんの声に乗ることも出来ます。乗ってその場所へ、確かめることも出来ます。うちの家内も出来ますよ、声の波動に乗って。それを観音力というのです。観音の音、観音力というのです。
所が今までの宗教は、弥勒の神様とか、観音の神様とかいって、色々神様にしちゃっているけれども、力ミは力ミでもGODの神ではなく、神と表裏一体の光の天使であるという事です。

あの世の神というのは、直接、皆さんが自分の唾液に自分がなりきれないように、唾液という酵素になりきれないように、やはり神も、我々はその中の一部分なのです。我々は神の子供なのです。
だから、あちらの世の神と表裏一体の人達が、いわば仏教でいう如来、上々段階光の大指導霊という人達。それから上段階光の指導霊。それは階級制度。というのは、その人の心は何万、何億万年、輪廻転生してきた時に作り出した自分自身の心の集約されたもの。解りますか。
勿論、肉体は持っておりますよ。皆さんのような、こんな固い肉体じゃないよ。光子体という、もう柔らかいね、私なんか、こっちへ来るとニキビになっちゃって、顔は一杯ニキビづらです。あちらへ帰ると、やっぱりツヤツヤしています。といって、こちらへ来る訳にはいきません。肉体が違いますから。それが次元の違った世界です。

「(女性)出来るだけ声をあげて拝んだ方がいい訳ですか」。声魂といって、声をちゃんと、拝むじゃなく、声をあけて心を。そりゃ、心の安らぎも神理に叶ったものであるならばね、この馬鹿野郎!!コンチタ ショウ! !とやるよりか、南無妙法蓮華経と心から調和した方が、安らぎがあるはずです。
神理が、だからそういう意味で声魂というのも、調和ね。やはり私達が心を調和するのにですよ。デンデ力•デンデ力やって、マンボみたいなのやられたら、心が調和できますか。やっぱし音楽があって、クラシックのいいのを流して、それがまた心の浄化ですね。そういう所に自分をより高める一つの媒体があるということです。お解りですか。「はい」。 だから、お経をあげるのじゃなく、お経の意味を知った毎日の生活 をするということだね。それが大事です。

「(女性)じゃ、すみません。あの真宗の人は今、南無阿弥陀仏でいい訳ですね。南無妙法蓮華経の方が、ずっと全部の神様の上ですから、 その方がいいって」。
ん、それはまあ、全部の神様の包含(ほうがん)じゃなく、神様はあの世の支配者です。神様なんか、人間の南無妙法蓮華経なんか、聞かなくてもいいんですよ。聞きたいのは、人間の心が、あいつは奇麗だぞと思えばです。奇麗と称する何百億の金を使って、富士山の山の上に、でっかい大神殿を造ったって、神様、喜ばないんです。喜ぶのは教袓とその取り巻き連中なんです。

本当に神が喜ぶのは、一人の調和された、ああ、これだけを救ってやろうという愛と慈悲の心の持主です。その人こそ、本当の偉大なる人です。解りますか。金貰って神様が喜ぶなんて、冗談じゃありません。喜ぶのは、さっきの動物霊です。I see, I see,とやりますよ。或は、隅田川あたりの、あの周辺の不調和な場所には、そういうのは一杯います。地獄界の連中ね。そういうような現象が起こります。だからそういう人達を喜ばせるんじやなくて、自分がお経の意味をよく知った生活をすることです。それが大事ですね。次の方、はい、どうぞ。


【 質問4 :(男性)先生のお書きになった本によりますと、人間は眠っている間にあの世へ行くと書いてあります。そのあの世が、色々と段階がありますか。そこのどこに行くのでしょう。 】
(信次先生)あります。その人の心の段階で、だから寝る時に、一日、ああ私は今日は悪いこともしなかった。人を救った。こういう事もやった。ああいう事もやった。ああ私は今日はいい事をしたと思った時には、心はいい所へ通じます。悪い事ざんまいしておって、今晩いい所へ行こうなんて、これは駄目です。キャパレーとかね、あの料理屋なら、いいかもしれません。但しそれには条件付きですよ。銭を取られます。だから、その心の状態の場所へ行きます。心の状態の場所です。或は、私達の場合でも、自分でこうして地獄界へ行ってくる場合もあります。晚に眠っていて、そのまま、心のままで、その次元の違った世界へ行ってみてくる場合もあります。或は、私達は外国にも行って、我々のグループが出ております。そういう所へ行って様子を見にいってくることもあります。

