高橋信次先生・園頭広周先生が説かれました正法・神理を正しくお伝えいたします







高橋信次先生講演


「 釈迦の生誕から仏教の変遷 」


71.10.3 GLA関西本部 特別招待第1回公演会にて

 私は十才の時に原因不明の病気になりまして、夜の八時になるときまって呼吸困難になり、意識が不明になりました。一回、二回、三回位は夢中でほとんど解りませんでしたが、四回、五回と回を重ねるに従って、自分自身の骸(むくろ)を見ているもう一人の自分を発見したのです。私はこのような体験を幾度か経験しているうちに、科学する心を覚えました。すなわち肉体は自分だと思っていましたが、肉体を離れた自分は苦しみのない自由自在な自分でありましたので、これは一体どうしたわけかと考えたわけです。そういう体験を通して約半年近くは、ほとんど夜になりますとそのような現象が起こります。医者に見てもらっても原因不明で解りません。そのために私の頭はお灸と針でゴツゴツになってしまいました。私は鎮守の森にあります権現様に十才の子供ではあったが、毎朝早く、また夜通いまして一心に自分の病気を直してもらいたいと、約六年間続けたのです。しかしそのような神との対話を求めて、一心に信仰的な行為を致しましたが、神は、一度も私に話しかけてくれたことはありませんでした。こうしているうちに肉体の方はどうにか快復しましたが、もう一人の自分は、もう肉体から離れることはなくなりました。このような謎が私の人生を大きく変えてしまったのです。かくしてもう一人の自分を探し求めるとともに、極微の世界、素粒子の分野を探求することによってこの問題を解決して見ようと考え、物理学を学んだのであります。

 物質というものはプトロン(陽子)・ニュープトロン(中性子)とエレクトロン(電子)の構成による一つの原子があります。水素原子は電子が一つ、ヘリウム原子は電子が二つ、リチウム原子は電子が三つ、こういう極微の世界の構成というものが次第に解るに従って物質とエネルギーというものの実体が解って参ります。
私たちが目にとらえうる物質はすべて仕事をなしうる能力、すなわちエネルギーをもっている。ガソリンはガソリンとして、石炭は石炭としてのエネルギーというものの存在を私たちは現在科学的にも実証できる段階にあります。そうなりますと、物質と仕事をなしうる能力、エネルギーの存在は、仏教的に申しますと色心不二ということになります。肉体(物質)と魂(エネルギー)は共存していますが、魂を見ることが出来ない。しかし不二一体であるということが解りかけてきたのです。

 続いて私は極微の世界以外に、この極微の世界の延長されたものが、大宇宙体を作っているということに、その研究の道が開かれてゆきました。私たちの住んでいる太陽系は、水星・金星・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星並びに地球という九惑星以外に、三萬数千個からなる小衛星集団(アステロイドベルト)を引き連れており、一秒間に二十キロの早さで銀河系宇宙の中を飛んでいるという事実です。極微の原子核においても、極大の宇宙においても、その組合わせというものは、一つも違っていないということに気づいたのです。しかしいかに物質的な極微の世界や極大の世界を探求したとしても、しょせんは人間自身の肉体と魂というものまで解らなかったのです。

 しかし一方において私は事業という経済環境を確立しなければなりませんでした。弱電機器事業の外、いろいろな事業もやっていますが、そういう経済的基盤を背景にして、もう一人の自分を発見しよう、そうしてこのもう一人の自分を発見することによって、神、仏という存在がはっきりと自分自身に納得できるような現象が起こるであろうとの予測のもとに、あらゆる分野にわたって研究追求して参りました。

 ところがもう一人の自分を発見する昭和四十三年の七月以前にさまざまな霊的な現象が起きていました。たとえば、十五年も結婚しているけれども子供ができないのはなぜだろうか、という質問をされれば、私が持った一枚の紙にそくざに、生年月日・子供の姿までもズバリと写し出されてくるのであります。あるいはまた自分が予言したことはすべて一致する。しかし私一人がいかにそのような超能力を持とうとも多くの人々によってそれが客観的に証明されない限り、私は信じません。そのような霊的体験を積むに従って、四十三年の七月、たまたま家の中に大きな霊的現象が起きてきたのです。

 それは全く日本語と異った言葉で現象がでてくるのです。ドイツ語や英語は学校で習っているから私にはある程度解ります。けれども全く解らない言葉で語られる霊的現象が起こり始めました。私の義弟は理科系の出身でありますけれども、神仏というものは全然信じていません。全然信じていない義弟に、霊的現象が起こり始めました。ヘブライ語をまじえ外国語訛りの日本語で私の子供の頃からのいろいろな諸現象を彼の口を通して語り私自身の心をすっかり占領してしまいました。たまたま浅草に八起ビルという貸ビルを私が作っている時に、東京都の交通局との交渉をもっていました。当然お役人と事業上の問題で打合せがあります。夜は夜で料理屋に行って打合せをする。一日の私の生活は本当に目のまわるような状況です。ところが、そうした毎日の私の想念と行為にたいして、その霊はことごとく私の後についているように、何もかも知っており、そればかりか、私の心の奥底までほり下げて厳しく指摘してくるのです。私はわずか一週間の間に八キロもやせてしまいました。三十数年間探求し続けてきたところのあの世、霊的なもう一人の自分というものが、こんな厳しいものであったのか、こんなにもあの世というものは恐ろしいものなのか、私は本当にわからなくなってしまいました。自分の心を一つ一つ監視され、今やった行為を次々と指摘されていったらどのようになりますか、気の弱い人だったら狂ってしまうでしょう。
自己保存の思いは思ってもいけないといわれるのです。

 しかも厳しく、それが日本語で喋るならまだしも、外国語訛りの難しい解らない日本語で語るのです。そのうちに、そうした状況の中で私は三日間で悟れといわれたのです。悟れといっても悟る意味さえ解りません。私は本当に困ってしまった、しかし今さら放り出すわけにはゆかない。やめるわけにはゆかない。そこで高野山の奥の院から、上野東叡山寛永寺に、そうして千葉の中山寺奥の院にも行き、ともかくここぞというところへまいりまして、現在起こっている現象を説明してまわったのですが、正しくそれを判断してくれる人はいませんでした。
私は本当に困惑してしまいました。私をして一週間も苦しめた者は何者だろう。悪魔ではなかろうか。有名な僧侶に会っても何一つ解答が得られない。

 
三日目の夜、私は一切を諦(あきら)めた。地位も、名誉も、財産も、そして生命もいらない。私を苦しめた者は悪魔に違いない。悪魔ならその悪魔を善にかえてやろう。私は生命を投げ出し、悪魔と対決したのです。
 「悪魔よ私の前に出てきなさい。悪魔であるならば、あなたたちを善に変えてやろう。それによって、私の生命が欲しいというのであればあげてもよい」
私がこう決意し、思った瞬間に、今まであれほどきびしいことをいっていた霊はガラリとその態度を変え「今晩はお祝いだ、お前自身のために一週間の苦しみを和げよう」とコロッと変ってしまいました。


 私は脳細胞を犯されたのではないだろうかと、東京大学の医学部の神経科に行って見て貰いました。異常がないばかりか最も正常だといわれました。こういう体験を通してそれ以後は弟の霊的現象はピシャッと止まってしまいました。今は全然出ません。九月に入ってから、私の会社に手伝いに来ていた妹に光を与えた瞬間に過去世を思い出してしまいました。そうしてあらゆる諸現象を見通し、さまざまなものが見えるようになってしまいました。続いて十月に入り、私の家内がまた同じように解るようになってしまいました。すべての心の中を見通されてしまいます。しかし
人間というものは、執着を離れてしまえば丸い心になってしまいます。そのために自分の心というものに対して誰に監視されていても、もう晴れやかな丸い大きい心になっていますから心配ありません。

 そのような体験を通して事業をやっていましたから、やがて多くの人々が私の家に出入りするようになってきました。三度の飯より神様の話をしていた方が好きな私のことですから、お客さんであろうが何であろうが、神様の話をしてしまいます。
仏教もキリスト教も何も知らない全く我流の話でした。そのうちにだんだん私自身の心の中にある転生輪廻を繰り返して来た心のテープレコーダーがひもとかれてきました。人間の生命が不滅であるということもだんだん解るに従って私の家を訪ねてくる人たちも、次々と心の窓が開かれてゆきます。同時に皆さまの肉体舟の船頭さんである皆さま自身の魂がどのような転生輪廻をして来ているか、過去・現在・未来の霊的な諸現象を見る能力を得ていったのです。

 そこでそのような心のテープレコーダーをひもといて、仏教がどのような変遷を経てきたかということを皆さまに説明したいと思います。

 今から二千五百余年前、インドのカピラというところに、ゴーダマ・シッタルダーといわれる方が生まれます。
それより以前約二千年前にクレオ・パローターといわれる道を説く人がエジプトに出ています。実在界あの世において、この地上界に出る光の天使たちの選考が始まった結果、クレオ・パローターの過去世を持つその天使がカピラという場所を自分自身が選び出生することになりました。インドを選んだ大きな理由は、自分自身を悟るにはもっともつごうがよい場所であり、伝道の環境が整っているからでした。カピラ・ヴァーストという環境は、まずコーサラという大国の属国で、小さい砦のような城市で、共和制体をとっている国であります。そのためにいつ敵から襲われるかわからない。そしてまたシュット・ダーナ王、マヤ妃という両親の間に子供がありません。母親は同じシャキャ族のコリヤ族というロッシニー河をはさんでデヴァダバ・ヴァーストという城市の娘であります。これはもちろん当時日本の戦国時代と同じように、非常に政略結婚というものがインドでもはやっておりました。そういう環境をまず選んで生まれると同時に一週間目にして母親をあの世に引き取ることになっております。ややもすると私たちは死というものについて非常に恐怖心を抱くものですが、あの世から見れば、決して死は恐ろしいものではないのです。こういう環境の下においてゴーダマ・シッタルダーの義理の母親マハー・パジャパッティーにはナンダという子供ができてしまいます。これもあの世で計算してあります。そうして人生に対する無常を感じる環境というものを選定してくるのです。このように環境は極めて不安定な状態です。武力もたいしてないし、大きな国が攻めてくればカピラなど一発でやられてしまいます。それから食事にしても毒見をする人がいます。敵のスパイが潜(ひそ)んでいるからです。