「(男性)そうじゃない我々の場合は、その自分の光の量に合った所へ行くのですか」。そういう事です。それ以上には行けません。それですから…。
「(男性)そういう事は、死んで行く所も同じですか」。 同じ場所です。全く同じ場所に行きます。ですから心にね・・・。
「(男性)ですから、例えば私が家で床にいただけで、解りますか」。いや、僕は聞いておりませんから、分かりません。「(男性)いや、お聞きになれば分かりますか」。
はい、分かります。ただ私達は即座に、そういう現象というものを、あなたに付いていれば、私は分かったのです。所が調べれば分かってしまいます。ですから、私達がこうやって、皆さんの事を、何んでもかんでも、知っていると思ったら違います。その都度、例えばこの人は、どこへ行った、あそこへ行った、知ろうとすれば、分かっちゃう。意識を見ればいいです。ですから、自分の行った場所というのが、心の調和された、それに比例した世界、或はまた自分の過去で、例えば中国で生まれ、アメリカで生まれた。そういう場所へ行ってくる場合もあります。それはまあ、心、のゲージが、はっきりしてくれば分かってまいります。私達は、自分でこうやっていても、パアーツと連れられていって、地獄界で、色々、阿修羅界やなんか、或は畜生界、そういう所へ行って見てくる場合もあります。全く、もうこの地球上の比ではありません。地獄界というのは、全く厳しいです。思えば即座です。思えば通じちゃいます。

「(男性)地獄界へ?」。そうです。地獄の現象は、思えば現象化されてしまうのです。恐ろしいです。またそういう類がみんな集まっています。それですから地獄界でも、色々、それはもう物凄い段階があります。薄暗い所から、もうずうーっと暗い所は、真っ暗な所まで。さっきのコンチャン(狐)のおった所は真っ暗な場所です。
「(男性)暗い方が悪い方ですか」。勿論、光がない。神の光が通らないのです。それは自分の心の暗い世界、そういう類が集まっている訳です。だから天上界へ行けば行くに従って、嘘のない調和された人々の集まりです。ですから一番重要なのは、心だという事ですね。

「(男性)そうしたら寝言は、どういう意味ですか」。それは寝言の場合というのは、自分の夢と連携されている場合が多いことと、昼間、自分がやった、特に自分がそういう所に感応されている場合に・・・。
「(男性)その時は意識はまだ空になっていないのですか」。はい、そうです。まだ完全に眠っていない状態です。完全に眠っている状態は、私達の意識からは完全に霊子線というものを通して出ております。それにはやはり肉体的な現象も、殆んど心臓からも、各諸器官の状態も、動きは一定になっております。ですから、その間は殆んど寝言を言う場合とか、或は夢とか、10%でいった場合は、覚えてきます。90%でいった 場合は、殆んど分かりません。
この肉体をもった10%で見てくる場合は、もう一切、分ります。90%で行くと大抵、忘れちゃいますね。例えば、皆さんの守護霊を私に入れます。入れて、しゃべった所で、私は分かりません。今の奥さんが、あれだけ、しゃべりましたが、あの人は恐らく分からないでしょう。すぐ忘れちゃいます。どうですか、あの違いますか。そうあの夏栗さんなんか、出ても忘れちゃうでしょう。しゃべったこと、覚えていますか、全 部。
「(夏栗夫人)あの、過去の・・・」。人のことをみても。「(夏 栗夫人)ああ、人の場合も、自分のことは、まだ出てきます」。人のこと見たって、すぐ忘れちまうもんね。そういうものです。


【 質問5:(夏栗夫人)夢と意識と関係ありませんか。 】
勿論、関係あります。大いにあります。「(別の女性)夢見がいいと か、悪いとか」。
夢見ね、一富土、ニ鷹、三茄(なすび)なんていっているけれど、 あんまり蛇は、心、がそういう所へ通じている場合です。やはり本当の夢 だったら、心が調和されて安らぎがあり、そして寝起きもいいです。
「(女性)やはり夢をみない方が多いということは」。いいことですね。90%の潜在意識でいっているから、10%でいっている場合は、やっばり調和されないで行っている場合がありますからね。追いかけられた 夢とかね。ああいう所は殆んど地獄界です。それとよく若い人達が、奇麗なご婦人が来た夢を見て、おかしくなっちゃう場合、ありますね。ああいう場合も、ほとんどそうです。欲望ですね。そういうことの後は、必ず警告されるんですよ、本当は。まだ私は、夢のそういう内部のことまで、本には出しておりませんけれど、徐々に、そういうことも書いていきたいと思います。心、というも の、意識というものは、どういうものか。はい。