 このような不安定な場所にあっても人間というものは、慣れてしまえば不思議なもので、そういう環境の中においても育ってゆくものです。しかし自分の生活環境の中から
人間というものはなぜ生まれ、年をとり、病気をし、死んでゆくのかという疑問が心の中からドンドン湧き出て参ります。

 一方またカピラ城の生活は優雅であり、春は春の館、冬は冬の館で、いつも取り巻きには美しい女たちが何人も仕えています。しかし生活が優雅であればあるほどシッタルダーは無常を感じていきます。一歩城を出れば酷しいカースト制度というものによって生活環境は、城の中とは百八十度異っています。ここでも生活の矛盾につきあたります。同じ人間でありながら、生まれながらにしてこのような差別はなぜあるのだろう。ゴーダマ・シッタルダーは考え始め、疑問は疑問を生んで自分自身で解決することができなくなってゆきます。しかし父親のシュット・ダーナ王はなんとか自分の跡取りを安心させたいとして、やはり母親の里であるところのデヴァダバ・ヴァーストからヤショダラという娘を嫁に迎えます。十七才の時です。当時の王侯貴族というものは一夫一婦でなく、一夫多妻でありました。とうぜん女同士の軋轢(あつれき)が生じて参ります。悩みは更に自分自身の作り出したものによって膨(ふく)れあがってゆきます。二十九才のおり、シッタルダーは、遂に家を飛び出す決心をしてしまいます。城を飛び出し人間の苦しみというものをどのように解決していけばよいのか、一子ラフラをどうすればよいか。ラフラ出生の際には父親のシュット・ダーナ王から二人の子なのだから二人で相談して決めよといわれ、ラフラと命名した。もちろんそう命名したのはシッタルダーであります。出家を妨害するという意味で、ラフラとつけた。ラフラとは障害物ということです。ラとは石、フラとは橋、当時は吊橋が多く、橋の上に石が置いてあっては危なくて渡れない。いつ吊り糸が切れるかわからないからであります。このようにして家庭的には不調和なゴーダマ・シッタルダーでありましたが、ある夜、遂に自分自身の生老病死という苦しみの問題を解決するために出家し、その後約六年余り中インドを中心にして修行をするのであります。

 しかし肉体的な酷しい修行によって悟ることができないということを三十六才の時、ネランジャラの河のほとりに一人のチュダリア・チュダーダーという牧場の娘が乳をしぼりながら「弦(げん)の音(ね)は強く締めれば切れてしまう、弦の音は弱くては音色が悪い、弦の音は中程にしめて音色が良い」という民謡をうたっているのを聞いてしまいます。その歌をきいて人間というものは城の中にいて優雅な生活をしていてもだめだ、悟れない。逆に滝や断食など酷しい肉体修行によっても悟ることができないということを初めて悟るのでした。その結果、ウルヴェラという村のピパラー(菩提樹)の大木のある丘に上って、己が悟るまではここから一歩も動かぬと堅い決意をします。
いうなれば死を決して中道の物差しをもって、誕生から三十六年間の地上での生活行為の一つ一つを反省し、自分の心というものが常に丸く、大きく、広い心であったか、人を恨み・妬み・謗り、自分のことしか考えなかった過去の心を修正していったのです。

 
瞑想をはじめて一週間目です。瞑想していると眼前にある正覚山、そこから昇る明けの明星が自分の足の下に見えてきた。体は宇宙の姿になってしまって自分の肉体は遥か下方に小さく見えています。自己の中に宇宙があり、宇宙は即ち我であるということを発見するのです。同時に生老病死の原因、苦しみの原因というものはどこにあって、その原因をとり除くには自分自身の心と行ないにあるということを悟っていくのです。

 二十一日間、ウルヴェラにおいて自分自身の過去を反省します。そうしてこのような神理を諸々の衆生に話したところで解るものではない、このまま死んでしまおうと決心をした時に、バフラマン(梵天)が出て参ります。梵天の名はモーゼやクラリオ(イエス・キリストの分身)といわれる光の天使たちです。
 「ゴーダマ、そなたは今までこのような苦しみの中から今悟りを開くことができた。この苦しみの原因を追求し、この神理を諸々の衆生に教えなくてはならない。お前がたとえ命を絶とうとも、そして地球の、宇宙のどこの隅に逃げようともあの世にこようともお前をそくざに帰してやる。それはおまえ自身が生まれる前に約束してきたからだ」。

 梵天からきびしくいわれる前に、ゴーダマの心の中にいろいろと誘惑や悪魔が出てきて、「ゴーダマよ、そのような神理を説いたところで人を救うことはできない。お前はそんなことをやるよりか自分の国に帰って優雅な生活をした方が幸せだ」といってゴーダマの悟りを邪魔します。
 こういう諸現象は私にも起こりました。お前は事業家として力をつけていけば月に何十億という金が入ってくる。よけいなことを考えず事業だけしておればよいではないか。お前はあの世があるなんてうまいことを説いているが、あの世なんか無いよ。そんなことをやめて、もっと優雅な生活をやったらどうだ、と私にささやきます。そんなとき私は「お前はどこから来ているのだ、お前はあの世の者だろう」といったら「解っちゃ話にならない」といって帰ってしまいました。
 インド時代のゴーダマ・シッタルダーの周辺にもこういう問題が起こって参ります。

 さてこのような経過をたどって、ではいったいいかにして人々に説いていけばよいのか、ゴーダマは悩みます。けれども心の窓が開かれてしまっていますから、今説かねばならない人々が身近にいることを知ってしまいます。ことに悟りを開くまで、カピラから苦楽をともにしてきたコースタニャ、バッテイヤー、マハー・ナーマン、アサジなど五人の人たちがいます。ネランジャラ河の河辺でゴーダマ・シッタルダーが口にした牛乳の一件でゴーダマ様は修行を捨てた、あのような者と一緒にいてもしようがない、私たちは別のところで修行しようと、去っていった人たちが思い出されます。心の目にハッキリとその人たちがイシナパタにある川の流れている小高いところにいることが解ります。

 守護霊に聞けばパラナッシーのミガダヤというところにいることがハッキリと解ってしまいます。中インドのラジャグリハから西南の方向に向かって約三百キロメートル入ったところにウルヴェラというところがございます。そこから四百キロメートルはなれているところです。心の中でチャンと判ってしまいますからネランジャラ河をどんどん下っていきます。サラタプトラからさらに西方へ入ってきますとパラナッシーという都があります。そのはずれに彼らが修行所として定めたイシナパタといって仙人たちがいっぱい修行しているところがあります。そこには釈迦の前世クレオ・パロータが説いたバラモンの経典であるヴェーダーやウパニッシャドという神理を信ずる人たちがいた。すでに三千年前、インドにおいてこのような道がハッキリと説かれたのでありますが、時代とともに哲学化されてきたものであります。ゴーダマ・シッタルダーは小さい時からそのようなバラモンの先生について神理というものを学んでおります。ある程度のことは解っております。バラモンはまず十二才頃までは、日本でいえば寺子屋のようなところでヴェーダーという神理を教えられます。そうして十二才から二十五、六才・三十才頃までの間に家庭に入ります。さらにまた三十才、四十才を過ぎまして自分の子どもが一定の年になりますと彼らは再び山の中に入り修行をします。このような人々をサマナーと呼んでいます。続いてサマナーを卒業し遊行の旅にでる人たちをサロモンといっております。修行者ということです。

 このようにミガダヤというところにはバラモンを含めてあらゆる宗教家の人たちの修行所として多くの仙人たちが集まっております。その場所をゴーダマ・シッタルダーはそくざに解ってしまい彼らに会う前にコースタニヤの心の中を読んでしまいます。「ゴーダマが来た、あの男が来ても、もう既に王子でも師匠でもない。我々には関係がない。たとえ来ても足を濯(すすぐ)ぐではないぞ、アサジ解ったか」。このようなことをいっていますが、みな、心の中にピンピン響いて参ります。ゴーダマの姿を見ても見ぬふりして彼らはボソボソ話をしています。

 四十四、五日もかかってウルヴェラの森を去り、ようやくミガダヤについた朝、彼らはゴーダマが来たということでさっそく予定の行動をしておりますが筒抜けです。解ってしまいます。だからゴーダマ・シッタルダーはそれにかまわず彼らに近寄り「お前たちは今このように修行をしているけれどもそれはむだなことだ、そんなことをしていたら、私がかって肉体的に不調和をきたして死んでしまおうと思ったあの時のように痩せおとろえた姿になってしまう。きびしい肉体行はやめるがよい」。懇々と話をすると、いちばんかたくなな心を持っていたコースタニヤが以前の師弟の関係の時と同じように足を濯ぎ始め「シッタルダー様、あなたは顔色が前とはだいぶ異っております」といってゴーダマの足下にひれ伏してしまいます。

 「そのとおり、私は四十数日前に、ウルベラにおいてついに悟りを開きブッタになることを得た。お前たちの心はすみずみまで解ることができるのだ」といいます。彼らはブッタの最初の弟子になっていきます。コースタニヤはカピラ・ヴァーストでクシャトリアといいまして武士階級であり彼はサムライ大将だったのです。他の四人よりは剛直な面が強かった。しかしブッタの言葉に素直になり師弟の関係を結んでいくのです。五人はいずれもクシャトリアであり、弓や槍をよくつかい、みな体の丈夫な人たちであり、シュット・ダーナ王(シッタルダーの父親)の命によってゴーダマ・シッタルダーを守るために出ている人たちです。しかも彼らは六年も出家同様の生活をし、生老病死の問題について、悩んできていますから、ブッタの言葉に真剣にならざるを得なかったのです。ブッタはいいました。四つの苦しみから解放される道は中道しかない。つまり八正道の実践行為の中においてこそお前たちも悟ることができるのだ。といって教えている間に、コースタニヤがまず自分自身がクレオ・パロータの時代において今、眼の前に立っているゴーダマ・シッタルダーの前世において、共に同じ神理を聞いたということが解ってしまいます。心のテープ・レコーダーの窓が開かれたのです。続いてマハー・ナーマンも心の窓を開いてしまいます。バッテイヤも開いて五人の人たちがついにアラハンという一つの境地に到達してしまったのです。