【 質問6 :(女性)動物霊が憑くということは、現在の自分にも、何か責任があるのでしょうか。】
あります。「(女性)いや、例えば現在、自分がこう、たいがいは隠しておりますね。で、自分のおこないが悪かった事とか、そういう事じゃなくて、そういう事とは関係ないんですか」。
心です。心の中で色々と悩み、苦しみをもって、それをこの中に入れてしまうね。そしてそういうものを、たまたま、信仰していきますね。 その内、そういうものが入ってくる。
「(女性)で、現実に信仰か、なにかすることに関係あるんですか」。 信仰もする場合もありますし、或は自分が全く無関係であっても、心が即座に通じている場合もあります。そういう場合にコンタク卜されます。 それが、心が奇麗なら即座に逃げちゃいます。そういう生活をしいてゆけばいいのです。だからこうやってみても、霊視、心の眼の開いている人達なら、みんな分かってきます。それは憑いておっても、ああ、これはいけない。じゃ私は、こういうような心ではいけないんだ。それを常に中道というこの一本の真ん中の道を考えていれば、そういうものが来ても、寄り付けないのです。光に覆われちゃう。だから私達に、動物霊であろうが、地獄霊であろうが、地獄霊というやつね。先祖の霊であろうが、そういう場合、彼らが出てきても、光を パァーッと与えられたら、しゃべる事も、氷のようになってしまいますよ。ここから凍結されちゃいますよ。それは冷寒地獄へ落ちていくから。
「(女性)で、やっぱり、それに憑かれるというのは、自分に責任がある訳ですか」,それは勿論ですよ。だから、そういうことのないよう な生活をすることね。それを今、教えている訳です。


【 質問7 :「(女性)あの嘘も方便という言葉がございますが、そのある方が、ちょっと違う事を言ったりするという事は、大変、罪な事ですか。】 
まず嘘という場合は、皆さんは一回嘘をつけば、世の男性方は経験がある人は大分おりますけれど、その嘘はね、段々、雪ダルマになっていってしまうのです。発散してくれればいいけれども、再現すれば、また大きくなる。嘘はまた嘘を呼びます。その噓は殆んど自己保存です。解りますか、嘘は。

嘘も方便というのは、この人をこのようにして、嘘をついてでも、教えなかったならば、救えないと。それは慈悲に通じる嘘であって、嘘も方便とは、相手を救う為の嘘ならいい。相手を助ける為の嘘ならいい。己自身の都合が悪くて嘘をつくという嘘であるならば、これは困ります。
「(女性)ああ、そうですか。あの相手に嘘をつくことでショックになる場合は、そういう事は許されるんですか」。ショックといいますと、 ああ、この人、今、癌だと。お前は癌だからというとショックだと。その時は、お前は癌じやないよ。別に悪い所ないんだよという事ですか。 そういう時は、止むを得ないでしょうね。
本来は、心さえ出来ていれば、癌であろうが、自分が、よし、神が私にもう少しこの肉体を、このように保存する事が出来るならば、神に一切を任せます。私は、もし与えられた時間を、人間らしく生きていきますという心になった人には、言っても、それはもうすでに無執着だからです。
執着というものは、俺は癌だ、癌だというと、死んだまま、癌だ、癌だで行きますよ。ですから私達は地獄霊を引っ張り出して調べてみて、 お前は何で死んだというと、本人はその時と同じ状態が続いておりま す。そういうのを執着といいます。死んでしまったら、本来、肉体はなくなっているはずです。所が意識がね、自分の光子体の方が、暗い。その分野が暗いから、そこが悪い訳ですね。それを自分が反省して、ああ私はやはり神の子なんだと、今まで悪いことをした。こういう事を反省しなければいかん。といって、やっていった人達は、勝手に救われます。

「(女性)今でも、その病気を、それならそれでもいいという、そういって、そして治ろうとすれば、いいのですか」。はい、いいです。本当はそれがいいのです。執着がある為に嘘をついてやらなきゃならない。お前は癌だよというと、大抵、99%死ぬものだと思っちゃっているでしょう。だからお前は癌だが、お前の心で、そういうものの執着を捨てなさいと。一切の人生の今までの自分が生活してきた、恨み、妬み、誹り、自分自身の自己保存。こういうものをよく反省しなさい。で、反省させて、心に、もう私はいつこの世を去っても肉体の舟が滅びても、もう、よろしゅうございます。神が私に使命を与えてくれるならば、私はもう一度やらせて戴きますという執着をとった時に救われる のです。執着をとらない限りは救われません。

「(女性)それでは、それをいやだと思って、直そうという気持ちは、いけないのですか」。
いや、それでもいいですよ。それも原因があるはずです。何で自分は、そのような病気になったかという、それを反省すれば、原因があるから結果が生じたのです。その原因を追及してゆけば、必ず、どっかにね、黒い固まりがあるはずです。ああ、これが私の病気の原因だった。止めようと、そこを奇麗にしてしまう。そのように反省した時に、そこに神の光が入ってきて奇跡が起こる訳です。

だから私達が一生懸命にこうやって色々の人に奇跡を起こしております。病気を直しています。そういう現象も、そういう知識から出たもの。それでその人に悪い現象が出てきて、医者にかかっても直らない所が直ってしまうという事です。
それはイエス様の奇跡と同じです。イエス様が病人に光を、こうやって与えて直したのも同じです。お分かりですか。じゃ、質問はこのくらいで、打ち切らせて頂きます。(拍手)

(司会者)長い間、ご清聴下さいまして、ありがとうございました。
(信次先生)はい、どうもありがとうございました。



 - 完 -





2017.02.11(土曜日) UP

園頭先生が制定に尽力された【建国記念日】に