 現在の私たちのグループの中にもこの神理を聞いて、自ら心の窓を開き、あらゆる諸現象を自分自身が見出す力を持った人たちがだいぶ出ています。昨日も堺の講演におきましてわずか二回しか聞かない学校の先生が心の窓を開いて、中国の時代の言葉を語り始めました。この中にもいるのです。
皆さん自身が心というものを知り己自身が一切の執着をはなれて調和された日々の生活をしている時に、皆さん自身の心のテープ・レコーダーは神の光によっておのずとひもとかれていくということであります。

インドの当時も心の窓をひらいた人たちは多くの人々に道を説いていきます。六番目の弟子にヤサというのがいます。パラナッシーの大金持の一人息子で、女性問題で悩みガンガーの河に身投げしようとする時にゴーダマ・シッタルダーが通りかかります。「お前は今死のうとしているけれども、そんなに若い身空で死ぬなどもってのほか、自殺は神が与えた大事な生命を粗末に扱うものでもっとも恐ろしい行為である。自殺すれば長い期間暗黒地獄に堕ち苦しまねばならぬ。心を静め、なぜ死のうとするのか、よく考えてみよ・・・・・・」。このようなことを懇々と説いた結果、ヤサはゴーダマ・シッタルダーの神理にふれ、やがてアラハンとして立派に立ち直っていきます。ヤサの周辺の人たちもゴーダマの弟子になっていきます。

 人間という者は不思議なもので、自分が育ったところや修行した場所というものは懐かしいものです。ブッタはここにしばらく滞在すると、出家して最初の修行地であるマガダ国のラジャグリハに向かいます。ここの郊外にラジャグリハの王であるビンビサラという方がおります。年も同じです。出家して間もなく、ここに立ち寄るとビンビサラはこういいます。
 「あなたも知っていると思うが、今の私はウルベラ・カシャパーといわれる立派な師について道にはげんでいる。よかったらそのカシャパーに紹介してもよいが」
 しかしゴーダマは彼に会っても大した結果は得られないと思い、今日まで一度も会っていなかったのです。
 しかし今度はそのカシャパーに会い、彼の修行の誤りを指摘し、過去世において神理を説いたことを理解してもらおうと思います。

 カシャパーはガヤ・ダナというところで修行し、拝火教をやっております。木を井桁(いげた)にくんで一心に祈りを捧げ火の神を祈っております。その時たまたまお祭りの日だったのです。ゴーダマ・シッタルダーは一人で托鉢の碗をもちながら山を登ってゆきます。泊る場所がないために洞穴の中でねます。彼らはゴーダマ・シッタルダーという人間は知らないけれども、どうもこの野郎は臭い野郎だ。顔を見てもふつうの修行者とはどうもちがう。当時のインドの行者の人たちは特にウパニッシャウドという学問を習っており、へ理屈がうまいのです。そこでこれはバラモンを相当研究した人ではないかとみています。ウルヴェラ・カシャパーはビンビサラ王から聞いていますからなるべく遠ざかろうとします。

 ところがお祭りが終わった次の日、ブッタはウルヴェラ・カシャパーの心の中をみな読んでしまいます。
 「カシャパーよあなたの心はこのように燃えている火であってこれでは正しく物を見ることはできない。あなたたちの組織もまた同じように燃えている。宇宙の仏というものは大自然を育て生かしているものであって火のように燃えるものではない。人間の心が燃えていては正しい判断ができないばかりか自然の心を知ることさえできない」と説きます。彼はブッタの説法にはじめて目がさめ、九百七十人近くの弟子と共にゴーダマ・シッタルダーに帰依してしまいます。

 昨日、大阪で心を開いた方は当時のナンディヤ・カシャパーという二番目の弟です。このナンディヤ・カパシャーとクナンダ・カシャパー、この人たちも帰依しますが、兄貴の姿が見えないので、山賊に殺されたのではないだろうかと心配します。川から流れてきた祭壇を見て、ウルヴェラ・カシャパーは殺されたのだと判断しますが、村の人たちに聞くと修行者といっしょに山を下り、ラジャグリハの方へ行かれると言っていたとききます。二人は兄貴に会い、事情をきき、兄弟三人とも帰依してしまいます。
ビンビサラの親戚のガランダといわれる方はベル・ヴェナーというちょうどラジャグリハの北、約二キロメートルばかり行った山の間に竹の林がありますが、その竹の林に法座を設けた建物を作ります。これがベル・ヴェナー、日本語で申しますと、竹林精舎といいます。こうしてブッタの教団は次第に大きくなってゆきます。そうして神理のあり方、人の道、人間は心なりというその神理を説いて執着の苦しみから人々を解放していきます。四十五年間インドを中心にしてあらゆる国々にブッタの神理が広まっていきます。

 
やがてクシナガラの地においてゴーダマ・シッタルダーは八十一才、この世を去ろうとする時にブッタを陰のようについて身の回りを世話してきた秘書のアーナンダが問います。
 「ゴーダマ様、あなたさまがこの世を去ってしまったら、私たちはどのように道を説いたらよいでしょう」

 「アーナンダよ、お前はそのようなことをいうのではない、お前たちは四十五年間、わしと共に悟りへの道、ブッタ・ストラーの神理を学んだはずだ。お前の心の中にわしのこの神理があるということを知りなさい。私を思えばお前たちの心の中に私はいるのだ。人間というものはいつどのようになるかも知れないが、しかしお前たちは、自分自身の心の偉大さを知るために、道を怠ってはならない」またブッタは永遠の輪廻転生を説くのです。「西の方へ太陽が沈めば暗くなってしまうが、また明日になれば同じ太陽が東から出て明るくなるように、わしもまたそのようになろう。やがて五の五百才後においてその道を説く時は、ジャブ・ドーバー(日本)ケントマテイー(都)の国に出るのだ。その時には今このように汚ない足を濯ぐことなく、道も美しく、道路の周辺には立派な建物ができており、それはルビーやダイヤモンドで作られていることであろう。この時にそのジャブ・ドーバーの都では、既に仏教(ブッタ・ストラー)は形式化され末法の時代になっているであろう」と多くの弟子たちに教えます。


 たまたま亡くなるしばらく前に一人の年老いた老人(シュバリダ)が参ります。この方は今、心の窓を開いて本日ここに来ていますが、当時私たちはマガダ語という言葉をしゃべっていました、この方は当時は百十七才近くの老齢でございます。自分自身が足もこのようにやせおとろえて、すでに相当な年齢のために杖をついて参ります。しかしゴーダマ・シッタルダーはその時に、この方の前世シュバリダが何を考えているか解ります。
 「最後の弟子が来た、アーナンダ、わしの枕辺(まくらべ)につれてくるがよかろう」
その時、シュバリダはこのように問うてきます。「ゴーダマ様、本当の神理はどのようなものか、インドには多くの修行者がいて、我こそは本物だ、我こそはブッタといっているけれども、神理というものはどのようなものか教えて欲しい」シュバリダはあらゆるところの門をたたき、百十七才になるまでその神理を本物であるかないかを探し求めて、死の直前にブッタに会うことができたのです。その時にゴーダマ・シッタルダーは
真に人間自身の生老病死の苦しみの原因を断ち、八正道の実践を生活行為の中に生かしているものこそ、真の正道者であるということを説いたのであります。そのとき彼はついに自分の考えていることと同じであると悟ったのです。
「ゴーダマ様の涅槃(ニイルヴアナ)に入るところを私は見るに忍びません。一足お先に失礼します」といって百十七才の老齢をそのままバタンとそこに倒れてこの世を去ってしまいました。このシュバリダという人は、長い年月バラモンやあらゆる宗教を学んできておりますために、当時本当の悟りへの境地ということは知らなかったそうです。彼はついに百十七才、最後の土壇場において神理を己自身が知って息をひきとってゆきます。そうして続いてこの方は中国に、二世紀に生まれて神理を説きました。

(I氏が過去を語る)「・・・・・・この大河の氾濫(はんらん)にあい私は両親にはぐれました。そして出家をし仏の道を探究したのでございます。そして広い中国をすみからすみまでいろいろと旅を致しました。そして阿弥陀浄土(あみだじょうど)、今の言葉でいいますと西方浄土に、人々はこの世を終えた後、善いことをした人はそこに生まれ変わり、悪いことをした人は地獄という光のない世界に行かなければならない。人々はたとえどのように環境が苦しかろうと、どのように辛かろうと心は常に明るい希望をもって生きてゆかなければということを人々に説いたのでございます。テンシンと当時の名前を申します・・・・・・。」

 このように人間の生命というものは、あらゆる国々を転生輪廻し続けています。四十五年間にわたってブッタが説かれた神理は中国に渡りだんだんと仏教というものが儒教の影響をうけて非常に哲学化されてゆきます。インドの当時に説いたその神理は、方便というものを通して説明したのです。

 皆さまは南無妙法蓮華経を唱えている。その根本も、
最初は天台山において天台智顗(てんだいちぎ)が、法蓮華僧伽呪(ほうれんげさんがんじゅ)として説いたのです。法とは仏の心、仏の意志、神理、蓮華とは汚ない泥沼の中においても美しい蓮の花が咲くように、人間の肉体というものは、目を見れば目糞、鼻からは鼻糞、耳糞、汗、一つとしてきれいなものは出ない。しかし心というものは宇宙の神理を知って日々の生活をしていたならば、あの美しい蓮の花と同じように、安らぎの境涯を送ることができるのだ、このように説いたのが法華経の根本です

 特に天台山においてはゴーダマ・シッタルダーの分身、陳(ちん)という少年が十七才、また同じような運命にさらされます。戦(いくさ)に敗れて父親や母親や兄弟たちとバラバラにされ十七才の時に、陳少年は当時の蓬莱山(ほうらいさん)というところにおられた南岳慧思(なんがくえし)という僧侶の下で修行するようになります。南岳慧思といわれる僧侶は法華経を学び、それも夜ねむっている時に弥勒菩薩が枕辺にきてその神理を説いていきます。陳少年は後の天台智顗という人です。約二十年間慧思の下で修行をし、陳少年の兄が天台山というところは非常に見晴らしもよいし、おまえは一つ天台山へ引越して来ないか、といわれ、天台山に入り、仏教の道を説いていきます。
天台智顗は、人の心は一念三千であり、本来誰しも広く大きな心を持っているが、一念の思うこと考えることによって、善にも悪にもつながり、悪を思えば小さくなってしまう。大きな豊かな心を持つためには止観(しかん)によって心の針を正さなければならないということを説きます。

 摩訶止観(まかしかん)はこうして生まれ、そうして人間のあり方ということを次々説いてゆきますが、次第に哲学化され解らなくなって参ります。その当時天台山の僧侶でありました方がここに二人おられます。その方にちょっと当時の模様をきいて見ましょう。

 (まずチベットの経文の一節を唱え、続いて当時の模様を語る)
 「私は高橋武様の過去世であるチコータとは朋友でございます。共にチベットにおいてラマ教を学びましたが、中国の天台山に陳様と申される高僧のおられることを知り、共に入国し法華経を学びました。今私が唱えました経文はチベットにおいて唱えた経文です。それでは法華経に帰依してからの経文を唱えさせていただきます」(経文を唱える)

 これが五世紀から六世紀にかけての法華経です。つづいて八世紀に日本からは比叡山延暦寺を作りました伝教大師最澄が留学され天台山においてその神理を学び日本に持って参ります。このようにして比叡山延暦寺で説かれたその神理は妙法蓮華経と日本的に変えられてゆきます。つづいて十三世紀に入って日蓮はさらに南無という言葉をつけ南無妙法蓮華経という形に変わってゆきます。こうしてだんだんと他力本願に変わり、お経はあげることに功徳があるという間違った考え方になっていったのです。

 私たちはお経の中にも、またインドの時代に説いたその神理というものも、人間というものの偉大さ、神の子として仏の子としての偉大なる己自身の心を悟るということ、その中に己自身が神の子として偉大なる仏智をひもとき転生輪廻の永遠の生命を悟って、人間らしい調和された世界を作ってゆくというのが本来の仏教の根本的な使命意であるということが書かれてあるといっているのです。

 私たちはこのようなことを知った時、皆さまの心の中には神の子として偉大なるあらゆる国々を転生輪廻して来たところの仏智というものが存在していることを知るのです。その仏智は皆さま自身の潜在されているところの九十パーセントの意識の中にかくされており、それを具現し、永遠の生命の中の今世での修行に自覚を持たれることが大事なのです。それにはまず人間は足ることを知ることです。現代社会は人間の作り出したるところの物質文明の奴隷に変わっております。お互いに歴史の中に作り上げられた資本主義、社会主義においてもその根本は、物質経済であり、相争いながら文明社会が発達するという不調和な理論を生んでしまいました。いかに、皆さま自身に財産があろうとも、地位があろうとも、この世を去る時には皆さまは、自分の愛する妻も子供もすべて置いていかなければならないのです。金ももっていくことはできません。物質文明、経済というものはただの生活の知恵であり、魂修行の手段にしかすぎないことを自覚しなければならないのです。足ることを知り、与えられた環境の中で正しく仕事をし一心不乱に実践行為しつつ、一日一日の心の中に、恨み、妬み、謗りの心がなかったか、あるいは心の中に思わなかったか、あるいは行動しなかったか、一つ一つ皆さま自身の心の調和度というものを、布団の上でも好いから静かに反省し、心というものを磨いていってご覧なさい。皆さまの心は怒り、謗り、妬み、自己保存、自分の立場ばかり考えていると、一念三千といって、悪の一念の心は悪の世界に通じ、広い心をますます小さく狭いものにしてゆきます。私たちは恨めば恨む世界に、あるいは慈悲を与へれば慈悲の世界に通ずることを知るべきです。一念三千の心を常に平和と安らぎの心をもって人々に対して慈悲を与え、愛を与える生活をするならば皆さまの心の針は常に光の世界に通じ真の安らぎある皆さま自身をつくりあげていきます。病気や色々な悩み、苦しみこのような心をもっている時は地獄の世界に通じ、心は不安と動揺をくりかえすことになります。

 このように一念三千の心を神理にそって常に調和された日々の生活をし、光の世界に常に心の針を向けた行いをする時に、皆さま自身の心の中には神の光が燦然(さんぜん)と入ってきます。太陽の熱・光のエネルギーは地位、名誉、経済、学識等に全く関係なく総べて平等に与えられているのです。神の光も万象万物にみな平等に与えられているのです。この神の偉大なる慈悲と愛の光を受けとめないのは、皆さま自身の心の中の恨み、妬み、謗り、自己保存という暗い想念が曇りを作ってしまうからです。この曇りを皆さま自身は作らないことです。皆さまはそのことをよく知り常に自分自身を正道の道を通して日々の生活をし夫婦は円満に、調和された日々の生活をすることが人間に課せられた目的であり、使命です。

 神の体であるこの地球上という場は大宇宙体の中の小さな細胞にしかすぎません。この細胞こそ大神殿であり大仏殿だということです。皆さん自身の心の中に、偉大なる大仏殿、大神殿が存在しているのです。このように偉大なる大神殿の下に我々は、先ず人と人との心がお互いに嘘のない生活をしお互いに助け合う日々の生活環境をつくることによって、私たちはこの神の体である地球上も人間の心と心の調和によった平和な仏国土、ユートピアを築きあげていくことができるのです。そのようなことを皆さまが知り、共に皆さま自身が永遠の生命の中に転生輪廻を繰り返してきたところの皆さま自身の業(カルマ)というものを、修正しなければなりません。皆さまは過去を知りたいというならば、それは皆さまの今考えていることと行っている今の姿が皆さまの過去、現在を集約した姿と思ってください。

 そのようなことを皆さまが知ったならば、我々は今このような縁により、皆さま自身、心の中に偉大なる光の息吹があり、そしてこの地上界に平和な、争いと闘争をなくするところの万物の霊長であり、神の子としての真の道を実践してゆかなければいけない、ということに気づくのです。

 このように真の仏教というものは皆さま自身の心の中に、かっては中国に生まれ、ある者はまたイスラエルの地において受けたイエス・キリストの神理が、皆さまの意識の中に記録されていることを知らなければなりません。また私たちはこの地上界に生まれてくるには決して地獄から来たのではないということです。皆さまは丸く大きいひかり輝いた偉大なる神の使徒としてこの地上界に肉体をもっているのです。それも皆さま自身はあの世において自分の両親を自分で選び、そしてしかもあの世において登録されて、皆さまはお父さん、お母さんの精子と卵子と調和された時に、初めてあの世に通信され皆さまの意識が入ってくるのです。三ヶ月位たちますと大抵十センチメートル位の大きさになり五体というものが形成されて参ります。その時にあの世から皆さま自身の意識が丸い大きなすべてを悟りきった生命でお母さんの腹の中に入ってくるのです。そのために三ヶ月位になりますと、お母さんと子どもの意識が調和されないためにツワリという現象が出て参ります。もしこの中でツワリで困っている人があればそくざに直してあげます。

 これは子どもの意識とお母さんの意識が調和されないためなのです。このようにして十月十日たち生まれてくる子どもというものは、親の教育、思想、環境そのものによってだんだんと育っていくうちに、偉大なる智慧、偉大なる神の力を失って人間は苦しみと悲しみを作ってゆくのです。その地球上の善と悪の作り出された環境の中に皆さまは修行してゆかなければならないのです。その中から皆さま自身がの心の中を自ら紐解き、神理の胎動(たいどう)に気づいた時に、今、自分自身の現在が大事だ、今の一秒一秒の積み重ねの中に皆さまの偉大なる仏智が、偉大なる神の智慧が、具現されてくるのだということに気づかなければなりません。

 このようにして私は漸(ようや)く三十数年間、極微の世界から極大の世界を学び、学ばなかった仏教の神理、学ばなかった国の言葉が次々と出てくることになったのであります。皆さまも人間として生まれた真の目的と使命というものを果たしてこの世を優等生として卒業していただきたいと思うのであります。たとえ貧乏人に生まれようとも、それは皆さま自身があの世で選択してきたからなのです。金があり、環境がよければ、生活におぼれ地獄に堕ちてしまうために、そうした環境を選んできたのです。自ら悟れる環境を選んできたことを知って欲しい。貧乏だからといって決して皆さまは悲観することはないのです。皆さま一人一人の心は神の子として偉大なる智慧と偉大なる愛と偉大なる慈悲をもっているということを皆さまは知らなくてはいけません。それだけに今を大事にお互いに手をとり合い、争いと闘争の現代社会を皆さま自身の偉大なる力によって修正し、仏国土ユートピアを作ってゆかなければならないのです。

最後に皆さまのご要請があれば私は一人ででもここへ来て皆さまに心の偉大さを、そして皆さま自身の仏性を目覚めさせて行きます。私たちはあらゆる教団からそのような要請をうけており、いつでもどこへでも行きます。そして人間はみな神の子仏の子だ、人間はみな兄弟だということを私たちは説かなければならないのです。皆さまの中にもそのような力をもつ人がこの中にだいぶおります。インドの当時は二万余人のアラハンがおりました。そしてその神理を説きました。我々の今のグループは約百五十数人の人たちが心の窓を開いております。皆さまも真に自分自身の心に目覚め嘘のない生活と、自分の心に嘘がつけない、嘘のない生活を築いた時に、皆さまの心の窓は開かれてゆきます。その時に皆さまの心の目は開かれ皆さまの目を通して現証を見ることもできるのです。あるいはまた語ることもできます。あるいは相手の病気もすべて癒(いや)すこともできるようになります。それは皆さま自身の行ないと心が神理にそったものでなければその道は開かれないということです。




 - 完 -





2017.02.11(土曜日) UP

園頭先生が制定に尽力された【建国記念日】に